石動駅

(北陸本線・いするぎ) 2007年9月

  倶利伽羅峠を過ぎトンネルを抜けると、どことも知らない町が ぱあっと下方に広がった。間もなく、いするぎ、なる駅に着くという。駅の読み方からも、一度降りてみたいと思っていたのだが、なんだかんだと今まで降りることがなかった。きょうが初めてだ。ときに、石動といわれても、今一つ纏まりが浮かばなかった。しかし、小矢部、と言われると、ああ…。小矢部市の玄関口。あ、もう駅に着く。(いするぎ、いするぎです。)

  もう9月だというのに、列車から出るとやけに蒸し暑かった。この日からしばらくはまた夏が戻ってくるのだという。北陸の人々が色めき立っているのではないかと、見かける人の胸を探りがちになった。
  普通列車で来たのだが、なぜか優等列車で来た感じであった。駅が明らかにかつて繁栄した特急停車駅で、旧急行の普通列車を優等と錯覚したのかもしれぬようだった。また一部しか特急が停まらない意識も関係していそうでもあった。

2・3番線ホーム。上りホームであることがわかる。

待合エリア。向こうが高岡・富山方。

跨線橋のたもと。あんな日陰なところにそば屋がある。

割りと独立性があるのだろうか。

3番線下り方。

  駅の裏手は貨物扱いがまるで現役のようだし、ホーム遠くにそば屋も見えて、ただの旧重要駅というのではなさそうな雰囲気がかすかにした。が、このときはまだあることを思い出していなかった。それにしても駅構内は昼の干潮のごとく人が引けていて、まったく人影がないではないか。遠くの改札口で、店の者と駅員が窓越しに談笑している。こんな大きな駅なのに客がいないなんて、と胸を打たれが、それでよけいに繁栄の石動駅が偲ばれた。

島式ホームから見た改札口。

待合室入口前。これもまた古そうだ。

待合室内の様子。

枠がクリーム色の鉄製の感じ。 こんな昔のタイプを北陸ではよく見かけたことがある。

隣のホームの荷物を出し入れしたようなところ。 レンガ積みがはっきり見える。

1・2番線構内。

駅構内高岡方端の風景。中線もホームも草が生えたまま。

3番線上り方。かつては隣接している朝日化工から肥料を貨物で送ったそうだ。 今もその形状が残ったまま。

階段前。

跨線橋にて。両白山地の端、五箇山の方。あの山の手前あたりが城端。

駅前を見ようとして。

高岡方。この平野は砺波平野。

金沢方。倶利伽羅峠を越えてきたところだ。

跨線橋内。

駅前を覗いて。

1番線ホーム金沢方端。峠を越えた安堵感があった。

愛称なしの号車番号札って…。 しかしここは急行能登の停車駅なのか。

ホーム端の様子。この辺から加越線が先頭を切ったのかな。

高岡方に見た駅構内。

保線車両がよく目に付く。

 

途中、駅前がよく見えるところがあった。

うどん・そば。どうも隣は倉庫のよう。

 

  駅舎に接した1番線ホームも、重厚のまま、静かに光と影の時間を刻んでいた。今は閉鎖されたかつての精算窓口が、緑のタイル貼りの壁に、真黒く浮かんでいた。水場もあった。改札口もきっと昔は、ラッチが並んでいたのだろう。いまは小杉駅のようにほとんど撤去し柵をして、有人窓口の通路一本になっている。中もきれいに直して、真っ白にしていた。

1番線ホーム。

1番線からの風景。貨物風景が目立つ駅だった。

 

改札口前。

名所案内板。

 

 

 

1番線、高岡方。

 

ホームから見えた駅舎の端付近。少し不思議な一角。

特急白山は1997年にすでに廃止。 信越本線経由(長野経由)で金沢と上野を結ぶ特急列車だった。

JRタイプの駅名標。

高岡・富山方面を望む。

金沢方面に見た駅構内全景。いちおう峠を手前にした駅。

 

外から見えないようにシールが貼ってある。 左はたぶん精算窓口があったのだろう。

 

改札口前。

改札口。ただ9月13日運転再開とだけ書かれ、 何の説明もなされていないところに、震災の人に与えた傷の深さが窺いしれた。

駅舎内にて。券売機コーナー。

柱のタイル張りがかろうじて旧装を偲ばせる。

おそらくラッチが並んでいたであろう場所。

出改札口。

駅舎内から見た改札口。

売店CHAO.待合室内にある。

駅舎内から見た待合室。

待合室の出入口の一つ。脇にコインロッカーがある。

待合室内にて。この売店では手いれのコーヒー、ゆで卵なども出しているそうだ。

変なタイルが貼ってあった。

どっちかというと山の幸だった。

駅によくある俳句コーナー。もう秋のものばかりになっていた。

かなり助かる時刻表。

 

 

ここには何が入っていたのだろう。

軒下金沢方。

 

駅を出ての風景。とにかくJAいなばの農協会館の建物が目立つのだが、 それは壁にほとんど窓がないから。中央にある窓だけ!

  小矢部の玄関たる、駅前の舞台へと出る。駅舎の軒下は広い高床になっていて、コンクリート寺院のようだった。それでこの駅舎は何かの寺を象ったのかとさえ、高床を歩きながらちらっと考えたほどだった。
  まず、ロータリー中央部のモニュメント置き場に向かう。こんなところ旅行者ぐらいしか入らなさそうだ。やはり倶利伽羅峠の戦いを記念している。角にたいまつを縛り付けられた牛たちが、軍勢を谷底に落としている絵だった。ファンタジーであって欲しくないほど、それがうまくいくなら、美しく素晴らしい発想だった。

駅舎前の様子。

高岡方に見た軒下。軒下には自販機がいくつか置いてあった。

ロータリー左手の様子。なんかこじゃれた建物がある。

駅舎脇のうどん・そば。このように外からも利用できる。 暖簾には麺類食堂・西日本キヨスク。 西日本をだいぶ東にやって来たんだ。

右手駅舎。

くりから不動寺に行くバスがあるようだ。

市営バスのバス停。さっきのバス停は随分硬派だったのだが。

北陸新幹線の広告塔。もうすぐ来ます。

石動駅駅舎。

 

駅舎端にあるトイレと、うどん・そば。 ロータリーがかなり広かった。

さっきの洒落た建物は喫茶店だった。店名は「源平」。 倶利伽羅の戦いに由来しているのだろうけど、喫茶店に源平って。

代わって駅前高岡方にて。

富山側の様子。転用地なのだろう。

石動駅駅舎。整った形。

駐輪所。

やけに印象に残るスロープ。

 

欄干が寺院を思わせるのかもしれない。

あのような感じの建築が小矢部には多くつくられたのだそうだ。

ロータリー中央部にて。

倶利伽羅の戦いに関するもの。

こんなふうに憩えるようになっている。

駅舎出入口。

石動駅の表示は小さいが、鋭いものがあった。

 

ロータリー中央部から見た駅前通。

ロータリー入口。

 

  駅前付近にはちらちら、小矢部の名を冠したものがある。国道を渡ってさらに歩くと、街全体が、夢見るようなかわいらしい感じに統一されていた。ほどなくしていくばくか窒息した。しかし、花がたくさん飾られ、沿道が優しげなのが、とてもよいところだった。もともと小矢部は、学校などの大がかりな公共施設も含めて、このような雰囲気で作っていたという。

「石動駅前」の信号。

倶利伽羅方。

福岡方面。近くに石動信金、スーパーなどがあった。

倶利伽羅方の道は何気ない風景が連なっている。

北方向に歩いて。

 

 

小矢部市のテーマに沿うものとなっているようだった。

突き当たりに駅。

倶利伽羅方。

こもりでんきのビル。このあたりでは目立つ建物だった。

さっきの交差点にて北方向を見て。

ロータリー入口前。

  それにしても駅舎はいじらなかったんだ。駅へ歩いて行くと、暗緑色のタイルを嵌め 亡霊が怖い顔してどっしり横に寝ている。ああいう雰囲気が多いとしたら、そんな中、この駅舎は信じられる確かなものであるようだった。

  もう暑い。早く待合室に入ろう。もういちど回廊たる石板舞台に上がって、帰る旅行者を演じる。待合室の今に似つかわしくない重たいガラス戸を推し入ると、古い冷房がびいんと効いている。奥に売店があり、冷たいものが目に付いた。
  駅舎内の待合室を出たところに、列車ダイヤの大紙が貼ってあって、わかりやすかった。 空気がむんとしている。さて、次は隣の福岡駅に降りるか。そうして改札を通った。

  夏らしく光と影のくっきりしている1番線ホームで待つ。昼で客も僅少だった。 古くさい名所案内板を見上げると、一部修正液で消してあるが、庄川峡当駅乗換という文言までは、はっきり残されてあった。え、ここで乗り換えって、庄川は城端線の方が近いじゃないか。はて何を消したんだろう。そこで、やっと思い出した。加越能鉄道の加越線。ここ石動から福光駅を通り、庄川まで鉄道が延びていたのだった。石動駅の雰囲気は、乗り換え駅のものだったのだ。ささやかな歴史を伝えたものが見つかり、大切に記憶したくなった。また、小矢部が砺波というのも、わかった。
  あの甘やかな街が、この古びた駅と、倶利伽羅の戦いといういしずえの上に、ふんわり浮かんだ。

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