松江駅
(山陰本線・まつえ) 2012年7月
ひどい夏の盛り…途中、宍道湖の涼やかな車窓もほどほど、気持ち悪いほど暑い松江の高架ホームへと私は吐き棄てられた。不思議なもので、駅員の姿が全く見えない県都の駅である。きっと下の方にある事務室から放送だけを流しているのだろう。
鳥取は車庫もあり、運転系統も別れるのでしょっちゅう運転士が出入りしている印象だが、そういう意味ではここはやや古びた躯体にちょっと前のハイテクな駅といった印象だった。
いやぁ、松江とか、松籟響く涼しげな名前だが暑くてかなわん。大学のゼミや学会などで降りたことがある、なんていう感じの雰囲気だった。広告塔にスーパーホテルの3980円の表示。こういうのを見ると山陰に来たんだと思う。出張先としても松江は少なくなさそうだ。
新幹線の駅にも見えるけど、それにしては少し軽かった。ただもうここにはあまりおもしろい列車は来ない感じが漂っている。ブルートレインの匂いはなかった。特急といえばやくもやステンレス気動車のスーパーまつかぜ、そしてサンライズ出雲だろう。
それでも端に駅弁屋がひっそりとあって、長い山陰路の旅を思わないでなかった。ここで買って、何時間もまつかぜに乗るのもよさそうだ。真夏の猛暑の無人駅であの列車を悲鳴とともに見送るとき、中は涼しいんだろうなと思ったものだった。
山陰の海の爽やかさが、現代的な生き方の中で立ち現れて来るその様は、地に足の付いた形で懐かしいものかもしれない。
とにかく体を傷めつけるように暑く、これから街を歩くことなどまったく想像できなかった。高架の窓から街が窺えているが、やはり一丁前に巨大そうである。
禿頭のスーツ姿の男性は、お前には用はないといったふうに、ただハンカチで汗拭いて、新聞読みながらまじめに自分の乗る特急列車を待つ。そうして客は常に十名を切っていた。お昼前の静かな時間だった。
神話博しまねというのを今はやっているそうで、駅員は黄色いポロシャツを着せられている…。そういうのも何か公務員らしいお堅い歓迎のようにも思え、松江駅に似つかわしいなと。仕事をしていると、こんなことはままある。
ほんとひまそうで、改札の人の出入りはほとんどなく。おまけに忖度して節電しているので(東北地震)、ぜんぜん冷房が効いていなのだ。人影も疎らやな…と思いきや、駅内でもシャミネの通りには人がけっこう歩いており、テレビと冷房ガンガンつけた待合部では、山陰人がぎゅっと座って集まっていた。こんなところにいたのかよと思う。
さて、山陰の人の憧れたるシャミネ。きらびやかなエントランスを持ち、ここで買い物するのは何よりのステータス、そして自慢の種になるのだ。シャミネで買い物をしたというだけでちょっと違う目で見てもらえる。そしてこの昭和ベースな響きも何とも言えないてはないか。
とまあ冗談はさておき、ステーションデパートに似た形で鳥取とともにまともに機能しつづけているているのはまことに奇跡的。何か健全な風景を見た気さえした。ドーナツ化現象の煽りが強くなかったんだろうか。
その通りには軒に行灯を点した古風な土産屋が立ち並び、少年の好奇心を刺激。なんとなし、あれ買ってこれ買ってと、架空の親におねだりしたくなった。青年の旅行とは…そうしたときから、やがていろいろ勉強する時期を経、そうして一人で自由を操りに、或いは勉強したことが本当かどうかを確かめに出かけるものということから来ているというものさ。
そう考えると、ふと、一人でこんなことをしているのはちょっと例外的なことのようにも思えた。だってふつうは誰か大切な人と来たり、或いは法事や仕事があるからと、こういった遠方に赴くというものだ。
だから、これは本当に自由な旅だった。だって誰が下車旅に付き合うだろうか? 下車マニヤ? いやちがう。いろんな駅に降り立ってみたいだけなんだ。それに夏の山陰を味わい尽くしたかった。私は何にも持っていない。高い機材も車もだ。そうしたら、駅に降り立つしかないではないか。
でも、たまには子供という不自由なころのことを思い出して、ねだってみたくなって。
まぁ…おねだりする歳でもない。かわりに胸のすくようなあらゆる現象に感応できる感官があるだけだ。そしてそれが自分には宝石のように思えた。
みんながテレビを見ている待合部を見たとき、ふと昔の高岡駅の待合のことを思い出した。北陸にはどこかに遠くに北に繋がっているという独特の旅情があったよなと。山陰や中国は、西日本としていったん閉じている感がある。そういうのどかさやなごやかさも悪いものではなかった。
ずっとこのままに、遠くに西へ足を伸ばしてみようではないか。西日本の耽美的な空気で臓物を腐らしてみたい…
。
さぁ暑いけど! と、肚を括って外に出ると、なかなかに緊張感のある県都としての佇まい。軒下の床は石張り、地下入口のトラス屋根、そして…このおぞましい暑さの中ずっと人が多い。凄まじい空の青さ暑さ…。そう、ここは島根の県都である。私は何か県大会に出場するような、あるいは重要な発表をこれからコンベンション・センターで行うかのような気分になった。やはりその土地の"みやこ"というのはいいものさ。そして島根のほかの駅はたいてい100年を超える駅舎が集落とともに鎮まっているのたから、このメリハリ感は何ともいえない。所感だが、鳥取よりも人は多い印象。ここからさらに飛躍し、大都市にて活躍している島根県人もいるのだろうなぁ。特にカッターシャツ姿の男性がかなり多い。その辺に座って休憩している人もいるのはやはり中国地方らしいなと思う。
そして女子高生らが必死に声をからして震災への募金を呼び掛けていた。そこに純真な心が溢れていることはいたいほどわかった。彼女らの思惟はとこへでも繋がっていきそうだった。この2012年というのも、どれほど旅行しづらかったか。1年たってもニュースはまだ地震のことばかりで、どこもかしこもまだ節電をしていた。所詮ここにこうして旅行していること自体がもう悪者のようなものだった。けれどそんなことももう忘れ去られているだろう。
私は故郷が被災してもしれっとどこかへ傷心旅行に出かけてしまうような人だ。
人々の反応はにぶそうだった。というのも、これまでの間、そこかしこで募金活動が行われ、みんなあらかた出したらしかったのだった。
聖なる心を振り切り、街へ繰り出してみる。
こうして歩いていると、県庁のまじめな人が仕事している様子が浮かんで仕方なかった。周辺は何かそんな感じである。予想通りというか、旧市街は橋を渡った先なので、今回はとうぜんにお預けだ。まずとにもかくにも暑さが激烈すぎる。夏の駅寝で旅行5日目ということもあったが、歩いてどうというのはまったくイメージできず。なんだかんだいって駅降りたら目的の町があるという安直さを望んでいたりする。まぁ、一畑鉄道に行く際にいろいろ楽しもう。
裏口は一見特に何もない形式的な風景だけど、出歩いてみると、なんとなし旅人にも用事がありそうな雰囲気でりょじをうを感じないこともなかった。そう、ビジネスホテルはこちら側に林立しており、表側はシティホテルが多い。とにかく垂れ幕による三千何ぼの喧伝だが、これも新幹線が来ていないおかげかなと。出張らしい出張の光景が、まだここでは見られるのかもしれない。
昔はおそらく、旅行者がビジネスホテルに泊まることはあんまり認知されていなかったので、ちょっと安宿旅の青春感が味わえたけど、今となってはよくあることどころか一昔前の流行にさえなってしまった。しかし今でもそのときの感覚が自分から抜けなくて、ときどき思い描いているしだい。
松江駅ってこんなとこかぁ、と気が済んだ私はホームへ上がった。
子供のころも、用事があっていろんな駅に降り立ったものだ。あのときじっくり見たかったものを、こうして探し求めているのだろう。駅というのは不思議だ。ある乗り物に乗るためだけの建物に、店が集まったりする。つまり鉄道を使って遠来することは、いつだって実は特別なことなのだな、その特別感ばかりを、味わっている。