茅沼駅
(釧網本線・かやぬま) 2010年9月
朝曇りは鳥の鳴き音とともに起こされる。瀟洒な緑樹がつめたい空に枝をさし伸ばし、繊細な湿原がやさしいみどりを広げる。ホームに出てミストを浴びた。たしかにここは駅であった。
すぐに思うのは、湿原と同じ平面に駅があり、おまけにホームの目の前が湿原なので、あまりありがたみがない。内地だと結構深山に入った標高のあるところにしか湿原はないというイメージなのだった。駅の周囲はタンチョウづくしなのだが、冬にしか来ないので見かけるわけもない。
駅すぐ近くにひと気のないペンションや茶店があり、何より駅名標の下にフィルムカメラの中椅子のあるのが懐かしく、80年代後半から90年代にかけての観光の様相を彷彿とさせるている。あの頃は大学生もお金持ちだったのてはなかろうか。また当時子供の時分にはそこに座らされて、写真を撮られた人も多かろう。
早めに目が覚め、始発まではだいぶあったことをいいことにやたら散策した。人も車も見かけず、ただこんなとこに私は独りだった。しかし飲み物も買えポストもあり、どうやって繋いでいるんだろうと思う。
もう白く明るいが、まだ私の旅がほかの人々と同じ生活の中の一環となる時間とはならないだけに、なんともいえない、早起きのもどかしさを感じる。子供の時分、日曜の朝はやく元気でとても損なのと似ている。そしてせっかくの昼頃に眠くなってしまうんだな…。
片隅に動輪を転がし、タンチョウのため立ち入り禁止となにかとお触れのある駅の、土のままの駅前広場。そこを私は歩き回りながら、何か人を求めていた。
だけど誰もいない、この無人的要素、つまりこれが、観光の正体なのだった。そしてそれは私の心の中の沙漠を映していて、自分で自分の沙漠を観照的に観光していたのだった。訪れる人々が歩いているのも実際はどこもそんなところなのだろう。私はこれを味わい、これと付き合っていくしかないようだった。