三輪崎駅
(紀勢本線・みわさき) 2010年2月
これまでも降りてきたが、新宮まであとひと駅。だったらもう降りようと。昼前の、新宮にはいい時間だったが。
ぬくい列車から降りると、元気な太陽を氷で表現したものが、私の頭の周りを射る。新宮という旅の終わりの前にあるこの最後の旅は、海からの穏やかな冷たい風にさわっと取り巻かれることではじまったので、
「ついに来たか」
降りた瞬間から穏やかな様子をしていた私は、かれこれ三日つづけた下車旅について瞑想した。新宮の手前におあつらえ向きな小さな旅が始まるのがわかった。ちょっと喪失感を得ながらも、私は力なく微笑してしまう。まったくの役者だ。しかし冬の紀南はそういうのもさまになるところだった。
背後は真っ直ぐに国道が走り、車が飛ばしていく。都市新宮に向かうのだろう。それでも都市の規模の大きさを強制的に想像させるようなものでなかった。
駅舎は近年の簡単な小屋があるばかりで、この寒さから、六軒に行った時のことを思い出していた。ほんと陽性気候の地域というのは…。木の椅子も何もかも風で冷え切り、乾燥していた。天気も良かった。というか、ここはそんな日ばかりつづく。
駅名表示が欠けていて、思わずがくっと来た。直してやってよ…。植栽やポストが寄り蝟っていて、町の感じだ。これから現場に行く人が待ち合わせしている。一見駅で私と同じように行動しているようでありながら、仕事人というのは誰もが理解しうる必然の明瞭な行動しか持ち合わせないものだ。それは正しい人だっ
駅は漁村集落のある広い旧街道に面していて、静かだ。それだけに非文化的な駅舎が惜しまれたが、もはや漁や町という時代でもないと言われているようでもあった。町はちょっとはあるようだ。すぐ目の前にある何枚もの引き戸で覆った土間を備える昔の店の名残は、そこに雪が積もらないかわりに、長年海辺の風だけを夏も冬も誘引していたことが思われる。それがここの冬であり、それが一年というものなのだった。それは絶対的なもので、恵まれているかどうかは感じさせない。その木枠だけはただそのままに、純粋だった。た。
まあ海でも見るか、と、いつものように「止まれ」の標識まで進む。しかし海岸は防波堤を造成しており、見るべきものはなかった。そうでなくともいうほどの浜でもなかったようだ。けれど目を西に転ずると、いかにも面白そうな磯が突き出しているではないか!
ひと気のない海岸道を歩けば、広遠な洋上に太陽まぶしく、これが紀南の冬なんだなと思う。
「よし行こう!」と決心して防波堤沿いを歩くが、なぜか行けども行けども着かない。途中で戻ろうかと本気で足を止めたほどだった。周りに何も建物がなく、遠いところまでよく見えたことで、近くだと錯覚していたのだった。けれどここでは2時間近くあったし、こうして出歩くよりほかないのを思い出す。
こんな旅をしていていつも思うのは、日が経つにつれて歩行距離が減り、同じ距離でも長く感じるようになってくるということだ。端末の計上値を見れば明らかだ。睡眠時間も連続して短いし、十分に食べられない、荷物が重いとなると仕方ないことだった。特に夏はこういうとき、たいていその日のうち最も出歩く駅を決めておいて、そこに費やすというやり方を私はしばしばするが、この旅では歩かなくなっていることに気づくや、それに反発するようにめちゃくちゃに歩いた。そんなことができるのも、気候がいいというのはあるな、と、防波堤越しに海を見つつ歩きながら思う。これ夏だったら死んでいる。山行くともそれは大概空気が涼しいだろう。
どうにかこうにか三輪崎漁港に着く。人は自分以外誰もいない。新しい足湯があり、砂漠の中行き着いた泉のような爽やかさを感じる。この気候の温暖なところに温泉が湧くのだから熊野は別天地だろう。しかしここはよそ着の観光客が来るのだろうか。ドライバー目当てでもない。そのあたりは一応海水浴場らしく、バラックの更衣室があるが、この季節に訪れる人がいるわけもなく、静かだった。浜も黒土で、ほかによさそうなところが見つかりそうだった。
途中、防波堤の上に四阿と回転椅子があるのを見つけ、嬉々として立ち寄る。私はそれを遠慮なく老人呆け促進椅子と名付けて海を見渡す。
突端を目指すと私は漁港に取り込まれる。たまに繋留された漁船が軋みを立てるので、人がいるかと凝然となる。「いや、この時間は誰もいやしないよ。」
目を付けていた荒磯へはさらに奥まで歩かされる。漁港の奥に入り込んで、磯場に無理にコンクリートの道を作ったところを進むと、四国足摺の大竹小竹のような節理がちょっとだけあり、おなじ黒潮の海なんだなと感慨深かった。ただこの辺もあまり人も来ないのか、かなり荒れている。暖地性植生が幹をくねらせているが、まばらだし、南海道にミニ観光地といったところだった。海水浴客がついでに見に来るぐらいなんだろうか。
そんなわけで苦労して来たのにたいして居らずそのまま踵を返してしまった。
帰り道歩きながら、こういう駅前観光はなかなかしんどいなと思う。この駅ほど、きちんと意図的に歩いて何かを見ようとしたこともなかった。
戻ると時間はちょうどよく、次発まで二十分ほどだった。ちかくにおでん屋があったが入る時間はなさそうだ。椅子に座り、間口の方に首をひねりつつ、潮風を喫んでゆっくりと時間を過ごす。木の座面は罅が入っていた。
太陽は冷たく、明るい水色だ。ホームに出ると、黄色い光が、待つにはもったいないいつでも躍動しうる私を包み、けっして春になりきれない風が優しく撫でる。背後に国道走るこの玩具のような駅に今はとどまっているものの、かならず私の身は私の冀う新宮へと運び去らるるだろう。この焦燥と余裕の狭間はいったい何だろうか。最大の自由たる時空間のフリーハンドの車でもない、縛られることで思うままにならなさをもたらす鉄道でもない。希求しているが、希求を抑えることもできる。もったいないと言われうる時間に焦燥までは感じないが、熱い希求は抱いているのだ。それは―青年期の勁い魂と無限と永遠の意識、そして余裕から来るものだった。そして鉄道とは―そういう青春の輪郭をまさしく為し、輔弼するものなのだった。我々の近代もまた、そういう青春であったのだろう。
私は希求が迸り、鞄をまさぐって、次以降の予定を洗い出した。
そしてふとした瞬間にまた、間口からの海色と止まれ標識のある町が目に入ってきた。