糸魚沢駅
(根室本線・いといざわ) 2010年9月
久しぶりに浴びる北海道の風だったけど、やや暑く、みどりの匂いで、山の匂いがした。痕跡としての入構カーブを見て、その揺れを思い出す。もの悲しかった。
このあたりは厚岸に連なる湿地帯となっている。しかしそれは観光地のような観光地としてではなく、ただ当たり前に森の中に潜んでいる。
北陸への切符を機械で買う際、イトイと入れると、糸魚川だけでなく、糸魚沢も出てきたことがあった。一字違いで全然違うことになるなと思ったその駅に今いる。糸魚という、特定的な言葉が入っているだけに思い描く映像は似通っているけど、沢と付くと、川よりもより行きにくく、険しいものを感じ、曇りのブナの森の、眩しい緑が見えてくるようだった。こんな"遠い"東道東に、いまも焼き板張りの駅舎が朽ちずに立っているということで、旅人にはわりと知られているらしかった。
「糸魚川行ったけど、糸魚沢はなぁ」
「でもこうして糸魚沢にも来たわけじゃない。」
機械なら簡単に列挙するその二つの場所。
だだっ広い広場は男性的にも土のままで、近くには短く切断された丸太置場がある。きっとかつてはただ使われるためだけにある駅舎だったのだろう。文化というより、逞しさを感じる。今もおこれだけ十分な土地で人を招いているのを汲むに、そこに吹く風には虚しさを感じた。気候のもたらす力を慮いやる。
集落を歩き、昔の廃バスに遭遇する。
別にある時代に戻りたいとは思はない。ただ単に過去というものがあるという、その事実が懐かしい。つまり、過去なんて存在しないものだと思えるくらい、今と、不安な少し先しかない、そんなところだろうか。
どうして糸魚沢の集落ができたかは不思議な感じがする。開拓系というより、杣人系だろうか。釧路─厚岸は交通量もなくはなくて、そこそこ走り飛ばすこの国道沿いの糸魚沢の街村には自販機や郵便局が揃い、貴重なオアシスとなっている。思わず、都会だ、と独り言ちた。
こういうところが消えてほしくない意いの中、わずか二十分ほどで茶内に戻る。