三木里駅
(紀勢本線・みきさと) 2010年2月
三木里には三木里時間がある、ということだった。沿線でも集落としてはまとまっている。ここは鉄道より船での往来の方が長いといった趣で、鉄道の力はあまり感じなかった。それで集落もやはり海辺に偏っている。
着いたのは昼間だったから、見晴らせる家並みは、穏やかな太陽のもと、静かだった。学校の塔楼も空に向け童心で歌っている。駅も特にいうことはなかった。戦後のものだから、簡素なものだが、早くも一線がはがされて、かつては寝台特急「紀伊」が走ったことを思い浮かべる。
みきさとはなかなかかわいらしい地名だが、海辺に向かって下りていったところは、たしかに沿線では最も村らしい様相を持っていた。ただ、どこからか予算が一気に付いて整備した時期があるようだ。ビーチもその中に包摂されているように捉えられた。すし屋や喫茶店があり、特に駅の歴史にはこだわらず、オフシーズンにこんな駅に降りて、旅を楽しむのにはよさそうだ。夏にはこの入り江なビーチは、山々に取り囲まれるのも爽快なものと映るのかもしれない。いわずもがな、今は人っ子一人いない。ほんとに静かなところだった。しかしやはり工業の足音はないではなかった。天気も良く、空気も温まってきて、物足りないなあと。子供のころ、大人たちが、そんな駅降りても仕方ないよ、となぜ言っていたのか、わかる気がしてきていた。大人たちは当たり前のように知っていたんだ。村というものがどういうものか。今の子にとってはおもしろいのだろう、そういって見守っているのかもしれない。違うものを見ているはずだが、やがては同じところに帰ってきてしまうこともある。そうしているうちに、歳を取っていたのだろうか。 屋根すらない広いホームに思いを残しながら、列車にまたがる。歯がゆい気持ちだった。立派な駅に見えたのだ。こうして静かに私の冬の旅も閉じられていく。