三次駅―駅構内
(芸備線・みよし) 2011年7月
19時前、三次駅に到着。備後安田から三次はおよそ50分で、最後の長丁場の乗車だった。駅旅はたいていこんな風な予定になる。そして食事や投宿となるのだが、今回はちょっと違う。明日は三江線を攻めるのだが、どう組んでも、一駅だけはこの日に入れておかないとその後、全駅巡れないのだ。この一駅が欠けてしまうと、またここまで来なくてはならなくなる。だからぜったにい落とせない予定だ。
また来ればいいじゃないかと思いもするが、実はそういう訳にもいかない。結局行かなくなってしまうのだ。
七月中旬という日長を最大限に活用したのは言うまでもない。ご覧の通り、三次はまだ存分に明るい。つまりこの旅程は夏用で、秋冬は成り立たないのだ。
裏手の偉大なヤードに三次駅の栄光と威容を偲びながら、急いで階段を駆け上がって隣のホーを見に行く。ここでは10分くらいしかない。ホームに半開放、半室内の古い待合室があってその中に自販機があったが、コーラは眼だけで買って手に取るのはお預けである。けっこう規模のある待合だったが、きっと三江線や芸備線の待合のためだろう。
にしても19時だというのにほんと明るいなと。けれど予定している粟屋に降りたころに、市民薄明も終わることになっている。ギリギリ耐えてくれればいいが…
改札まで来たが、改札は出ない。ここでは10分くらいしかなく、三江線に乗り遅れたらまさにジ・エンドを迎えるのだから仕方ない。そうこうしている間にも三江線の案内が肉声で簡単に出される。気動車というのは気を付けないといけないのだが、決して都市部のように、自動放送で、まもなく~です、とか繰り返し言ってくれたり、何かわかりやすいオサレなメロディーが流れるということはないのである。ただ黙って、ある時刻になったらパタッと戸を畳んで、ガラガラガラ~と回転を上げて加速し、瞬く間に駅を去ってしまうのだ。私は何度かこれで乗り逃している。
あっという間に10分は近づき、もう間もなく発車だとのこと、ここまで来るともう秒読みである。でも乗る車輛くらいは撮りたい。しかししだにい明るさも足りなくなり、焦りもあって手ブレ、が、撮り直している暇はない!
ほぼ乗ったと同時に、戸は閉まった。よかったぁ~…と胸をなでおろすが、面持ちはホーカーフェイスである。明らかによそ者と分かるようにちょっとシティーな恰好をしているのだから、それに合わせないと…
にしても、もうここは"島根"である。どうしてかというと、乗務員は江津の人で、路線も米子支社の管轄だからだ。長距離列車が当たり前だったころは、いろんな地方からきた乗務員が詰所に居合わせるということもあった。そんなことは今なってはだいぶ減っただろう。
車内にはほとんどと人はいなかった。しかしこの中でこの時刻に粟屋で降りるという人はいないだろう。とにかくく粟屋で降りないと、三江線の全駅来訪はこの時点で果たせなくなる。明日も明後日も、予定はキチキチだ。
ポーカーフェースながらもまだ鼓動は続いている。それは急いできたことによるものから、しだいに、いま三江線に乗っているということによることに置き換わって来ていた。あたりが急に暗くなってきた気がした。森とも川ともつかぬそのそばを走りぬいた。もう明るさが持たないかもしれない。
きっぶは不要だった。三江線は事実上、現金払いだ。まとまった区間を乗るときはあらかじめ乗車券を用意することもあるが…
そんなわけで、しばらくの間は降りる度に前で両替して小銭を運賃箱にブチまけるという営為が続くことになる。