北浜駅
(釧網本線・きたはま) 2010年9月
車内は軽装の旅行客が多い。荷物の大きい人もいれば、そうでない人もいる。みな落ち着いて向かい合って座っていた。私の座っている長座席でもそうだ。
おそらくはその気候には何か異様にすばらしい車窓が広がっているはずなのだけが、私には察せられた。そしてその偉大な名画が、とんでもない墨汁によってひどくけがされていることにたいそう心を痛めた。
運転台付近にはアロハシャツにサングラス掛けたやくざ風の男と、もう一人、そこから撮りたがっている目の厳しい男性とが静かで激しい小競り合いを展開していて、私は吹き出さんばかりだ。撮りたい人も時間と金をかけてきているのだという意気込みが見え、グラサンを気の力で押しのけ、何枚か撮って去った。グラサンもグラサンで、なんでそんな威圧しながらこの釧網本線を乗り鉄しているのかわからぬ。かっこもつかないし、かわいいのか、何が何だかわからないけど、しょうもない見栄をここで張るのは無意味としか思えぬ。
途中駅で降りていく人はやはり遠来の人とみえ、ワンマン方式をてんで理解しておらず、運賃は二千なんぼですと運転士にさらりと告げられると、驚嘆しながら、五千札を出す。運転士は別に苛立たず、優雅に列車を駅に停めたままにして、専用の財布から札を取り出し、釣りを出す。釧網本線は休日のこうした気軽な利用がなされているように見受けられた。それは集落も少なくない北洋沿いの明快な景色を見せるワンマンの単行にも似つかわしい。お昼に近づいたので、雨でもやんわり空が明るくなっていた。上空ではいつも天気がいい。
有名な駅らしく、降りるときに雰囲気が違うのがわかった。そして駅舎内には哀愁に満ちたことに、夥しい数の名刺や切符が貼られている。なぜに我々はこんなふうにものを残そうとするのであろう? 何のためらいもなく、自身のフルネームを残した人は、それを指摘されても、そうだ、おれは北浜まで行ったんだ、と自慢げに語り、北海道は北浜がどれほど大地的でオホーツク的で、人の虚しさを感じたかを炉端で語るのやも知れぬ。そして近頃は遠出していないことに自身の生活感を見つけて、若いときは…と甘い回想を綯い交ぜにするかもしれない。
東京のとある駅の初乗りを見つけるが、ここまでそれで来たということであろうか。私はそれを始め指さして、コントを始める。
「駅長、この札幌180円て切符なんでこんなとこにあるんですか?」
「な、なに?! 札幌、こいつ…どんだけただ乗りしてんだ…計算すると、ええと、何千…」
「駅長、こっちには代々木130円とありますが…」
「な、なに! あ、あぁ…」
「しっかりしてください駅長! こ、これは脳溢血だ、救急車を!」
ピーポーピーポー…
しかし実際は現場人はたいていこういう事後発覚のとき、黙ってむっつりしているだけである。
そんな不埒な冒険も若いうちの捨て恥なのだろうか。
しかしほとんどの貼りものは中国の観光客のものだった。
いずれにせよ、それらのどれとも私は無縁なのを知る。私は私の痕跡を残すことはない。痕跡はあってはならないと思っているくらいだった。しかし本当は、残す人はたいがいいい人のはずだ。真ん中に氷の鉄芯入ったような自分の酷薄さを自覚するのみだ。自分自身の人生ついて冷たい人は、たいがい人の渇望には冷めていて、取り合おうとしない。蜘蛛の子のように散って、どれかはいつの間にか死んでいる、そんなふうに思っている節がある。
駅前に朝鮮語を話すらしい容貌も確かにそれな女人を見かける。ロシヤが入れているという、北方領土あたりからの絡みただろうか。そんな妄想をする。
その日には素晴らしい観望のところで、私ならまた気取って、汽車、望海の木造舎にいつしか到着せり、なんてやりはじめていたのかもしれない。しかし陸地はいい道が横切り、人家もあり、コンビニまであって世俗の世界だった。
私と同時に降りた一人旅の男性は、それは確かにふだんは東京の会社勤めで、気晴らしに来たといった風な落ち着きを纏っていた。その証左として合わせて数十万は下らないCanonの鉄塊を首に提げていた。数日前まで彼の頭の中に渦巻いていた山手線の人ごみの風景と、けたたましい電子放送を垣間見ようとすると、彼の行動力のこの結果の姿が甘美なものに思えた。しかし実際、そうなってみると、本当に鬱屈しか感じないかもしれない。それこそ、この北浜に何か、何かをピン刺ししたくなるような…。
彼は一呼吸置くと、併設の洋食屋に入っていった。そう、この駅、とんでもないいい匂いが立ち込めているのである。スパイスというかソースというか、何か頭が混乱しそうなほどのいい匂いが。
私は彼はまじめな人だなと思った。彼の楽しみを邪魔するのはかなりの悪者であろう。彼は高い切符を買い、高い洋食を食べ、高いカメラを提げていて、そうして独身で、素直に人生について判然としない憂愁の色を目に漂わせていた。私が釜谷で会った彼は、確信を込めて趣味に投球していた。釜谷の人の機材は、北浜のこの彼の3倍するだろう。
私は無邪気に何も知らないふりをして、ボール遊びをしている。そして不真面目であるから雨降りしきる中、すぐそばのセイコーマートで買ってきて、北浜駅の片隅に休まざるを得ない。
私は自分について自覚することができない。ただこれらの行為が私にとって脅威的な癒しになっていることだけが感じられる。お遍路は自覚しているところがあるけど、私は私の脳がこうせよというので、とても困っている。たぶん私の心がそれらに対して震えていて、たびたびある種の恍惚を引き起こしているだけなのだろう。
とりあえず、我々は北浜駅の旅を終えた。ただ駅に降りて思索するだけなどという抽象的な旅だった。我々は考えるには河岸をできるだけ受動的に変えないといけないことがある。自然に訪れる人生でのそれを人はたいがい転機と呼んでいる。