松崎駅
(山陰本線・まつざき) 2012年7月
夕方も終わりの由良でパン一つ食べてぼんやりしたあと、19時の列車で松崎へと向かった。もう道中は暗い。こんな暗くなって逆方向に乗ってこうして山陰を行き来するのは旅が地についたともいえるが、不安でもあった。わざわざ松崎に行くのは湯があるからである。
駅はすっかり蛍光灯がまぶしい。山陰も夜になるんだ、なんて思う。家ではみんな今日の分だけを買い物した中から海の幸を食べているのだろうか? テレビを点けながらのーんびりした話をしているのだろうか…松崎は中規模の駅だが、木造舎が残り、自販機も多い。そういう静かな夜の駅にいると、いろいろと想像が膨らむ。
汽車がもう日もとっぷり暮れた松崎につきそうになると、私はどきどきした。なにか車内はすっかり地元の人だけの時間になっていた。
じつは松崎は私の好きな駅だ。昨年も利用したし、その思い出もよかったからこうして来た。駅を出てすぐ東郷湖というたいへんロマンチックな汽水湖があり、温泉街がある。夜は独特の風情があり、山陰道の白眉だ。
駅の中は白い光の下、水色と白のベンチを静かきれいに並べ、改札窓口はもう暗い。外に出ると蒸しあっつい空気とともに、歓迎アーチの白熱灯がうかび、そのむこうで私をみずうみがいざなう。「来たかったんだよ」と思いつつ、湯梨浜温泉・東湖園へ急ぐため、アーチへは行かず駅出てすぐ左折する。早くいかないと閉まってしまう。
去年来たときと何も変わらず、夜だから今夜は電気を灯してだけど、そこにあってくれている。人ももうはけていた。
夏だから着ているものも少ない。片や足の痛みを湯の中で何度もやわらげる。昨晩は梁瀬だったが、もうずいぶん長いこと旅行している気分だ。それもそのはず、一日中外にいるのだから、24時間旅行である。しかし私はそんな裸みたいなのこそが好きだった。
「そうか湯梨浜っていうんだな。松崎ではなく…」
閉まる時間八時半を勘案して上がる。外に出ると、とたんに蒸し暑い空気。せっかく風呂入ったのに、と。その足で私は「地図を見なくても知ってるんだよな」と、湖岸のメインストリートにあるポプラに向かう。ポプラは店内でごはん炊いているのが売りだった。そこでご飯をよそってもらうカレーを買う。ポプラの裏はみずうみで、眺めると宿屋のネオンが揺らめいていた。湖面を蒸し暑い空気ばかりが渡って来るが、涼感はあり、旅情はこの上なかった。
行燈の下がる中、酔客をかわしつつ駅へ向かう。駅舎内では自販機の音とともに、静かに水銀が落ちつづける。いように白いくらいだった。ただ風呂上がりに蒸し暑い空気を浴びていることだけが不満だった。
「じゃあここで…」といったん買い物袋を置くが、広くて落ち着かないので中ホームの待合所に移動する。そこでルーをかけて食べはじめる。ふとももの上に載せると熱い。この夜のむしむしした中外で食べるカレーは強烈な塩気を感じさせた。けれど、なんか山陰旅が楽しくて仕方なくなってきていた。好きかってしていた。しかし何もかもが自然な営みだった。これから毎日こんな夜が来るんだと思った。家人は木造家屋に蟄居してテレビでも見ていたらいい! しかし自分には家も土地も、自動車もない! 不自由で、何もないが、自分の想像はとどめることができなかった。そうでなくてこんな旅行がどうしてできようか。いや、できない。
しかしまずいことが起こった。ごはんを増量してもらったが、ルーが2つあるのに足りない! おかげで白いごはんだけをしばらく食べることになった。ガラをゴミ箱に入れて想像上の婦人によろしくする。
食べ終わった後は終電で八橋に着けるよう、構内を散歩するけど、とにかくスーパーはくとの通過音がものすごい。連続で石板を叩き割るようで耳をまさしくつんざく音だ。はじめその列車だけかと思ったが、通過はどの列車もそうだった。こんなところではあまり気にする人はいないのだろうか。
最終米子行きに乗った。倉吉に着くのは23時で、米子へは0時を過ぎる。山陰線にもこんな晩い列車があるのかと思った。
どの駅にもとくべつ暗く見えた。<鳥取>、<米子>、(安浦)、(名和)…輝かしい駅名を持つ蝶代の山陰線の各駅は、いずれも地方の冠を下ろし素直に眠りにつこうとしている。