倶利伽羅駅

(北陸本線・くりから) 2007年8月

  朝はじめ、倶利伽羅駅に来た。まだ7時ごろだというのに、もうだいぶ前から、明るく晴れていたと空が言いたげだった。しかしまだ涼しい、いい時間だ。いっぽうそれだけに、日射しの強さがじかにわかった。
  立ち上る煙の向こうに、細い自動車道が霞み、大型車の走行音がぼおっと聞こえてくる。 あたりは山に包まれていて、気付くと蝉が静かに鳴いていた。
  峠そのものだなこれは。駅舎はひょろ長い跨線橋の向こうに、ぽつねんと立っている。
  ホームには詰所が残っていて覗いたが、何十年も前のデザインの乾電池などが置いてあり、黒板の字などもそのままらしかった。待合室も木造だが、板や柱は表面がかなり荒れていて、隅は虫が溜まっていた。
  もう両隣の大きな有人駅も、この駅にあまり関わりたくないかのようにすら思えた。

ホームから見た駅舎。

 

金沢方に見る下り線。通過線があるがあまり使われていない。

上屋下から構内を富山方面に望む。

駅名標。

待合室。

あのランプは何だろう。

待合室に貼りつけてあった。

室内の様子。一見きれいなのだが…。

鏡が掛けてあった。こんなふうに途中に引き戸がつけられている。

白線のある風景。

国道8号線のバイパス。

ホームを富山方面に望む。

山と緑が深い。

この下の通路がおもしろそうだ。

これは待合室ではなく詰所。

雨量測量計。

詰所からみる下り線。

詰所の中。カーテンがしっかりしてる。

待合室を金沢方に出てみた駅構内の風景。

 

民家と駅舎。手前は貨物を扱うスペースだったようだ。

ホーム端から見た駅構内と跨線橋。向こうが富山。

金沢方面を望む。

 

高岡・富山・魚津方面。駅構内は峠ながら、まっすぐだった。

津幡・金沢方面。やはり両端の線路は使われていないようだ。 向こうの橋は8号線バイパスにアクセスするためにできた新しいもの。

跨線橋内にて。プラステイックの波板が暑さでパキパキいう。

  跨線橋に入ると、むっと暑くて目の前の空気塊を払いのけた。ジョウロウグモに気付くのが遅く、思わず声を上げて後ろに飛びのいた。これはひどい駅だ。
  軽やかに階段を下りると、再び朝の空気の中に戻れる。短い回廊になっていて、駅舎へ入るようになっていた。その回廊のあたりはぱっと明るく、花々が植えられていた。振り返るとホームは見下ろすようなところにあった。そうしてただ一つホームだけが、異界にあるかのようだった。何か跨線橋が能舞台の橋掛かりめいていた。
  駅舎に入る前に倶利伽羅についての朴訥とした解説板があり、思わず立ち止った。

        くりから
石川県河北郡津幡町字刈安レ150
駅開業 明治41年2月16日
倶利伽羅古戦場 東南3キロ
義仲の 目覚めの山か 月かなし
云々

  異様に重い雰囲気を担わされている。たしかに古戦場のある山の中にこの駅があるのだろう、が、古戦場の名前を駅に付けられてしまったゆえとも思われた。そう考えることで囚われないで済むと思ったのだ。そうして振りのけて、駅舎の中に入ると、飲み物の販売機が落ち着いた英字の商標など掲げてしらじらしく唸っている。搬入者も設置者も、別に何のこだわりもないようだった。中は一人掛けの椅子がいくつかあるだけで、狭い。峠を散策してきて、ここで飲み物を買い、列車が来るまで座って一息入れる、そんな平和が浮かんだ。しかしごみが山盛りだ。それはそれでありがたかった。ひと気とも取れたし、罪らしいものでありもした。だがそんなものより、回収があまりなさそうなことに起因してもいそうだ。
  ところで解説板にレという文字が入っている。ここの小字はイロハで延々付けられていることによるものだった。少し家が纏まっているだけで、イ、と当てる。それもまた異様だと取れそうなものだった。

回廊。

なぜかちょっと怖い。

 

ステップの側面に表示された言葉もまた涼感がある。

貨物関係の土地だろう。

倶利伽羅駅花壇・刈安みどりの少年団という立て札があった。 ここは刈安という集落だった。

 

駅舎内、金沢側。このときはまだ捕まっていないため、 例の逃亡犯の手配ポスターが貼ってある。

駅舎内の高岡側。これで椅子は計8席。販売機ありがたし。

券売機と運賃表。

  おや、駅のポーチに若い男が腰掛けている。こんな朝早くにお迎え、それはおかしいので違うとすると、わからなかった。しかし、やはり自動車が登って来て、彼はそれに乗って去った。金沢からの朝帰りかしら。峠の駅ばかりではなく、変形した生活の一端でも使われる、変幻自在な駅らしく、艶めかしかった。
  この駅前ではポーチに腰掛けるしかないか。出ている三つの道はどれも下り坂になっていて、そういう登りきったところに駅があるのだった。細道を下ると古来からの国道に出るのだろう。
  こんなところにある駅舎は、と怖々振り返ると、板を張った木造で、山に馴染んでまた、少しも倶利伽羅を損なわなわず、ここは仏教めいた、史跡めいた倶利伽羅だと納得した。

駅を出て。

 

倶利伽羅駅駅舎その1. しかしなぜ中央が飛び出した造りなのだろう。 たいていのこんな木造駅舎はもっとスリムだが。

津幡方。

やけに規格のいい道。この道を進むと国道8号線のバイパスに出る。

 

駅のすぐ横に倶利伽羅駅前駐車場がある。 突き当たりは並木で、蝉がやかましい駐車場だった。

倶利伽羅の戦いでの伝説的な角に火をつけた牛。 ちなみに駐車場の管理は津幡町となっていた。

倶利伽羅のバス停。

駐車場付近から駅前を見て。

トイレがこんなところに。

商店前。こんな長椅子に座って何か飲んで駅を眺めながら休憩したい。

 初めて倶利伽羅という駅を路線図で見つけたとき。ただものではないと確信した。読み一字に対して漢字一字が充てられ、それが、四字も続いているではないか。しかも峠で、古戦場だった。それからは列車で倶利伽羅駅を通過するのを想像したものだが、まさか長い年月を経て、こうして実際に降り立つことになるとは。こんな駅降りても仕方ないよ、と誰も許さなかったのだった。

  ついに倶利伽羅にも来たか。と旧国道へ下りていくと、寂しい道中にほったて小屋の駐輪所があった。駅までずっと坂なので、ちょうど疲れそうな所につくったかのようだ。駅から離れているが、なんだ、ちゃんと考えてあるのか。暑い中、一転坂を上り返す。一歩進むごとに、木造の倶利伽羅駅が浮かび上がってくる。上り切ったところ、そこは静かな、憩いたくなるような駅だった。

旧国道・現県道に下る道。

山深さが窺える。

これが駅の駐輪所。

駅への道。

変わった青看板だった。

倶利伽羅駅駅舎その2.

その3.

3本目の道から見た駅の様子。

旧貨物取扱場所には何かの残骸が置かれていた。

  しかし線路を見下ろすようにして駅から富山の方向にも歩き出すと、思いのほか山深く、ぞっとし、さっきのちゃっかりした駐輪所のことなどは忘れた。レンガ積みのアーチなどがあったりした。大型トラックの音や、特急の音が山間にこだましている。立地もあって幽玄めいているが、その音は、今の峠の象徴というより、本来厳かな山の中において、存在するのが不思議なものだった。

  異界のホームに立ち、列車を待つ。今となっては普通列車でさえ、富山と金沢を繁くつないでいた。そんな古戦場やら何やら、考えている余裕はないのだった。だが、入って来た列車の窓を見ると、その中には峠の想像がいっぱいに詰まっていた。すると、こうして倶利伽羅駅に降り立ち終えた私は、生活を離れたあの峠の想像が、窓に鏡像として写され、確かなものに思えて、恐ろしくなった。乗った列車は、車窓にさっき見た山深さをしっかり映して、坂を下って離れていく。深山が寂しげな顔をしている。顔をそむけた。しかし、車内はやはり、今日は多くが遠出客として、普段の日は生活の範囲での乗車として、今は何事もなく盛んに人々が行き来している。

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