馬路駅
(山陰本線・まじ) 2012年7月
湯里に来たときの山の車窓がそのままに逆再生される。湯里にあまりいられなかったので、本当ににそんな感じだった。だけどいま目の前に見えている乗っている人たちは違うはずだ。でも山陰の海好きな女児らは私のことを見るので、なんですぐ戻って来たのか、と、不思議がられている気がした。
車窓は海からやや離れて山を縫っており、トンネルもあるのであましおもしろくないが、あ、また海が見ひらけた、と思うころにはもう汽車は減速していて、そしてそこに駅があるのだった。
「まぁこんなにもおあつらえむきに…」
私は馴れっこな感じで下車する。
すぐにまた烈しい日差しと高温の空気塊が私を取り巻き、蝉が激しく鳴きしきっているのを耳にする。
強烈な痛いくらいの抱擁感。何と幸せな夏なのだろう。夏丸ごとが、手足を放り出した薄着の私を抱いて、その中で好きに生きろ、と神が仰せになっている。けれど、神は私を見つめていない。お与えになった範囲という、無機質な項たるブラケット[]で私をくるんでいるだけだ。私には何も見えないしわからない、しかしただ神経がヒドラのように伸び出して、その衝動が体を動かすのだった。
神の手中に生きる有機的機構は、みなそんなものなのかもしれない。
何もないところからの言語というものが、何かそんな天啓的なものから来たの想う。
写真一枚とて一つの言語形態のようにも思う。しかし私は何も考えない。考えるよりも豊饒ないまが、いま私の眼のまえにあるから。
私は考えることができない。考えることのできない白痴と呼んでほしい。他者が現れ、その思想が私を拘束しようとしても、そのとき一瞬生まれる考えは光速で彼方に投げ飛んでいく。私の体が後からついて行く。そうして私に関わるも者はなく、私は独りになった。
ジー。と、そこかしこの庭木で蝉がしぼんではどこかでまた鳴く。私は背中に焦りを感じる。ハヤクウミヘ、ハヤクウミヘ…
ホームから海は見えなかった。なんかわりあい高いところに位置しているようで、海のかなたの、あのいかんともつかないブルーの空間だけがぼんやり芝の空き地に浮かんでいる。
駅舎もなんもありやしない。いってみればほんとにつまらん駅だった。
石の塊の乗り場に「馬路駅」と名前を付けたって、なんか石や土に名前を付けているみたいで、廃寺のようであった。
じりじり灼かれながら、民家を前にして坂道を下る。驚いたことに、その駅の前の民家はドアが開いたままで、玄関に婆さんがちょこんと虚ろに座っているのだった。
「こんなところで、なんとつまらぬ!」
「気でも違ったのかしら…」
「きっとあの家の中には、冷たい麦茶しかないんだよ。ただそれを呑んで、暑い日中をやり過ごすだけなんだ!」
坂を下りきると、キーンと熱せられた集落が石州瓦を戴き、真っ白な爆裂の瞬前の静けさで時間が止まっている。夏には時間を止める作用がある。
私は家々を見ながら、この家の中には何があるのだろうかと考えた。何かおもしろいものはあるだろうか。きっと、何もないんだ!
子供のころだったら、ブロックなんかのおもちゃだろう。そういえば、そんなころはそんなことばかり考えていたかもしれない。じゃあ今の自分のうちには、なんかおもしろいいものある? 思い返してみると、何もなかった。すこししょんぼりしたが、結局自分自身の頭の中で考えたり想像したりすること以外におもしろいものはないものなのかもしれない。
途中、どこから出て来たのかとおもうくらい雰囲気の違う体操着姿の女子が二人でどこかに出かけて行った。ふと耳を澄ますと、海を望むところに寮らしきがあり、若い笑い声が聞こえていて、合宿らしかった。冷房も入れず、窓を開け放している。こんな隔絶された海辺の町は、はじけるにはもってこいだっただろう。
彼らだって、こんなところには年寄りしかいないと思っているに相違ない。この季節も、今は彼らのためにあるようなものだ。私もあんなふうに…他者が自然のとある動植物のように見えて、ちょうど花々が風に揺れて隣の茎花に触れ合うがごとく、言葉の反射を繰り返せればなぁ、と思う。他者が入ることで思考に入りやすい私の重さのせいで、ディアローグではなく、叙述することでしか周りの世界を認識できなくなっていのかもしれない。
複雑な思いの中、脇道へゴウインにそれ、浜辺へ繰り出す。いつも繰り返してきたドラマだ。そこには目が潰れるまぶしさの、みごとな砂浜があった。そして当たり前のように海水は健やかに搖動し、波の音をサラウンドで心ゆくまで聴かせてくれる。波の音を知らぬ宇宙人が高度な音響で聴いては想像していたが、ついに本物を見た、そんな感じが心の中にあったかもしれない。
粒子の細かい本物の砂浜で、歩くたびに足を取られ、運動靴の中に砂が入る。わが国では海岸は多いが、こういう絵に描いたような砂浜は少ないかもしれない。このときはすっかり忘れていたが、ここは琴引浜という鳴き砂の浜で、有名なところであった。季節柄砂が疲れているのか、やはり鳴らなかったが、体験したことはある。
白砂青松とはよくいったものだが、乱用されたせいでそうでないところにもとりあえずそんなふうにかかれていることもある。
浜に佇む松はほんとに数えるほどしかないけど、浜と集落のあいだには松類が低く鬱蒼としている。砂や風を防ぐわけだ。
梅雨明けしたのが旅行をはじめた日だったから、游客はずっと向うの方で十数人いるばかりだ。女児を連れた母もいて、ほんの波打ち際で、ちょっとずつ海に浸からせたりしている。海辺で育った人は遊ばせ方もわかっていそうだった。
辺り一帯に一陣の熱風が旋回する。
「あっつ!!」
私も汀に近づく。えもいわれぬあのエメラルドのきれいな海が、こっちらから向こうへと、玻璃からサファイヤに変わっていっている。
「今度来るときはぜったい水着もって来るぞ。」
そもそも海に入らないならこんなところに来る意味はほとんどなかった。何しに来たの? という感じだ。それくらい、もったいないことをしたなと痛感した。丸刈りの男子らも、きょとんとしている。「ぬぐから、半ズボンで来たんでしょ?」 本気で考えたが、内陸の者が溺れたらもの笑いで、次のこともあるし、と。
仕方なしに灌木沿いに歩く。あぁ、そういえばね、馬路駅って、やはり小学生の頃はブームになっていたな。そんな駅があるってマジで? と、ね。でも学研の本に載っていた写真はすでにあんなふうに更地に駅名がかかるだけだったし、おまけに島根の遠いところとあって、気軽に行くわけにはいかなかったな。ここは前後が峠であるから、この集落は馬車も通りやすい道であったろう。しかし降りてみると、こんないいところだったはねぇ。知る人ぞ知る、旅行にはいい駅なんだな。
貸し浮き輪と食堂があり、その中では水着姿の游客が椅子に座って焼きそばを焼いてもらっていた。山陰の西側では当たり前のように今も海水浴文化が残っているんだな、と。もちろんほかの地方でもあるのだが、それ以外に楽しみもあるのが想像されて…大田市から江津までは、宝石のような閑散区間なのだ。
うそのように1時間は過ぎ、駅へと踵を返す。目に路面が入ると、深い苦悩がぶり返した… なんで君は海に入らないんだ。君は何をしているんだ。
戻ると、駅の前の民家では婆さんがさっきとまったく変わらず、虚ろに玄関に座っていた。婆さんは駅を見つめている。駅に建物はなく、かなしいほどの更地だ。私は婆さんと同じようにホームの甍の待合室で座って待つはめになった。天気が良すぎて、暖湿気の白い靄が、青空に差している。蒸し暑くて苦しくなった。時が凝固するのは、まさしく地団太踏む思いだった。瞼を閉じると、さまざまな運動方程式を同時にごく自然に実行するさっきの海洋が浮かんでくる。海は私に語りかけぬ。夏も私に語りかけぬ。ただ無機質な項のブラケットにくるんでくれるているだけだ。しかしあの海水の中には単位を超える有機体が溶けている。私は遠くから近づく汽車の音を聞きながら、自分が無になって、それらと水と対話している白昼夢にうっとりと耽った。