河内駅―駅から歩いて
(山陽本線・こうち) 2012年7月
駅寝して街歩きをすると、稀有なくらい不思議なところだった。早朝で誰一人として歩かないが、洋品店や酒屋、小さな銀行などが狭い道に密集し、山あいながら本線の駅前としてかつて活躍した街の姿を味わうことができた。こんな突然の出会いが、駅旅のよいところだ。
10日間の旅を終え、あとは家に帰るだけだ。こんな感じでいつまでも旅がつづいたらいいのにと思わなくはないが、毎日いやになるほど晴れて、やってくる列車は満面の笑みで今日も僕を迎え入れてくれて、逆にぞっとしてしまった。そろそろ違う世界が見てみたい、体がそう言っている。仕事となればそれはそれでドラマが生まれる。どんな小さな職場であっても…人と人が利害をともにしつつ出合うところに、生の実感もまたある。
僕は明朝の河内駅から列車に乗るとき、車掌や運転士を少しくうらやんだ。まだ気温は低いのに、よく効いた冷房。まだ深いグリーンの山陽本線の峡谷をみせるその車内で、車掌の声を聞いていた。毎日毎日同じことの繰り返しかもしれないが、仮にそれが人生の終着っぽくても、僕はたぶん一つにとどまらず、いろんな世界を見に行ってしまうのだと思う。たしかにわれわれは文句の一つも言わず指示通りにはたらいて酒の席で愚痴を言うといった生き方を習わし、ならびに美徳とするところがあるが…それもこれも、単独行動になってしまえば、或る一つの生き方が存在するだけだ。一人一人がサイレント・レジスタンスになるしかないのだ。駅寝ってそういうものだ。世の中の隙間を、ずっと探しつづけるのである。むろん周りが僕を放置・黙殺してくれていることに心より深謝しつつ…
僕は帰る。帰って、まずはこのレジスタンス行動をまとめる。そして発表する。そうして呈示して、観られなくてもよい。なぜか? とにかくただ或る一つの生き方が、そこに存るだけなのだから。