紀伊市木駅
(紀勢本線・きいいちぎ) 2010年2月
一両の列車を制御する運転士は停車後なぜかやたら朗らかに私を解放した。集落型の駅だが、内陸の田畑の見晴らしが少しあり、静かな道から駅舎を眺めてみても村の駅という感じがする。妻屋根だが重厚ではなく、簡素な直方体のモルタルづくり、似たような駅が付近にいくつかある。開業当初のものだ。
降りると三人が話し込んでいた。独りは中年もかなり過ぎたしっかりした男性、もう一人は中年の母親、そしてあどけない男児だ。話している雰囲気からすると、ちょっともの悲しい感じである。私は雰囲気を察し、駅にはとどまらず町の方でやり過ごしていた。
夕光疲れの中、なんとか道路を渡り、松林に入り込む。鬱蒼としているが、一応公園という位置づけらしい。たまに犬の散歩をしている人に出会うくらいで、連れ込まれたら終わりな感じだった。
交通量は和歌山にいるたときより格段に増えた。といっても梅ヶ谷などの山間まで及ぶことはないだろう。防潮林を縫って、堤防越しに海を眺め下ろす。黒い道のような浜の向うに相変わらず果てしない砂礫浜があり、彩を失った大洋が揺籃され続けている。ここには海の持つ二面性の一つの不気味さが表れていた。フェリーありあけが座礁して横たわっている。作業する人もいない。大事件だったが、たった数年で覚えている人もいなくなるとはこのとき思ってはいなかった。この事故があったから私も紀南行きはよそうかと思っていたくらいだ。油が流出し、解体作業も行われるとのことだったからだった。さっきの七里御浜からも小さく見えていたが、こうしてひっり返った船を目の前にすると、こんなことで思いとどまろうとしていたのかと思う。それだけ望洋を楽しみにしていたのだろう。つまりは、冬の南紀という想像、そしてそういう現象を追いかけているのだ。そしてそれは作られたものだ。
戻って時刻表を見る必要が出てきて中に入ると、彼らはまだ構内の方を向いて話し合っていた。
茅舎の中は夕光が差し、強い風が吹き抜けている。
男児は、男性が母親に何かを真剣に諭しているそばで、体をくねらせて遊んだり、ふざけたりしていた。母は何度も注意するが、一向に聞き入れる気配がない。「それはお母さん次第です。もちろんこの子の自身の意思もあるかもしけませんけどね。」「…でも、この子がどうか言うかですね、やはり距離もありますし…」 そんな感じで、噛み合っていない。男性は、いいや、結局お母さんが無理なのなら、無理なのです、どうなんですか、そう迫る。結局、親の肚の決め方しだいなのだ、と。そして、男性はたまらず、ふざけている男子に野太い声で「ちゃんとしろ!」 すると、男児はまるで嘘のように神妙な表情になって、おとなしくなった。母親も、男性の話を聞く際、さっきより少し表情が真面目になった。子供に手を遊ばれなくなり、手持無沙汰になったら手もあった。「お母さんががんばらないといけないんですよ、もちろん君も、がんばんないといけない、それ以上にお母さんの決心も必要なんです。」 最後、母親は柔和に少しはにかんで、「まあ、とりあえず通ってみて、この子がどう言うか、それで考えてみたいと思います。」 すると男性は、にこっとして、そうですか、じゃあ待っていますよ、というと、男児にも、「これから頑張るんだぞ」と励ましていた。
来月で三月になる。様々な事情から、ほかの人とは違う門出を迎えざるを得ない人もよう。この男児も、よもやこういう道を歩むこととは思ってもみなかっただろうと思われた。しかし男児は今のところはそんなことに思い悩む様子は今のところられない。きっとその子の母は優しいのだろう。
紀伊井田など誰も知らぬ駅だ。この寒い茅舎で男児が間接的に重大な決心をしたことになるとは、後々本人も思わないだろう。我々は自由に生きているようで、そうでなく、こんな感じで、好きでも嫌いでもない、そういう道に入ることになったり、そういう駅を日々利用することになったりするのだろう。いったいどうして生まれた状態や生まれたところが選べるわけもないのに、我々が自由に生きているなどと言えようか。いや言えない。そういうものなのだから、私ももうこうして渡り歩くのはやめたいとも思えた。それぞれ個々の在り方こそが貴重だからだ。しかしその貴重さを感じ、表したくなるとき、もはやその感受する当事者にはなれず、傍観者になるよりほかない。私自身もまた、好む好まざるにかかわらず、こんなふうに駅を渡り歩くことになったということ言えればよいのになあ。だっていったいどうしてこんなに駅ばかり回ることをしたいなどと思うだろうか。
しかし彼らが去ると、小さな駅は私を慰めてくれた。ただ単に私を南紀を冬に彷徨う旅行者にしてくれた。様々な海あり、時間あり、そして村もある。思い返せば和歌山市外からずっと廻ってきたのだった。ただ単にそういうことだ。眼前の庭木の蜜柑がまぶしい。接近装置が木造舎の壁に響く。直線のずっと先を窺うと、列車の頭が揺らめいて見えた。一両の列車はそのまま直線をやってきて、すっと我がホームに横付けする。少しバスのようである。運転士は停止位置に注意を払ってばかりいた。こんな瑣末な駅でも! 車体にはオレンジに緑のラインをほそく引いていて、明るかった。