三角駅

(三角線・みすみ) 2008年3月

  胸がつかえるほど走って間に合った三角行きの車内で、カーテンに凭れるようにして、荒い息を沈めた。窓を覗くと、さあっと冷たく、蘇るようだった。 列車は定刻6時26分に熊本を発車し、朝曇りの鹿児島本線を南に走っている。ただ何か変だ。そう、昨日ここを乗った時は電車だったのに、これは気動車である。ぐううん、ぐううん、と音を立てて、架線の下を走っている。
  川尻、宇土と停車したが、途中、寝台特急なはの留置されているのを見て窓に釘づけになった。この日はまだダイヤ改正後間もなくて、引退したばかりだったのだった。こんなところでお迎えを待っていたのか。こんなことは時刻表には何も書いていない。朝の冷たい空気の中、ある列車のその後がそこにはあった。
  熊本を離れるに従って郊外であるが、まだ都市の気概が沿線畑の向こうに蠢いているようで、宇土では新ホームで高校生たちが上り列車を待っていた。

  ここから三角線は分岐し、気動車の役に立つときが来た。ひとり支線に入り込み、熊本の空気を隅々まで送り届ける。ほどなくして、海が。しかし国道越しで、そしてどちらかというと生活の海だった。島原湾で、沿岸に干潟がよく見える。それにしても曇っている。
  肥後長浜、停車。海のとても近い駅で降りたいのだが、予定上ここは見送った。ホームだけしかなく駅名標のイラストの部分がまた空白だが、こんな駅でも大切にしたいように思われた。自然と何かを育めるような駅だった。
  ちょっと山に入り込んで、網田に停まる。これが赤い瓦屋根の駅舎のある、とてもよい構内の駅で、予定を変更し、三角の帰りはここに降りることに決めた。網田を出てると少し見下ろす感じで御興来(おこしき)の浜辺が見える。平たい岩石が海辺に敷き詰まっていて、まるで海から何かを迎えるようだ。

こんなふうに干潟が広がる。

島原湾を望む車窓。

肥後長浜駅に停車して。

山越えをし始める。

  しかしここから先、三角線がおかしくなる。海を見せながらどんどん山を登っていくではないか。あれよあれよという間に海面がすっかり下方で、慌てる。気がつくと気動車も相当唸っていた。私は三角線はただ宇土半島を易々と端まで行く敷設路線だと思っていただけに、突如牙を剥かれたようだった。こんなささやかな支線でも、建設の苦労があったんだな。またもや大事にしたい思いに駆られた。
  しばらくはありきたりな谷底平野を走り、あ、半島の山中を走っているんだと分かった。すると山越えも長くなく、また海が見えるということが、いとも簡単に察せられた。するとなぜか急に、「もっとこの山の中を走りたいな…」。しかしそこからは想像の世界の話で願は叶うわけもなく、山を下りて波多浦に着くと早くも海が感じられる。そしてその後はさっきと代わって、車窓の左に海が見えるようになった。八代海。天草のある海である。ちょうど日の出の時間で、海上の厚めの雲は光をとき放ったり、収めたりしていて、もどかしい。三角に着くころには、明るくなってくれないかしら。

  「終点三角です」。ひしと寄り添う民家の裏をゆっくり沿っている。終着駅はこんなふうなのか。ホームが見えはじめたが、一つしかない。しかし駅舎の壁が接していて、屋根が深かった。停車し、がらがらいう気動車を降りる。
  駅舎に入ろうとすると、脇に灯台を細く模した腰丈ぐらいのポールが置いてある。中も洋館風に格天井が高く、半円窓などが入っていて、明らかによそ向きの駅だった。ソファーがあちこちにあって、ここから特別なことがはじまることを演出している。しかしそれにしても中が広い。離島天草の人たちでいっぱいになったことがあるのが思い浮かんだりした。

プラットホーム。床がしっかりアスファルト舗装されている。

行き止まりの方に見て。丁寧に座布団が敷かれている。 まだ寒い季節だった。

のりばの様子。

熊本方にあった荷物搬入通路。今は駐車場となっている。

上屋が途絶えて。昔ながらのホームが出現する。

ここの縦型の駅名標はあの太い毛筆体のものではなかった。

海が仄見えた。

熊本方端付近の様子。右手はかなり植物が生い茂っている。

エンドレール方に駅構内を俯瞰して。

 

水場。なんとなしに歯磨きしたい。

上屋終わりの様子。

こうして三角線は終わる。かつては貨物線がもう少し先まで伸びていたようだ。

確かに終わり。

かつては構内踏切だったが、現在は駅裏をつなぐための踏切となっている。 今もここは有人駅なのだが、ラッチ内として閉塞していない変わった構造だ。

 

終端方。

かつての面影がある。

ホームにて。

三角駅特製の駅名標。 景行天皇が筑紫巡幸の際、この地を通られたのでこれにちなんで御門(みかど)と呼ばれ、のちに「三角」となった、と書いてあるが、さて。

 

改札口。

ソファーが余裕を持って置いてあるなんてすごいではないか。 熊本側には何か店が入っていたようだが、閉鎖されてしまっている。

駅舎内から見た改札口。

観光案内所が入っていた。

こんな洋館風の要素があちこちに見られる。

外への出口。

海側の壁から見た駅舎内の風景。 あの椅子はちゃんと嵌るのだろうか。

観光案内所・券売機・手売り出札所。

天窓のある風景。

いざ外へ。

すっかり三角駅前の特徴をなすものとなっているものがあった。

  駅を出る。海が垣間見えた。こんなに海が近い駅だったとは。横に長く続く石段をいいことに斜めに下りてあたりを見回すと、昔の店が多く、また岸壁前にだだっ広いバス駐車場があり、どうやらここは観光地らしかった。しかし今はまだ7時半前だから、春のなまじ冷たい風の中、うろこ雲が浮いていて、バスを降りた直後の気だるさのようなものが体から離れなかった。
  店はどこも開いていないが、長崎ちゃんぽんの看板が目にとまり、はたと首傾したものの、何かに気付いた。というのは、宇土半島先端の南部のここ三角は、南は確かに天草諸島だが、北は島原半島なのだった。長崎だ。

  駅舎を出てすぐのところは鉄骨の屋根に覆われているが、その上は展望台なのだという。階段を見つけると、老朽化のため立ち入り禁止だと知り、血の気が引いた。とんでもない鋼鉄の錆びた塊に、古い観光地ゆえの遺物を見た。この相当おしゃれな駅舎の外観を隠したとき、それを補って余りあるほどの歓びを、展望客に与えられると確信されていたのだろう。誰も悪くなかった、というようなことを、赤錆がしょぼしょぼした表情で伝えていた。
  建物自体はとても瀟洒なもので、とんがり屋根やファンライトなどの洋館の要素が見て取れた。今にも入港するというそのとき、船からこの尖塔屋根を見て、洋館の駅を見て、どんなことが胸に浮かんだのかな。
  もういいや、駅舎のことは。岸壁の手前に螺旋を付けた三角錐の灯台ようのものがあるので、とにかく、あそこを登ってみよう。

駅舎出入口前。

わざわざキャッチフレーズを定めなくともよい駅のはずだが…。

外側から見た観光案内所。今は営業時間外。

床はコンクリートのままとなっている。

 

もう一つ扉があるが、締め切り。

熊本方から見た駅舎の端の様子。

不知火・松橋・八代方面。

 

 

この三角タクシーのほかに、みなとタクシーというものがあった。

 

階段を下りて。

三角駅駅舎全景。

駅舎その1.

 

駅前を前にして右手の街の風景。

その2. 古い駅ながら駅前の道路が全般的に広かった。

営業しているのだろうか。長崎ちゃんぽんの店。 方向案内には熊本や天草が案内されていた。

駅舎その2.

一見交通量の多そうな道路沿いの駅、しかし、 このときは自動車はたまにしか通らなかった。

駅前の道路の、宇土半島の突端方面の様子。 明るいタイプの海が近い雰囲気。

出札・待合ともにまだ閉まっていた。 ANAの取次店を示す、灯りともる仕様の看板が小さいながら誇らしげ。

客船待合所・熊本県三角港管理事務所。

三角フェリーターミナルのバス停前にて。

正面から見た展望台。

港広場から見た三角駅。

結構な規模だった。

岸壁の突端にて(地平にて)。

 

  灯台風の展望台は少しも立入禁止になっておらず、当然のように登り口が開いている。内部も入れるらしくて、営業時間になると土産物屋が開くようだ。でも本当に登れるんだ、と笑いながら螺旋の坂道を登っていく。だいたい四周ある。しだいに八代海が望めてきた。そしていよいよ頂上というとき、そこでは、中年男性が体操していた。こんなとこで何を。いかにも観光地だというのに。しかし、なんだかわかる。私も似たようなことをしたのが思い出された。地元だけの時間に、よその人がいない観光地を闊歩すると、地元の者としての優位が味わえそうではないか。この灯台で体操して気持ちよいのは、そこから見える風景だけによるのではなさそうなのだった。しかし私はといえば、ただ気の早いへんな外来客にしかなれなかった。

いざ展望台へ。

駅の方。山の形がなんか変だ。

本土の方向。三角港が手広くここに展開しているのがわかった。 右手にちらっと見えているのが戸馳島で、あの近くから三角港まで船が出ている。 しかし隣の波多浦駅付近からは戸馳大橋が架かっていて陸路も繋がっている。

こんなふうにして登っていく。

本土方向。駐車場などもスケールが違う。

駅方向。狭い半島にあってこれだけの広い平地。 埋め立てたのだろう。

三角港は端から端までかなり大きい。

ついに頂上へ。この付近は階段になっていた。

あの水道を抜けると八代海へ。中央より右奥が維和島。手前にあるのは寺島。 この三角港は戸馳島、維和島、大矢野島という主な三島に囲まれた静かな海となっている。

大矢野島の方向。天草の上島の手前にある島。

  その人を邪魔しないよう、頂上より少し低いところで、ゆっくり休憩した。みどりの海に浮かぶ天草の島影、十重二十重、故郷を離れし天草の人の、決心のようなものが、そこはかとなく胸に浮かんできました。
  天草出身の遠い知人は、年離れて50近くの女の人なのだが、目丸くボブカットで小柄ではきはきと明るい人で、そんな人を生み出したところなんだ、と思っていたりして、歴史はそっちのけにしていた。
  はて、さっきの人がいない。一本道ではない造りなのだった。わからないように帰ったのだ。私も渦巻きを下りた。

三角港に浮かぶ兜島。

宇土半島と戸馳島の間にあるモタレノ瀬戸を航行する漁船。

帰還。

乗船場。

駅の軒下にて。

  さて、と広い駅舎内に佇み、思う。終着駅というのは気楽でいい。何か探さなくても、まず終着駅であることをほかの人とともにすぐ納得できる。そして終着駅はいいと言われるのも、悪いということは言えないので、とりあえずは素直に受け入れられるのだった。
  列車が停まっていないから駅構内が捉えられる。以前はほかにも線路があったのか、現役の線路の向こう側に赤い小径が整備されていた。歩くとこちらも民家の裏手を沿っていて、散歩道として使われているようだった。どこまで続いているか知りたかったが、ホームに戻った。そうだ、列車に乗ったとき、目で追ってみよう。

駅の裏の道。

ここから見るとかつての面影を偲ぶことができる。

おしゃれな街灯が立ち並んでいた。


 

駅裏からはホーム様子までよく見て取れた。

ホームにて。

 

  気動車が入ってきた。黄ばんでいるかいないかの白塗りに、少しも透明感のない濃い青色の線は、ロマンというより一徹さを感じさせた。列車は折り返し熊本行きになる。 三角↔熊本のプレートもそのままに。車内に上がって、左側の席に座った。数分後に発車との放送が入る。ぼうっとそのままじっとする。唐突にプシュッと扉が閉じて、列車は駅舎の壁やホームを離れはじめた。赤い小径を追う。脇に若木を植えたり、つつましやかな民家の裏手が続いたりした。やはり元路盤敷きのようだ、けっこう長い。踏切の音が聞こえるころ、ついに途切れた、そしてその先にあるのは何かなと見ると、なんとスーパーマーケットだった。なんだ、スーパーか…。
  三角のいつもだった。そしてもうそれきり三角の街らしいところは出てしまった。島を離れる、町を出る、そういう決心を重ねていく、三角の駅を使う人々が、いつもどこかにいるんだ、と車窓に教えられたかのように感じた。

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