加太駅
(関西本線・かぶと) 2006年12月
柘植から下りに下りまくってようやく加太に着いた。柘植からの営業キロは8.9キロ。関西本線において、最も駅間の営業キロ数が大きい区間だった。また、地形図によると加太駅の標高は高く見積もっても160mで、柘植駅の標高はおよそ250mだから、どうりでずいぶんと下ってきたわけだった。ホームに降り立つと、気動車は颯爽と私一人を置いて走り去っていった。やはり電車とは加速度が違う。しかも二両しかなかったから、去りゆくのも速かったのだった。列車が去って駅舎が明らかになった。私の背後は山裾であったし、駅舎の向こうは集落のある少し広い谷の地形であるらしかったし、そのずっと向こうには山々が連なっていたから、山々に囲まれた、少しだけ高い所にぽつんと下ろされた感じがした。
上り線ホームの待合所。
改札口付近から関駅方面に構内を見渡して。
左に写っているのが、先ほどの待合所。
下り線ホームから柘植駅方面を望む。
山容はいかにも鈴鹿山系といった感じ。
向かいにある上り線ホームの駅名標。
下り線ホームの駅回廊の終わり。
手洗所。上の写真の回廊の端から振り返って。
中はきれいに清掃されていた。
改札口付近の回廊内から関駅方面を見たようす。
駅舎の事務室のホームに面した窓の桟に掛かった駅名標。
上の写真の右手にあった。
改札口と駅舎の回廊。
ホームから見た駅舎内。
外の入口から見た駅舎内。
ホームを歩いていると少し離れてログハウスが建っているのが目に鮮やかに入ってきて、あ、新しい駅舎を別にあそこに建てたんだ、と思い、近づいていくとホームから出る道までついていたからますます信じはじめたが、冷静になると、そんなわけはなくて、そんなはずはなくて、ただの個人宅で、自分はどうかしてると思った。頭を正常に戻し、古い駅舎に入る。
駅舎内の長椅子が、極薄い、やさしい緑色に塗られていて、朝のきもちのよい静かな陽光とあいまって、とても爽やかな雰囲気だった。しかし、白塗り板を渡した天井はカビのようなものがびっしり生えていて、薄黒くもなっていたことには驚いた。どうも本格的な手入れや大掃除はなされないようだ。加太駅は無人化されたため、出札口の白いシャッターが開くことはもうないだろう。ところで、極薄いやさしい緑に塗られたこの椅子は、 その色からJR東海の紀勢本線の駅を連想した。私の知っている紀勢本線のいくつかの駅では、これと似た色が、オレンジ色とともに用いられていたし、ここからそれらの駅が近いからだった。きょうはその紀勢本線にいよいよ出るんだ。
駅舎の一角。
出札口。
改札口の右上にある時計と列車の運休日。
個人宅にあるような時計でなんだかおかしい。
改札口上にある運賃表。
初めての駅に来たとき、
運賃表は金額的な距離を把握するのにとても役立つ。
駅の字が旧字体になっており、こだわりが感じられた。最近掛けられたという。
駅入口右脇にある加太駅のバス停。
加太駅駅舎。
駅から出てその1.
駅から出てその2.
駅前の風景。
貴生川駅の、思わず縮こまってしまうような寒さではなく、適度につーんと冷たい感じで、よく晴れた爽やかな、冬の朝の里山に囲まれた駅前だった。しかし、それほど静かではなく、名阪国道の喧騒がファーンファーンとここまで届いてきていた。
電話ボックスのある駅前。
このとき一人のおばあさんがやって来た。
一人の60くらいのおばあさんが駅に来て、続いて自動車に乗って40くらいの男の人がやって来た。列車の来るにはまだ時間があるのにおかしいな、と思っていると、車から出てきた男性は、駅前にいたおばあさんに、自分の車を指差して「ここにバスは来ますか」と尋ねていた。返事を聞くと、踵を返して車に再び乗り、自分の車を今よりもじゃまになりそうにないところへ引っ込めた。どうもこの車の人は地元の人ではないらしい。これから列車に乗っていくには荷物がほとんどないに等しかったので、この人は何しにきたんだろう、と私は思っていた。そしてたぶん、私も相手に同じことを思われていただろう。その人が車を移動させて、数分と立たないうちに加太駅前にバスが来た。バス停によると関市所前行きだという。駅のすぐ前のヘアピンカーブを登ってきたのではなく、駅から出てすぐ右手から来る、路肩が駐車場として使われているくらいの余裕のある道を上ってきたのだった。客の乗り降りはなく、ドアが閉まった後、駅前の敷地でターンして元の道を帰って行った。
電話ボックスの辺りから見た駅前の風景。
あのログハウスが駅舎かと思った建物。
電話ボックスと錫杖岳の説明板。
貨物側線。
駐車場の道を進んで見渡した加太駅構内のようす。
上の写真の右手にある屋根付き駐輪所。
中に自動販売機と自衛隊の宣伝看板があった。
駐輪所より先の道。
駅前の坂道を降りて。
駅前からは細い道がつづら折に下って主要な道に接続していそうだったので、とりあえず駅からその坂道を下った。
沿道は田畑が所々ある静かな田舎風の集落で、道は自動車もめったに通らず、中央線もなかった。ここからさらにどちらの方面に進もうか迷う。広々とした風景の広がる関駅方面に進もう。今思えば逆方向がよかったかもしれない。家々も見られるし、静かな向井インターチェンジというのも見たいと思っていたのだから。
広い道に出たところには加太駅への案内板があった。
写真は中在家信号所方面を望む。
奥のほうには名阪国道の向井インターチェンジの緑の案内板も見える。
さらに中在家信号所方面に進んで。
反対側、関駅方面を望む。
前方の左に入る道が駅に入る上り道。
関駅方面に進んで。
田舎の県道を歩いていると思っていたのだが、国道25号の表示を発見し、これこそがあの非名阪であることを知った。駅を出たときから名阪国道に気づいていたのに、ここまで気づかなかったのは、やはり、これが国道25号だとは思えないからというよりほかなさそうだ。この国道は、いまや無人インターチェンジつきの名阪国道(25)に取って代わられて閑散としている。
非名阪から見た加太駅の跨線橋。
途中、駅のホームの端に出そうな、坂になった脇道があったので上る。すると、上り亀山行きが通過していった。軽そうな一両が、平然と山の中の坂を下っていく。次に乗りたいのは上りだったから、これで次の列車まで時間があることになった。山に入っていくこの道を進むと、鹿伏兎城跡や諸戸養鱒場へ行けるそうだ。しかし、それはあまりにも遠いから、適当な里道を使って、駅へ帰った。それにしても加太を鹿伏兎と書くのは、なんだか万葉風だ。
踏切から加太駅構内を望む。
踏切から関駅方面を望む。きれいなカーブが出ている。
脇道に入って、振り返ってみた踏切。
途中、先ほどのログハウスの家の玄関が現れた。薪がたくさん格納されている。どうも手作りの上質な生活を営まれているようだ。ここは名阪国道のインターチェンジも近いし駅も近い。街への便利さと山の自然を取り入れられる生活を営めるというわけか。こんな所に暮らすのも悪くないかな…て、何を考えているのだろう。
予想通り、駅舎前への土手道があった。
土手道を上ったところから見た上りホームの待合所。
駅へ帰還し、少し離れた駐輪場の中の陰に自動販売機の入っているのを見つめていると、なんと上り列車がもう来てしまった。というのも、あとで時刻表を見てみると、さっき見た列車の次は、15分後だったのだ。たまたま、上り線の2列車の出発間隔が最も短かい時間帯だったようだ。この路線はだいたいは1時間間隔だから、まだまだだと思っていた。
ワンマン列車の場合、停車時間が短いことが多く、前もって立っていないと間に合わないことがあるから、もうこれは無理だろうなと思いつつも、早いような、そうでないような足取りで、駅舎をくぐって跨線橋前まで行くと、先ほど車で来た中年の男の人が一眼レフカメラを抱え、白い紙を被写体にしてホワイトバランスを設定しているところだった。ああ列車の来ない時間からいたのがわかった、列車撮影しに来たんだったんだ。
下り列車も入って来て交換で、上りはいつ出てもおかしくなくなる。もうこれは列車に乗るのは駄目だろうと決めてしまって、跨線橋に上らずその前でおとなしくしていたが、上り列車はどうも集団の登山客の精算をしているらしく、もう少し停車したままになる感じだったので、これは乗れると思い急いで跨線橋を駆け上って、すでに精算を済ませた登山客の一部と橋の上ですれ違いながらも、階段を下りてホームへさっと滑り込んだら、それでも前ではなく後ろのドアから乗り込むことができた。
車内のシートは全体がまんべんなく埋められていて、この区間でも結構人は乗っているのだという印象とごっつんこ。ロングシートの部分に空きを見つけて着席。ようやく登山客の精算も終わり列車は出発した。次は関駅で降りると決めた。草津線を通って柘植まで来て、加太で下車した私は、そろそろ明るい街を見たいころだった。
交換中のキハ120系。