春日山駅
(信越本線・かすがやま) 2009年9月
大学3年のSは9月の始業後、一週ほどをガイダンスで無駄に授業をつぶしたころであり、ある晴れた夕刻帰るためにふらふらと春日山駅に向かった。これは駅名からすると非常に賑やかで活発な近郊のせわしない駅という感じがするかもしれないが、じっさいは直江津のたった一駅外れただけで現れる郊外の駅であり、得意の海手らしい魅力もなく、山方であるのに昔気質らしい町もなく、新開発のアスファルトや見通しが広々としていて、がっかりを通り越し、もう、気持ちよいくらいのところだった。この時刻現れるのは帰ってきて家に夕食を求める高校生か、同学の私服の疎遠な学生くらいで、時間を通じて人が見当るということはなく、清潔なアンダーパスから走行音が響いてくるばかりだ。Sは時代遅れなGジャンを羽織って(これもSのポリシーというより、子供のころおさがりをあてがわれたことがあるようにほとんど誰かのお古を適当に着ていたただけであった)、だらだら外股ぎみに仮設駅の数段を昇り、いつものくだらない待合室内を一部だけ眼に入れると、周りの黄色な時刻に比して、やけに蛍光灯が白く機器の新しい駅務室にいる駅員を横目でちらりとみやってから、そのまま改札を通って、すぐ現れる一つしかないホームに出、まっすぐ前を見たまま一人掛けの椅子にすっぽりと腰を下ろした。背には透明な羽目板があり、後ろからは見えない。その後ろから同期の者の自転車置き場あたりでの嬌声が聞こえる。空気が清澄だった。「はは、あの駅員、目玉をくりくりしてユーモラスな表情であっちこっち歯磨いてやがったぜ」「珈琲を頂いた後だな。」
このあたりでSは携帯を取り出したいところだが、もうそんなことは飽き飽きしていた。「くだらない時間の飽和感は無為だ…」と、そろそろ夕冷えしてきたのをこらえながら、目の前の庁舎を見やった。「あの中ではどんな人が勤めているんだろうね? おれの大学からは入らないらしいけど、これはいったいなぜかしら。なんでもこの仮設駅と合同にするって話らしいけどなぁ」
実はこの駅、もう10年以上も仮設のままなのである。開業はずっと古いのだが、決まる前に壊してしまったみたいで、Sにはそんなふうに話が進んでいないようにしか思えなかった。
「おれが卒業するまでには、できてると思ったなになぁ」
Sはおもむろに立ち上がり、のろくさとしているようで凄まじい瞬発力を発揮するように、「ピッチャー、一球、投げました」といった格好でバラスト砕石一つつかんで庁舎めがけて投げる、というようなことは、まったく考えにも上らず、けれどもそんな姿態のままではあって、たいへん伸び伸びした悠然とした気持ちで、ノーブランドの黒鞄はそのままにして立ち上がった後は、くるりと方向転換し、駅前がよく見える柵に両肘をついて、風に吹かれた。
アーバンなアンダーパスが時間を作っている。次々に灰白のカチカチのコンクリートの坑口から吐き出される個々に動力を持った車たちは、未来的にゴムタイヤを真黒な水はけのよいアスファルトに摩擦の快音を滑らせ、遠くには幼年期のロードサイド街の片鱗をうかがわせている。
「何だい、おれの人生も仮設なのかい?」
夕方近くで、車幅灯(しゃはばとう)をともす車も出てきている。
Sは大学も新設の適当なところを選んだため、大学も仮設という感じがしていた。
「でもこの春日山駅前って、おれに合ってる気がするけどね。ここは直江津でも、新潟でもなく、突然出現した新しい街のようじゃないか。軍港港町だとか、妙高の山の予感だとか、そんなものはもう、ぺっぺだ。めんどくさいんだね。」
開拓者の木造小屋、やがて有形文化財になれり、というような台詞をSは繰り返した後、
「おれはどこでもない街に行きたいよ。きれいさっぱり、思考をリニア―にしたいんだ。どうも伝統文化と記憶の継承をおこなわん人の中は、それができると錯覚している人もあるらしいね。」
春日山、ときたのだからこの五文字を句の上に据えて一首詠まないと、と迫られているようで厄介さを感じ、また同時に、春日山が何らかのトラップであり、違和感かもしれないのを感じはじめた私は、Sには笑われたことだろう。
Sはわりと真実にこの春日山、と名付けられているかどうかも、名づけらるにふさわしいかどうかもわからない新界隈を肌に親しませ、穏やかな目で風とそして時間を眺めていた。仮に駅の建設が終わっていても、同じことだったろう。もしそれも終わり、街ができて、人が定着しだしたら、Sは内なる要求の再出発を感じるか、もしくはそのエネルギーの渇しているのなら、若いころの歴史として、このときのことを穏やかに思い起こすだけかもしれない。
その後、Sは北海のとある都市に赴くことになったのだが、日本地図すらきわめて怪しいSには、その地についての共通認識はろくにもっておらず、またそれを信用する気も、決して懐疑というより単純にやる気や想像力という意味で起きず、けれどいろいろ調べてやはり自分にも何もなさそうだと知ると、いや、仮にあったって、おれにはきっとわからないわ、と失笑して、放っておいた。ただ社会人向け賃貸マンションを決めるとき、やはりアンダーパスの近くにしたそうだ。Sの楽しみは夜その近くの店にコロッケを買い求めに行くことである。「やかましいのはあるが、車を眺めているというのもいいいもんだなぁ」 事故も社会の椿事の一件ように映った。Sは雪国育ちだったことを内省的に顧みることもなく、また特段に失敗だと後悔する機会もなく、そこでそつなくやっているが、それから8年ほど経ち、もっと何もないところに行けそうな感じだと思うことが多くなっているということだそうだ。