粕淵駅
(三江線・かすぶち) 2011年7月
バスはするすると終点の粕淵駅前に入ったが、そこはいかにも街からちっょと外れたところにある、ハコモノふう商工会館の前。乗っていた婆さんとともに二人してありがとうございます~といいつつ、下車。なんか曇っていて、蒸し暑く、「ここどこやねん…」と。いやいや、君は駅に来たんじゃないか。別に商工会館にイベントを仕掛ける相談に来たわけじゃないし、とこか店舗を斡旋してもらいに来たわけでも…そう、そういう"ビジネス"ではなく…旅行、ほら、商工会館の右手にちょっと出っ張っているところ、あそこにちゃんと粕淵駅と書いてある! ちょっと、ホッとした。なんだか早く駅に入りたくて…でないと落ち着かないんだ。
こうして竹駅から絶妙な接続でバスに乗り、粕淵駅にやってきた。静かな構内に入ると、ちょっと別世界の感じで、そこには眠たそうに一条のレールが、もう列車が来ないかのような感じで、けれどもメルヒェンな雰囲気で平地を這い、向うはすぐに古ぼけた鉄橋になって、江の川を渡っているらしかった。












駅は合築なので新しいため、ホームの待合室たけが、昔の様子を物語ってくれていた。座布団だらけのそこは、ばあちゃんがここだけはそのままにしておいておくれと懇願して残された母屋の脇にある付属の休憩所を想起させた。かつて島式だったホームの片側はゴツいコンクリートが竣工していて、その上が高台の感じで駐車場になっている。かつてはヤードっぽくなっていたのかもしれない。というわけで、三江線の中で最も現代に合わせて縮小化のなされたのが顕著な駅となっていた。









商工会館の一部が待合所みたいになっていて、窓口は直接、その広い事務室につながっていて、女人一人が仕事中だった。こういったところでは事務にありつくのも大変なんだろうなと慮る。待合部は湾曲壁の明り取り部、天井や壁には木材を組んで凝ったところがあり、金かかってるなぁと。90年代かなとも思ったけど、割と洗練されていて00年代初めといってもわからなかったかもしれない。
三江線の写真が引き伸ばされてきれいに展示されていたが、旧粕淵駅のものはなく…話によると、浜原駅みたいな感じだったらしい。





霊芝って昔流行ったよなぁ







駅前はバス降りたときはじっくり見られなかったけど、こうしてみてみると思ってたのと違うなぁと。いきなり高々と間知石で擁壁が組んであり、その上に住戸が…
ともかく何かかつての鉄道に関する面影がないか見て回っていると、ある男性と女性事務員が、30mほど遠くに姿をふと現した。そして私を見るなり、
「あっ! 若い人がいる! ほら、あそこ!」
「…ほんとね」
「いやぁ、俺にもあんなころがあったんだよ!」
そういうと、男性の方はちょっとうなだれ気味に、二人してどこかへと消えていった。
私はあっけにとられた。そ、そんな言うほどのことなのか…と。もしか、おれ今とんでもないことしてる?
いや、それはそうかもしれないけど、奴さん、そんなふうに気を落とさないでくれ! みんな行くところは一緒だ。おれだって早晩そんな台詞を吐くことになるんだ。自分はそんな、若くてどうだなんて、思ってやしないよ。ただ、三江線の駅巡りに来ただけなんだ。ダイヤがないから、バスってここまで来て、ここからは列車に乗る予定なんだ。それだけ、それだけなんだよ! そしてこんな営為を繰り返さざるを得なくなってる、何か写経のように同じことをして生産性を確保せざるを得ない、だから、まあ、そんなに、うまくいってないってことなんだ。だから ―
厭なものを見ることになった、とも思った。それは自分の中にかもしれなかった。ともかく、このねぼけたアスファルト広場でのどっかに腰かけて、時間をやり過ごすのはすべきじゃないな、と。この市街には、コンビニがあることを知ってる。少々遠いが、そこまで歩くんだ。予定した通り。そうして、食糧調達し、またここに戻ってきて、次の駅に向かうんだ。そうして時間を使うんだ。何か無駄なところがあるだろうか? 無駄をしに来たんじゃないか? 無駄をしに来たのに、無駄をしていないように見せかけるとはなんぞや! もし僕が…この曇り空の下、この商工会館前の転回広場のどっかの端に腰かけて、時間をやり過ごすような人だったら、元から僕は旅なんか画策しないだろう。そうなったらもう、おしまいだ。旅なんだけど、旅じゃないように見せている間は、旅が終わってからも、きっと、同じ年代で、同じことを追求するところに戻ってこれるはずだ。


美郷町商工会館との合築



駅前の道路はぎりぎりまで建物が迫ってて、坂を下って来ていた。そう、こんなふうに道というのは街に入り、街は道を迎えてきたわけだ。そうしてまたすぐに街を抜けて、長い山の旅になるのだ。

右手









今は大場に嵩上げされてます













市街の方に歩き出すけど、なんか沿道も寂しいし、山登っていく感じなので何度も印刷してきた地図を確認。あってるよなと、自信を持つ。しばらく歩いてわかるのは、ここは起伏の多いところだということ。平地があったから街ができたと思いきや、そうでもないらしい…
途中、めちゃ古いベトンの駅ゝタクシーなる事務所があり、えきちょん、と読むらしい…ちょんと気軽に乗る感じなのかもしれない。




しだいに、街が生きている感じがしてきた。旧式な青いトラックが走り、かたや、あそこでは電線の工事をやっている。しだいに昔の商店が道に迫り寝天気も良くなってきた。美郷市街である。





そんな中で案内板に石見銀山や三瓶山の表示を見ると、ようやく島根らしいところに近づいて来たなと。これまで下車してきた邑南町はほんと島根の最奥部で、行ったことのある人も少ないんじゃないかなと。












菓子パンやゼリーの置いてある商店を過ぎ、コンビニポプラに着くころには交通量の割とある道路に出て、眼前には立派なハコモノふう役場がドンと控えた。にしても、ばあちゃんゼリー好き問題は重要である。かつて蒟蒻畑ゼリーが問題になったが、それもその嗜好性に起因するように思われるのである。
昔はまぁとに気軽に食えるものといえば、とかくそんなふうに日持ちのするものしか頼れなかったけど、そこにコンビニが現れたわけだ。ポプラは店内炊飯ごはんをよそってもらえるカレーが食えるので有名である。が、今回は時間がないので、ピザパンとホットスナックとコーラにした。








近くの気温測によると34度とのことで、猛暑日手前である。天気は雲多めだけど、青空が見え、それが少なくても気温のせいか晴れているように錯覚する。というか暑すぎて、天気なんてもうどうでもええやん、状態だった。
庁舎の近くに小中が集まり、中学はより高台だ。こんなところで送る中学生活も悪くないんじゃないかと思った。ほどほどに賑やかさがあり、旧街区もある。夕方までホルン吹いて、鉄道で下校する。それぞれの年齢に応じた町の広さってあるもんだよなと。



最近できたハコモノ的施設が多いような…まぁ、でも広域の中心部ですから、やはり気分良くしとかないと…



都賀本郷が案内されています
少しく歩くともうトンネルだ。越えればまた違う街へ行ってしまう感じだ。都市は本当に大きい方がよいのか、そんなことをふと惟う。ネットのおかげで、あれやこれや探しに行く必要も、もうなくなった。却ってそれは、コンパクトな市街を誘因するかもしれない。










甍の波の旧いまちを歩いて、駅へ逢着。気温もそのままに、ちょっと曇った感じもそのままに、駅は公施設の一部としてマッシブな感じでそこに存在感を以前より増していた。煮られた鶏肉のように躍動する肉体が、そうさせたのだ。もう、さっきここであったことは忘れかけていた。何があろうと、来た以上はそれなりに動かないと。今はただそれだけだ。
列車が入ってくるとここが主要駅のように見えた。ここから列車に乗ることも自然なことのように見えるだろう。
木造舎あり、合築あり、ホームのみの駅あり、そんなふうに旅しているのが実感される駅だった。



