金光駅
(山陽本線・こんこう) 2011年5月
倉敷、新倉敷などの人多げな駅をやり過ごして、金光という駅に僕は向かった。すでに車内は午前十時の眠たさをたたえ、何度も渡河し、もはやどこだかわからなくなった。岡山は山陽道のまっただなかを旅してる、そんな感じだった。やがて車内にはコンコー、コンコーです、と無表情な女声の放送が流れ、何もかもがそのままに流れていくような初夏の午睡だった。
高い屋根のホームに放り出される。降りた何人かの中年女性客すべては、そのまま階段へと向かう。僕は列車や人をやり過ごしていると、4番線に沿った若葉の街路樹の香りが漂ってきた。郷土食の濃い行燈看板が、屋根からぶら下がっている。
僕は金光教が何たるかを知らない。ただ、意外と日本には種々の宗教があって、ここはとにかくそういう街なんだ、それくらいしか考えていない。
遠くで金光の駅名標が屋根の下に提がっている。また一つ、金光という見知らぬ街に来た、そう思った。
案の定、駅は金光教用にチューニングされていた。団体専用のホームや、そのときだけ開かれる裏口…といっても、だいぶ昔に作られた駅だから、何もかもが自然だった。ホームの上屋も古レールで、けれど、どれもまっすぐでカーブは優美で、なにか清潔感のある駅だった。
僕は駅付近のあちこちに金光教のまつわるものがあるのを見つけては、旅した気分になっていた。よく考えれば、宗教というのはその地域を規定するるものだ。チベットに行けばラマ教、トルコに行けばギリシャ正教の"モスク"がある。
僕はなんとなしいわゆる二世のことを考えていた。なぜって、僕自身が、そういうとこから抜け出すのに苦労したのだから。擬宝珠や大祭の案内板は、或る人にとっては軟禁の予告のようなもので、つらい表象なのだろうか? 僕にはわからないし、調べる気もない。ただ―僕には無縁のそれら表彰は、旅らしさを演出してくれるアイテムでしかなく、こうしてほら、初夏の平日に旅して楽しんでいる。
いずれにせよ、客として訪問すらなら、どこだって楽しいのだ。ある組織を取材するにせよ、見学するにせよ― いつでも旅人であるが故、僕はどこか特定の組織で長くやっていくことができない。また帰属意識もまったくない。そういうのがわからないのだ。だから僕は僕の王国を作るしかなく、また自然に、必然的にそうなってしまう。
僕は客人として、金光駅前を散策した。とんでもなく古い店から、懐かしい時代のものまで― 地元の新しいスーパーに活気を見て、僕は駅へ戻った。
こうして山陽の旅は一つ一つ始まったと同時に、また一つ一つ終わっていく。僕と金光の街の初めての出会いはもう終わった。僕はひとつの街に長くいることはできなし、そういうことも求められていない。この客人みたいな鼻持ちならない性分が、僕の人生を難しくしている。