伊里駅

(赤穂線・いり) 2011年5月

 赤穂線に乗ると、日生で止まったときに窓から海を感じるのが僕の習慣だ。瀬戸内に来たなときちんと心に記憶させるのだ。海が見えるのはここくらいしかない。だから別に面倒にもならない。むしろかえって余計、儀式化する。
 日生での客は少なかった。 
 それからは山に入って川をやや遡上し、伊里というところで降りた。ホームで待っていたのは高校生ばかりで、もうそろそろ朝のラッシュである。これから岡山市街の高校にでも行くのかもしれない。
 片面ホームの駅ながら、そこからは緑が見渡せ、降りたところにある古びたコンクリの駅舎の人工大理石風ラッチ・ブースでは、そこに人が入っていなくても、どこかにありそうな両眼が、いつでもその緑と駅の中を貫いているようだった。

雨はうまく流れてくれそう。
頭の中でイリ条約、と反芻していた。
なんか赤穂線らしい感じがする。
なんか老人クラブのようでもあり…
椅子は多い。
温かみが感じられます。
1. ちょっと主張強めで好きですが、左のサインからすると食堂があったそうです。おもしろそう。
駅から出て。
2.

 この駅では委託された人が集改札をしていた。起きたばかりで頭痛のしてそうな高校生らが硬い制服をまとい、さっそうと自転車を自分の体ごと、半壊せられたようなブロック積みの建物に投げ込んでゆく。近くに爺さんが二人。いつ溢水してもおかしくないようなタプタプとした大きな川をみながら、何かを悠長に話している。どうも駐輪所への誘導や整理を、みずからすすんでおこなっている人のようだった。
 僕は高校生の時分を思い出していた。―はっきりいって、先生は偉そうだし、周りはプライドの塊でろくな思い出がない。それに―こんな何か大人に近いような肉体が、親とかかわりながら毎日学校に行くというのが、どうにもおかしくて。けれど三年耐えた―互いに―たぶん… 彼らも、そんなゆがみの中、高校生活を送っているのかもしれない。
 けれど僕は今、そういう学校にまつわるすべてを捨てて、こうして旅をしている。どちらかというと、あの爺さんらに近いポジションだ。もう僕はチャイムに急かされたり、説教されなくていい。生徒に喝を入れる指導もない。大学生に近いポジションかもしれない。そう考えると、大学生というのはかなりにいい身分である。

この中に入ってみたい。
繊細な生け花。
こんなところでのんびり仕事するのもいいかも(失礼)。

 駅に戻ると、ボロボロの駅務室で筒のポテチなんかのお菓子を売っていたのに気づいた。ガラス引き戸に包まれた駅務室の向こうだったから気づかなかったのだ。たしかに、かつてはそんなものを買って片手に、よく電車に乗ったものだ。駅から乗って、市内一ばんの大きな公園なんかに着くまでのその時間が無上の楽みだった。
 けれど、このとき僕は、初夏の朝の鮮烈な空気を、親の庇護や学生服を着ることなしに味わえることが、幸せだった。こんなふうにして、何でも自由に決めて、朝から旅して、その季節のおいしい空気をいっぱいに吸うことが、ずっと夢だったのだ。僕はいま、その理想をかなえている最中なわけだ。

 これからは山陽地方にさらに深く入り、工業で罅割れた日の光のかけらをもとめて、僕は耽美的に旅することになるだろう。