香淀駅
(三江線・こうよど) 2011年7月
船佐から、所木、信木、式敷と経て、香淀へ。信木以北はやっと未乗区間なので新鮮だった。やっと行きつ戻りつから脱した感じだ。香淀は、思いっきり惰行する江の川の、そのくねった部分を北に越えたところにある。最近の道路はトンネルでショートカットしたその先のようなところだ。さすがにここまでくれば、三江線の内奥とその真髄の区間に差し掛かりはじめたといえるだろう。
ところで船佐ではただの曇りだったのに、香淀に着いたら霧雨だった。路面もだいぶ濡れている。夏によく予報で言われる、にわか雨に注意というのは、ほんとだったんだなと。けれどそのせいで、まさに香りが漂うような黄金色の靄がかかり、駅名似つかわしい様相となっていた。
ホームからは江の川とトラス協がよく見て取れた。川に関係する地名があるのも、やはりなと思う。特にここはまさに淀といっていいようなところで、川が川幅の中で自由に流れている。都市部ならそうした河川敷は野球場やテニスコート、ゲートボール場になっているが、ここでは計り知れないほどの緑が、灌木が、竹が、空から人が墜落しても助かるんじゃないかと思えるくらいのもるもるとした分量で、伸びるに任されていた。
淀というのは、だいたい川の惰行したエリアに名付けられるようだ。まさにその通りに、川水はその運動を緩やかにし、おもしろい中州を造り、ところどころ遊水地なども拵え、水が遊ぶのだろう。
駅前の道路も見わたせるけど、一台として車は通らない。
駅舎はおもろしいものではなかった。新しい木造だが、形が多角形という、革新寄りのものだ。全国の田舎にこんな駅舎が大量にある。駅舎は保守的なもので良い。なぜなら、その様式美はもう明治期に完成されているから。ほかにやりようがないのに手を加えたら、あとは変形していくしかない。僅か数人の高校生たちと一緒に降りたが、すぐにみんな路村に消えていった。
もともと改札機能が作られていない、待合室タイプの駅舎は、いつ見ても不満だ。もう二度と人が増えて改札が必要になることはない、そういう宣告をされているようで…農村地帯と都市部というのは、そもそも定められた運命のように思えるが、実はそうではない。決められさえすれは、そこは都になる。首都圏のどんな駅でも、最初期は素寒貧だったのだから。だから僕は今でもすべての駅に夢を見る。だから ―
こんなふうにどこか切り離された感のある駅舎は、バスの待合をするのにはよさそうだった。鉄道、というより、そんなことを考えて作られているのかもしれない。
周囲は何軒か家があるが、人も車も通らない、大河の静かな河畔で、どことなく寂しいところだ。三次から来ると、川が惰行し終わったところにあるこの香淀は、もしここに生まれたら、なぜよりによってこんな奥地に生まれついたのだろうと、三次市街へと急ぐ車の中で世を儚んだかもしれない。けれど鉄道乗っているとそんなことを感じさせない。たんたんと平行移動に徹し、川の惰行に沿っていても遠回りに思わせることもなく、名実ともに近代的に市街まで運んでくれる。山を縫いながら運転し、長いトンネルを越えているのとは、何かわけが違う。
トラス橋の香淀大橋まで来た。車がバンバン走ってそうなタイプの橋だが、その都市めいたさび付いた骨格だけを空に浮き上がらせ、ただただ川の流れの音に渦巻かれながら、静かにたたずんでいた。橋に来たら、橋に来たぞ! という気がしてくる。つまりはそれしかないのだ。しかし橋は少なく、次の三次寄りの橋は川の惰行を経た先、つまり式敷にしかない。
僕はただただ、雄渾に深山に流れ去る江の川を、霧雨の中、望んだ。これからもずっとずっと遠く、あの山の向こうまでずっと各駅を下車していくんだと思うと、また明日が楽しみになった。
河畔の地形がおもしろかった。土を運ぶままに運ばせ、そこには気が遠くなるような草々が繁茂している。川は淀み、水は遊び、けれど釣りをする人もおらず、漁の船もない。ただただ静かに、ときとして不気味に、この日本海まで通ずる不思議な川は、ゆったりと流れていた。
特に案内板などはなく
舗装の状況などからして、橋はまた管理者が違うようだ
駅に戻る。ゆっくり休めるところがあるのはやっぱりよいが、ここでの滞在は40分ほどなので、そんなに休む時間はなかった。
だんだん日が色づいてきていた。なんか締まりのないまま一日が終わりそうだけど、もうすぐ結社も来るのでそんなに考えている暇ない。そう、駅旅はできれば、極端に短すぎず、かといって考える間はあまりできないようにしつつ、次の駅へ次の駅へと移っていった方がいいのだ。人生もそうだきっと。だから立ち止まらないのが本当はよい。しかしもし疑問を感じ、そうしてしまったなら、もう、貴方は旅人だ。人間の築き上げた効率の良い、主に年齢による社会的システムを否定したのだ。あとは自分で作ったその自動車を、修理や部品交換しながら、うまく乗りこなしていくしかない。
三江線の列車がこんなに丁度良い時間に滑って来てくれるのを見ると、やっぱりちゃんと予定を立てたんだなと思う。予定を立てた人には、駅での風景も旅の間隔も、そうでない人とはまた違ったように見える。