灘駅

(東海道本線・なだ)

  三ノ宮から普通列車に乗って、 阪急神戸線の高架下の木造の倉庫を左手に見下ろすと、もう灘駅も間近だ。 普段はこの駅に降りないが、車窓からは何度も、 ホームに入り込む前の左手に見える、 葉の茂った何本かの樹木に隠された広場と白い壁の駅舎を見ていて、 一度は下車したいと思っていたのだった。 半円の大きな明り取り窓のある白い駅舎と緑の木々。 そして車窓から見える「王子公園」の方向標識とイラストのパンダたち。 駅から出ると、どんな風景が広がっているだろうか。 いつもそう思っていた。

灘駅構内の風景

1・2番線ホームの風景

V字型の上屋を持つ下り線ホームを左斜めに見て。ホームの向こうの敷地には緑の茂った並木があり、その向こうにある静かなロータリーが見えにくくなっている。右手奥にはマンションが建っている。 1・2番線(上り線)ホームから見た下り線ホームの三ノ宮側のようす。


ホームの端から40m手前のあたりから、上り、下り両ホームを眺めて。どちらのホームにも何も置かれていない。左の下り線ホームは既に上屋がなくなっている。 ホーム三ノ宮側寄りの風景。何も置かれておらず、 まるで国鉄時代の持て余したホーム長のように見える。 しかし柱の影に吸殻入れが設置され、喫煙コーナーに指定されていた。


上屋の柱に取り付けられた、平仮名で書かれている縦型の駅名標。 縦型の駅名標。


ホームの上屋下の真中から眺めて。写真すぐ手前真中に薄茶色の3連椅子、その奥にゴミ箱、そしてクリーム色の柱。ずっと奥に跨線橋への階段が立ちはだかっているため、それより先のホームのようすは見えていない。 上り線ホームにて大阪方面を見て。 椅子とゴミ箱だけの簡素なホーム。自動販売機がない。


軒を持つ2階分の高さのある白い建物を左手に見て、右に屋根の下の日影のホームを見る。 ホームから見た駅舎。


跨線橋の階段の壁の側面。窓が菱形になっている。 跨線橋の袂。白塗りの木造だ。


上屋下に吊られてあるコンパクトな長方形の電照式方面案内板を間近に見て。右の少しずれた所に、国鉄時代からの大きな丸い時計も屋根から吊られてあるのが見える。 階段付近から見た電照式方面案内板。横長タイプではなくコンパクトタイプになっている。 なぜだか古風な感じがした。


左にはレールに面するように立てられたステンレスの柵、中央に日陰の1線の線路、そして右手にはホーム上の右手には焦げ茶に変色した石垣の上にある駅舎の回廊。 1番線のようす。新快速や貨物列車がかなりの速さで通過していった。


左に上屋のある下り線ホーム、中央に上り線ホームの2番線が一直線に伸びる。駅を抜けてレールがずっと遠くまで続いているのも見える。 跨線橋の下付近から三ノ宮側を望む。


跨線橋から二股におりた階段。両階段の間には複雑にクリーム色の鉄骨が組まれている。 跨線橋。階段の間の鉄骨組みが純粋な力強さを見せている。


ほぼ正方形の白いホーローに「なだ」「NADA」と二段に分けて太字で書かれている。 跨線橋の階段の壁に取り付けられてあるホーローの駅名標。


屋根から吊られたJR西日本様式の駅名標。 駅名標。


ホームの屋根の下。左側は日陰で右側は日が照っている。屋根から丸くて厚い時計と行き先案内が吊られ、ホームの上には二本足で立っている時刻表と背中合わせの3連の椅子。 上り線ホーム、階段より六甲道駅側のようす。


黒い階段から跨線橋の天井を見上げる。上った先は左右に通路が開けているらしい。両脇の壁は白塗りの板に焦げ茶の木枠でできている。 階段を上って跨線橋へ。


3・4番線ホームの風景

屋根のある隣のホームを右斜めに長く見て。少し遠くで跨線橋がそのホームの屋根の上で直角に交わり、交わったところで屋根と壁のある階段がホームの屋根を突き抜けて、ホーム上に口を開いている。 3・4番線(下り線)ホームの階段より六甲道駅側から向かいのホームを見て。


2線の間にある看板。「ゴミのポイ捨て禁止」と書かれ、右にはパンダのイラストが書かれている。 線路内にあるポイ捨て禁止啓発広告。パンダのイラスト使われている。JR西日本神戸支社の提供。


屋根のない明るいホーム終端付近。右ののりばにはステンレスの柵がしてある。 下り線ホームの屋根のない部分。植木のスペースが作られている。


ホーム上に二本足で立つJR西日本様式の駅名標。 駅名標。


少し向こうに跨線橋。それより先はどこまでも続く4線。 ホームの端から六甲道駅方面を望む。複々線の堂々たる東海道本線が延びる。


屋根のある上り線ホームを左斜めに見て。跨線橋の階段が二股に足を下ろしている。 3番線から見た跨線橋のある風景。


隣のホームの屋根から吊られた駅名標と、大きな四角に切り抜かれた駅舎の壁の内側を同時に見て。 上り線ホームと駅舎を同時に見て。


V字型の上屋の断面とその下のホームのようす。遠くに階段が見えている。 大阪方面を見て。


左から順に、乗り場に面して立てられた長い柵の連続、4番線の線路、こちら側に下りてきて南出口につながっている跨線橋の屋根と壁に囲われた階段。 南出口へ下りる跨線橋。


狭い駐車場、そして緑の並木、その向こうにロータリーがある。左奥には高層マンション。 ホームから見た南出口の風景。並木の向こうはロータリーで何台ものタクシーが停まっていた。


屋根から吊られたねずみ色の枠を持つLED式行き先案内。2段になっていて、下段に列車が今どこにいるか表示される。 列車の現在位置案内。


ホームの屋根の下から水色の列車の中ほどを見て。 到着した普通須磨行きの列車。


瀟洒な跨線橋

階段を上りきってしまう数段手前から天井を見上げて。天井には横長でコンパクトな黄色に黒い字で書かれた「←北出口 南出口→」の案内板。直進すればまたすぐに階段がホームへ下りる。 下り線ホームの跨線橋への階段を上って。


跨線橋の突き当たり手前10mの位置から撮影。両脇の壁の上部と突き当たりの壁の上部には窓から光が入ってきていて明るい。 下り線ホームから階段を上りきったところから、南出口方面を見て。


階段から駅舎内のアスファルトの地面を見下ろして。頭上の屋根も階段と並行に下がっている。 南出口改札口へ下りる階段。


屋根の下に4レーンの自動改札。改札を出たらすぐに野外になり、ロータリーがうっすら見えている。 一台の自動改札と有人改札。改札を出ればすぐ野外で、緑の木が見えている。 南出口の改札内の風景。


  南出口には待合室などがなく、改札口があるだけだが、 改札内にトイレが設置されており、駅舎と呼べそうな気もした。 かつてここにも立派な駅舎があったらしいが、戦災で失われたという。 私はこの改札をくぐらず、まずは駅舎のある北出口の改札を出た。
  跨線橋内は壁が白、柱が焦げ茶に塗られていて、鮮やかだった。 ただ、壁と床の隙間が開いていたり、 壁に使われている板に節穴ができていたりした。 また階段の表面が黒いのは、 たくさんの平たい突起のあるゴムのような滑り止めの覆いがしてあるためで、 そこを歩くとゴムやわらかさが少し足の裏に伝わってくるほどだった。

鼠色の床、鉄骨で三角形に組まれた天井、白い壁と焦げ茶の柱。 南出口への階段踊り場付近から見通した跨線橋内部。


灰色の壁と焦げ茶の壁の横柱との間にできたわずかな隙間。 床と壁の間にできた隙間。


v字に折れたホームの屋根の上と駅舎の二階部分にある半円形の大きな窓。 跨線橋の窓から見た駅舎の半円形の窓。 屋上は外から目立たないような三角の薄い立体になっていた。


4つの四角い小さな案内板を田方に組み合わせたもの。 県立美術館、動物園、灘の浜への案内板。 終日禁煙は中国語とハングル文字でも表記されている。


クリーム色の枠をもった窓。 跨線橋の窓はガラスではなくプラ板のようだった。


途中で左斜めに折れた跨線橋内。 1,2番線(上り線)への階段手前付近から見た跨線橋内。


突き当りまで進んで振り返って撮影。跨線橋内が途中で右斜めに折れている。 北出口へ下りる階段手前付近から、南出口方面を振り返って。


1,2番線(上り線)への階段の、手前を過ぎるあたりで跨線橋は45度ほど折れている。 この折れ具合がなんともいえない複雑さを作り出しているように見えるし、 洒落ているように思える。

跨線橋突き当たり。左に階段が下りている。 北出口へ下りる階段の手前の風景。王子動物園への案内が出ている。


左にレンガ敷きの駅前広場と木々、右にロータリーとタクシー。 上の写真の窓から見た外の風景。


階段から駅舎の床を見下ろして。床は白色で、右から光が差し込んでいて明るい。 駅舎へ下りる階段。右に「お手洗い→」の小さな案内プレートが貼られてあるが、 そこにもパンダが。


駅舎内へ

  そこかしこにパンダの絵を見つけたのち、 跨線橋の階段を北出口へ下りると、駅舎内に入り込むが、 そこは自動改札の置いてある大広間の手前にある部屋だった。 どうもこの駅舎は現在の使用に合うように改造されたようだった。
  その部屋は目の前の壁に開けられた間口を通して、 改札口の大広間と続き間になっていて、 階段を下りた直後のその部屋にはトイレへの入口、コインロッカー、自動販売機などがある。 しかしよく考えると、右手は背の高い柵越しに直接外とつながっているし、 左手は横に6つに並んだポスター掲示板だけで線路のある外と遮られているに過ぎないから 部屋というより空間だった。雨風も入ってくるだろう。

人を横に5人くらい並べた幅の間口が目の前にある。高さはそれほどなく、天井までの部分は壁があり、そこに二枚の大きな額入り広告が設置されてある。間口からは、次の大きな空間の奥に自動改札が横に並んでいるのが見えている。 階段を下りたところ。


並んだ2つの間口。それぞれの間口に3つずつ縦の額入りポスターが並んでいる。 階段を下りて左手のようす。隙間から上り線ホームの状況がよく覗える。


改札口への間口のすぐ左に、回廊への低い門があって、そこをちょっと覗いてみた。

縦長の長方形の間口。腹の辺りまで高さのある門がしつらえてある。 改札口への間口とその右隣の回廊への入口。


回廊。左にクリーム色の柵。その向こうには低い位置に線路がある。ホームも見えている。 回廊内のようす。塵取りとほうきが置いてある。


  1番線から駅舎を見れば、この回廊の全体が見え、 その軒下に壁と天井を滑らかにつなぐような 鋼鉄の薄い「持ち送り」(コンソール)が取り付けられているのが見える。 しかし、回廊の終わりの壁にもそれと同じ模様の彫り物が施してあるように見えて驚いた。

壁に施された浮き出しの装飾。 コンソールと同じ模様が壁にある。


  しかしよく見るとこれは彫り物ではなく、鉄鋼のコンソールを壁に寄せ付けて、 その上から、周りの壁にも使われている塗装剤を吹き付けたように見えた。

  階段を下りた直後の空間に戻って、右手を覗くと、 先ほど述べたように外と直接つながっていて、高い柵で仕切られてあるが、 この駅舎は昔、一体どんな風に使われたのだろうかと思う。 阪神・淡路大震災後の一時期、ここを改札口として使われたことはあるのだが。

ロータリーの真中の一部の植え込みとタクシー。まっすぐ奥には信号があり、そこから閑散としたメインストリートが延びている。 こちらは階段を下りて右手にある柵越しに見た外の風景。 左に少し写っている建物が外にあるキヨスク。


左に縦長の細いトイレへの入口。右に跨線橋への階段の大きな入口。 下りてきた階段を振り返って。左手にトイレへの通路。


とうとう大広間へ。天井が高く、並んだ自動改札の高さが少し低く感じる。

斜め右に並んだ3レーンの自動改札。改札を出たすぐ左に券売機が並んでいる。 上の写真の右側にあたる。上方に模様入りの枠のついた半円の大きな窓、その下に駅舎への出口。 改札口。


左手に壁に埋め込まれた改札内の自販機二台。その壁と直角に駅舎内を改札内と改札外に分ける低い柵。 改札口を出たところから、トイレのある一つ前の空間の方を見て。


上方に半円の明り取り窓。先ほど述べたように、模様入りの枠が入っている。そして手前に自動改札の並び。 自動改札と半円形の明り取り窓の取り合わせが駅舎の歩みを感じさせる。


  この駅舎の特徴になっているこの半円形の明り取り窓は扇形欄間とよばれ、 ファンライト呼ばれるものだ。高い天井の駅舎に明かりを取り入れるための大切な窓である。

左に焦げ茶の低い柵。その右にパンフレットを陳列する高い棚、そして自動改札。 団体用の改札口の扉が「だな」となっていて、右読み時代のままだった。


左に一つのみどりの窓口、右に3つ並んだ自動券売機。 出札口。


灘駅前の様子

北口駅前と灘橋跨線橋、そして南口駅前の風景

2階分の高さの立方体のような建物。上方に半円の窓、その下から手前まで屋根が出ていて、その下に駅舎の出入口。 駅舎?。


駅舎を間近に右斜めに見て。大きなファンライトとがあり、その下にポーチがある。入口はファンライトの大きさに合わせてある。 駅舎?。


  駅舎を出ると、左手には街路樹に囲まれた広々としたレンガ敷きの駅前広場、 右にタクシーの連なったロータリーがあった。 レンガ敷きの広場では、何人かの人が広場の外縁にあるベンチで休憩し、 遠くの椅子で、19歳ぐらいの二人の女性が手作りの弁当を持参して食べていた。 また、ロータリーを右に見ながら直進すると、すぐに交叉点に出て、 目の前に「パンダストリート」と名付けられた、 ビニール屋根の簡単なアーケードのある灘駅前商店街が始まる。 六甲道駅前と同じように、商店街は坂道になっていて、 神戸の山手の町という感じがした。
  ところで、「パンダストリート」もそうだが、 灘駅構内や灘駅の周りには何かとパンダを絡ませたものがある。 しかしそれは、2006年当時、日本に3頭しかいないパンダのうちの2頭が、 駅から350m先の王子動物園にいるからであった。 もう1頭は和歌山のアドベンチャー・ワールドにいる。

広場と外縁に木々。 駅を出て左に広がるレンガ敷きの広場。


駅舎から少し離れて斜めに見る。両脇に葉を茂らせた木。 レンガ敷き広場から見た駅舎。


ポールの先に付けられた横長の看板。 広場の右脇の木の近くにあった王子公園への案内板。


コンクリート打ち放しの小さなアーチの門の向こうに二段式で小規模な駐輪所のスペースがある。 駐輪所。交差点に行くまでの歩道の左側にあった。 無骨な造りではないことに少し関心。門がアーチとなっている。


地面に埋め込まれたペンギンの描かれたタイル。 歩道の脇に立つかばを模した立体。 地面に埋め込まれたペンギンの描かれたタイルとかばを模した立体。


道の両脇の歩道に簡単な屋根の付いた商店街。右の歩道の屋根の始まる所に「パンタストリート」、左の歩道の屋根の始まる所に「灘駅前商店街」と書かれている。 灘駅前商店街「パンダストリート」の入口あたりの風景。


緑の茂った低い並木と新しいほっそりした7階建てのマンションの並んだ風景。 入口右付近には新しいマンションが目立つ。


  このまままっすぐ行ってみるのもいいが、とりあえず南口を見に行きたいと思ったので、 駅舎から出てすぐ右にある道に入り、 少し遠くに見えている跨線橋を渡ることにした。 跨線橋は路盤から高い位置に架かっていて、橋詰までの道が坂になっていた。

左に3階建ての新しい建物。上二階は白色で駐車場、一階はオレンジ色を基調としたお店で明るい感じ。青空の下で映える。 灘の湯デイサービスセンターのあたり。


坂道の先に信号のある交差点がある。右手には低い位置線路があり、背の高い白い網の柵で遮られている。 橋のたもとまで続く坂道。既に交叉点が先の方に見えている。


  交差点まで上り詰めて、ふとこれから渡る橋の親柱を見ると、 ひどく変色していて、ずいぶんと古そうなものだった。 柱には「灘橋」と彫られている。昭和30年10月の竣工だという。

複々線の幅広い路盤。少し遠くに駅のホームと屋根が見えている。 灘橋から見下ろした灘駅構内。


  渡りきって振り返ると、この橋も先の道も2車線だが、 さらに2車線分取れるぐらい幅が広かった。 向き直って、正面を見ると、高架上の三叉路で、 とても眺めがよく、遠くに港の赤と白のクレーンが何機か見えた。

橋詰から見た橋の写真。左に歩道、右に車道。先の道は一旦くぼんで、さらに遠くへ延びている。 灘橋を渡りきって、振り返って撮影。


「なだばし」とひらがなで彫られた親柱。 反対側はひらがなで彫られてあった。


高架上の三叉路。信号の向こうは腰丈ぐらいの低いコンクリートの壁で、それより先には見下ろす街が広がり、ずっと遠くには赤と白のクレーンが何機も見える。 高架の三叉路になっている。遠くには港のクレーンが見える。


  この三叉路を右折して坂道を下った。 右手にやけに立派な建物の保育園、 左手に日華食品株式会社の倉庫のような建物を見ながら歩くと、 やがて交差点に出る。 直進すれば朝鮮初中級学校、左折すれば再開発されたHAT神戸という地区、 右折すれば灘駅の南出口だ。

両脇に街路樹、真中の少し遠い所に平屋の改札口。 街路樹と南出口。


平屋の簡易な建造物。手前がカールした波板の屋根の上に「JR灘駅」の表示、屋根の下は少し暗く、自動改札が並んでいる。 同じ建物を左斜めに見て。右真中に屋根と壁で囲われた跨線橋の階段が上っている。 南出口。


3台の券売機。上に路線図。 有人改札と一台の自動改札が少し奥にあり、ほかの自動改札の並びは手前にあるという、いびつな配置の改札口。 改札内のようす。ICOCA専用の自動改札があった。


南出口改札を出て左を見た光景。レンガ敷きの敷地がロータリーの道路まであり、左奥にマンション一階のコンビニが写っている。 南出口改札を出てほぼ正面を見た光景。ロータリー中心部への短い横断歩道。

南出口改札を出て右を見た光景大きな木々が街路樹として植えられているロータリー。木々のせいか、殺伐とした雰囲気はない。 南出口駅前の風景。割と広く、利用者の多さを物語る。


  南出口前のロータリーは緑の葉をたくさんつけた大きな木々が育ち、 少しほっとできる雰囲気だった。 実際、傍のベンチに腰掛け、実際ここでも、スーツ姿の男性二人並んで昼食をとっていた。 このまま、この改札を通って列車に乗ってもよかったが、 上り線ホームから見えていた更生センターの建物のあたりに行ってみたかったので、 同じ道を通って、いったん、北出口に戻った。

門は白い柵で、そのすぐ向こうに建物の壁。 戻る途中、三叉路に入る手前にJR灘変電所への入口があった。


貨物列車を真横に見て。右の高い所に灘橋。 橋を渡る前の左手の光景。


  再び三叉路に来た。北出口へ戻るには、左折して灘橋を渡ればよいが、 まっすぐ行って少し歩けば眺めが良さそうだったので行ってみた。 三叉路から歩道を少しだけ下った所だろうか、 そのあたりがいちばん景色がよかった。
左斜めに横切る太い東海道本線。ずっと向こうの方に緩やかな斜面にできた街。
  大動脈である複々線の東海道本線を走る貨物列車と 山肌を舐めるようにして造られた神戸山手の町。 深い奥行きのある風景でとても気持ちよく見えた。 道のすぐ下には、引込線のようなものがあった。
左に複々線の下をくぐってきた1線と右に分岐して下ってきた1線。周りは緑が茂っている。
  このときは、なんだかよくわからないが引込線だろうと思って、そこから離れたが、 家に帰ってこの写真を何度も見直すと、とてもそうは思えなくなって調べてみると、 これは東海道本線から分岐した貨物線、神戸臨港線であった。 この貨物線は上の写真の右手遠くに広がっているはずの元操車場、現東灘信号所から 神戸港駅を結ぶ線だったが、2003年に廃止されたのだという。 海に突き出す突堤まで延びていた、なんていうことを聞くと、 華々しく活躍した頃があったのだなあと容易に思いを馳せることができた。

割塚通の風景

  再び灘橋を渡り、灘の湯デイサービスセンターのところまで来ると、 コンクリートの短い柱に木の棒を通したいかにも古そうな柵を発見。
白い鉄パイプで作られた現代の柵、風化しかけたコンクリートに木の棒を2本通したとても古そうな柵、そして白い網のフェンスの3つが並んでいる写真。 上の写真と同じもので、より短いもの。
これは灘橋竣工当時のものなのだろうか。 いずれにせよ震災を免れたようだ。

ロータリー。中央部は緑地帯で大きな木が一本植わっている。その前に何台かのタクシー。 北出口前のロータリーのようす。


  再び北出口まで坂を下りて戻り、駅の前を過ぎて、 すぐ近くを通っている高架の阪急神戸線にそって駅から西に歩いた。 駅舎を背にして左の方向に歩いたことになる。

レンガ敷き広場の端から駅舎を斜めら見て。 北出口前のレンガ敷きの広場の端から駅舎を。


斜めに横切る高架。道路が下をくぐるように、アーチ上の高架下になっていて珍しい。 阪急高架、城内歩道橋前。ここを高架に沿って左折。


  阪急の大きいコンクリートアーチの高架の近くまで来た。 ドームのようなこのアーチは随分補修されて使われているようだ。 左の方では高層マンションの工事を行っていたが、もう外観はあらわにされて、 ほとんどできあがっていた。 阪急の高架をくぐらず、左折。 マンション工事のため、高架に沿う細い道の幅が狭くなっていた。 付近を割塚通という地名の付けられた、この道を歩くと、 右端には様々な物品が集め寄せられていて、 右手の高架の下には、その高さにちょうど合わせるように、 倉庫のようなものが作られてあった。 すぐに左手に目指していた更生センターが現れた。 側面の壁に青い字で「更生センター」と書かれたのが、駅のホームから見えたのだった。

2階建てで白く塗られたコンクリートで造られた、少し薄暗い感じの建物を斜め左に見て。 神戸市立更生センター・更生援護相談所。


一つ前の写真の建物の入口。入口右手に背の高い糸杉のような木、外壁に沿って黄緑のゴールドクレストがコンクリートのプランターに植えられて並べられていた。 「更生センター」と書かれた銘板。

石の上にでっかい石の載ったもの。石はこげ茶色に変色している。石のある小さな四角い敷地は芝生になっている。 更生センターのすぐ隣にある割塚古墳の跡。 石室の一部の石を使っているようだ。


少し上り坂。左手に半球の効果があり、その高架下は壁が作られて倉庫になっている。それに沿って、道路上には種々雑多なものが寄せ集められている。青いビニールシートも目立つ。 更生センターの前から、駅の方向へ振り返って。


高架下に目いっぱいの高さで作られたこげ茶色の木造の倉庫のようなもの。多くの窓は灰色の板で塞がれている。 阪急高架下の建物。このあたりだけ木造になっていた。


  歩いていると、左手に布団の掛けられたつつじの植え込みが現れ、 その近くのゴミ置き場にはテレビが置いてあった。 この近くから入れるJR線に沿う道に入ると、 線路越しに神戸朝鮮初中級学校が見えた。 JR線の車窓からもよく見える建物だ。 私がかつて三ノ宮から各停の列車に乗った折、 灘駅から朝鮮語を話す小学生ぐらいの子がたくさん乗ってきたことを思い出した。

線路越しに見た濃いあずき色の体育館のような建物。 線路越しに神戸朝鮮初中級学校を望む。


  もとの道に戻った。その先は突き当たってT字路になっていた。 左折するとすぐにJR線の下にもぐりこむような低い高架、 右折するとまたすぐに阪急の高い高架下に入ることになる。 この二つの線路はやがて高さを同じにして、三ノ宮駅構内へと入ってゆく。 ところで、このT字路の突き当りには変わったお店があった。

T字路。左はすぐ背の低い薄暗い高架下。右は背の高い高架下。 さまざまな石を寄せ集めて作られた石垣の上にある灰色のトタン壁の建物。 左:突き当たりのT字路。
右:石垣に注目。


  波板で覆った壁に、ペンキでお店の名前をでかでかと書いてある串カツ屋(飲み屋)さんだ。 迫力のあるペイントだが、 右下には白い板に丁寧な字で書かれたメニューがあり、わかりやすかった。 突き当りまで歩いたからもう戻ろうと思った。

灘駅前商店街から再び駅へ

高架に沿って歩いて戻る途中に、傘を集めているおじいさんに遭遇した。 路上脇にたくさん集められた傘に囲まれて、椅子に座りながら傘をまとめているおじいさん。
そして、灘駅前商店街を通って駅前へ。

側面に緑とオレンジ色の半円の並ぶアーケードの通り。 駅方向へ下ってゆく商店街。


アーケードの下。左手に道路、右手に少し古そうな飲食店。 このように、アーケードの中にはパンダをモチーフにした飲食店の看板もあった。


右手に並木。道の突き当たりには駅舎の右側だけが見えている。 灘駅前の交差点に出て。


  再び駅の前に戻ってきた。 ずいぶん長居したし、もう、そろそろここを立ち去ろうと思い駅舎に入り、改札をくぐった。 広い間口から向こうの空間にある自動改札の並びを見る。この間口のの左に先ほど述べた縦長の間口がある。
  駅舎に入っても階段を上らず中を眺め回していると、 改札外に赤い帽子を被った私服の児童たちがたくさん 座っているのが見え始めた。きっと、王子動物園からの帰りだろう。 みとりの窓口兼有人改札の駅員と、駅長らしき人の二人出てきて児童の前に立ち、 駅長は両手を後ろに組んで作ったにこにこ顔で、何やらあいさつを垂れているような姿勢だった。 きっと慣れているのだろう。もう何回も、動物園帰りの子どもたちを迎え入れているだろうから。 初めての駅で初めての光景を見て、やがてそれが何度も繰り返されたものであることに思い当たると、 滞在時間以上に駅を知っている気になってしまうため、新鮮な錯覚に陥る。 さて、団体用の改札である低い柵の門があけられて、児童が入り始めると、 ほかの利用者が紛れてそこを利用しないように、駅長は堅く見守っていたのであった。

改札外に座って並ばされている赤い帽子をかぶった園児たち。 さて遠足の児童たちがお待ちかねです。


改札内に進む児童たち。 なだれ込む児童たち。


あちこちに赤い帽子をかぶった子どもがいるホーム。 動物園帰りの子どもたちで賑わうホーム。 この光景も何度も繰り返されたものであろう。


  今回は、いつも車窓から気になっていた街も見ることができた。 とくに阪急の高架下の木造の倉庫のあたりは前から気になっていた。 駅構内に関していえば、跨線橋が特によかった。 跨線橋内部の白い板の壁と焦げ茶の木枠が美しく、 跨線橋の微妙な折れが、その内部に立体的なおもしろみをもたらして、 とてもお洒落に見えたし、ホームから跨線橋を支える鉄骨組みが美しかった。
  駅舎内はドーム風の天井と半円の窓が特徴で、 コンソールなどの飾りもあったが、 駅の外に出て見た駅舎の全体の姿は、それほどでもないように感じた。 駅のすぐ前にある葉の茂った街路樹が駅舎を遮り、 駅の前面には時代に合わせて、 Kioskやトイレ、ゴミ箱の設置などが設けられているため、 雑多な感じもややあった。
  また、特に扇形欄間の周りの壁には、 その塗装の下に亀裂の入っているのがはっきりと見て取れた。 出兵を見送り、戦災を逃れ、震災に耐え、様々な時代を見つめてきたはずの灘駅は、 時代に応えつつ変化し、また耐えてはきたものの、 どんどん当時の姿から離れていく駅と駅前は、 一つの区切りを迎えることになってもおかしくはないと思えた。 灘駅は2006年10月から、南北を行き来できる駅に生まれ変わるための工事を受けているという。
  ところで、駅の前面を部分的に遮っていた木々は、 重要な役目があったのだといえる。 それは、レンガ敷きの広場外縁の木々と一緒になって、 駅前に落ち着ける空間を作り出すという役目だ。 神戸市内にあり、三ノ宮という非常に利用者の多い駅の隣にある駅なのに、 交通量の多い道路とは距離がありるため、それほど騒がしくなく、 駅周辺は木々に囲まれ、昼にゆっくり弁当が食べることができる駅前だった。

次に訪れた駅: 三ノ宮駅

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