欽明路駅

(岩徳線・きんめいじ) 2011年5月

欽明路峠を越えた

 早朝、山深い柱野駅から徳山方面の列車に乗る。そのころにはもう外は十分明るかった。上下線の運行時間の差を利用すると隣りの駅で十数分過ごせるので、欽明路という駅へ向かった。時刻表上は単なる時間差でしかないが、実際の地勢は長いトンネルを抜ける峠越えだった。駅に降りるためだけに予定を組むと、こうして峠を挟んで行きつ戻りつすることにもなり、少々旅情が薄れてしまうことは多かった。まっとうな旅なら峠を越えて、そして街に出て、またその先の峠を越えて、そうなるはずだ。逆に言えば今自分がしているようなこんな旅は、数字の上だけの近代らしい巡り旅ともいえるかもしれない。

 欽明路峠は古代から知られる、周防の国で最も険しい峠だ。山陽道の一部である。図らずもそんな峠の手前の駅で駅寝していたとは夢にも思わなかった。道理であの駅は寂しかったわけだ。  しかし峠の反対側、玖珂側の欽明路駅は90年代にできた停留所で、周りの風向も明るかった。  天気も良くて、日差しが強く、冷えていた体が急速に温まった。また今日も昨日と同じような一日が ― 幸せなことに ―  始まるのかため息を交えた。

ホームにて玖珂方
田植えの時期だった
1990年にできた駅だという もっと重々しい駅を想像していたが…
椅子が破壊されてました
決して錆びない亜鉛メッキの柵が目立つ

 欽明路の名にはいかめしい木造駅舎が似合いそうなものだが、先の記述から想像されるように、実際は決して錆びないと言われる亜鉛メッキの柵を駆使した、集落と田んぼの中の高台の無人駅。こんな駅降りなくてもよかったかとも思うけど、駅数を増やしたかったし、つまらない駅でもよく探せばおもしろいものが見つかるのでちょっとくらいは期待していた。

名所案内 例の万葉集の歌が掲載されています
柱野方
ようやく開けたところに出てきたなと
それでも遠くの山影は随分と鋭峰だ 岩国というのはああいう険しい山やカルスト地形のことを言ったのかもしれない
券売機あり
少しだけ町っぽい片鱗が窺えた
柱野方

 駅舎はないけど、地平にひっそりと隠れるような待合室、それからいかにも木造舎がかつてはあった、みたいに誤解させる立派な松の植え込みが両脇にあった。いちおう遠くから見てそれなりに駅には見えるように設計したらしいところに、思いが感じ取れた。けれど石膏ボードという廉価な仕上げの室内は蹴り込んだ破壊跡が多数あり、粗暴犯がいるようだ。というか、こんなところ地元以外の人が利用することはまずないので、この辺にいるということになりそう。かなり苦労されているようで、ボードを切って直した跡がいくつもあった。田舎だからいろいろあるのかなぁ…

中は破壊しつくされていた にしても石膏ボード仕上げとは…
直した跡がいくつもあります
そんなわけで駅寝は勧められない
ホームのごみ箱はこんなでした
柱野方
鉄路に沿ってアクセス路が整備されています
欽明路駅その1.
玖珂方にも同様の道があります 里道だったのでしょうか
駅前駐車場 月極とは書いていない
欽明路駅その2.
欽明路駅その3.
広大な敷地がありました
遠方に駅
旧山陽道

 あたりは欽明路の集落。山口の重々しい民家群が朝日に横たわっている。ここでは時間も余れないので、かなりの早歩きで見て回った。山陽道なので、ささやかな商いもあったかもしれない。気ワン的には代々住まわれている方がほとんどのようだが、ほんの少し山手の方には新興住宅地もできている。隣の玖珂市街に生業があるのかもしれない。

上には欽明路道路が通ってます
旧山陽道に戻って
欽明路道路から欽明路の集落にに下りてくる道です

 途中、なんかバイパスから降りてい来るようなけれど古い道に出合った。車の気配は全くない。けれど登っていくと走行音が激しかったのでやめにした。その先が岩国と玖珂を結ぶ最短距離のバイパス 、欽明路道路と知ったのは家に帰ってからである。困難な峠越えだけどどうしても越える必要があったと見えて、地図にはその痕跡が見て取れ、そんなわけで随分とこの峠に興味を搔き立てられてしまった。ちなみに山口ではたいていそうであるように、峠はタオと読む。

欽明路ランプ
欽明路駅その4.
欽明路駅その5.
欽明路駅その6.

 ここから順当に玖珂方に旅できるのならなぁと思うくらい、峠を越えた開けた感じと青空。けれど岩国を昨日置いてきたので、どうしても戻らないといけない。岩国に戻った後は、山陽本線経由で旅する予定だ。にしても長距離ドライバーは玖珂経由で走るのに、鉄道ではそれにあたる岩徳線は、ほんと乗られなくなってしまった。  そうして二回も僕は欽明路峠を越えたわけだ。けれどもともと走っているダイヤを捕まえただけ。余分に燃料を使ったわけじゃない。それが自分には心地よかった。