灘駅
三ノ宮から普通列車に乗って、 阪急神戸線の高架下の木造の倉庫を左手に見下ろすと、もう灘駅も間近だ。 普段はこの駅に降りないが、車窓からは何度も、 ホームに入り込む前の左手に見える、 葉の茂った何本かの樹木に隠された広場と白い壁の駅舎を見ていて、 一度は下車したいと思っていたのだった。 半円の大きな明り取り窓のある白い駅舎と緑の木々。 そして車窓から見える「王子公園」の方向標識とイラストのパンダたち。 駅から出ると、どんな風景が広がっているだろうか。 いつもそう思っていた。
灘駅構内の風景
1・2番線ホームの風景
1・2番線(上り線)ホームから見た下り線ホームの三ノ宮側のようす。
ホーム三ノ宮側寄りの風景。何も置かれておらず、 まるで国鉄時代の持て余したホーム長のように見える。 しかし柱の影に吸殻入れが設置され、喫煙コーナーに指定されていた。
縦型の駅名標。
上り線ホームにて大阪方面を見て。 椅子とゴミ箱だけの簡素なホーム。自動販売機がない。
ホームから見た駅舎。
跨線橋の袂。白塗りの木造だ。
階段付近から見た電照式方面案内板。横長タイプではなくコンパクトタイプになっている。 なぜだか古風な感じがした。
1番線のようす。新快速や貨物列車がかなりの速さで通過していった。
跨線橋の下付近から三ノ宮側を望む。
跨線橋。階段の間の鉄骨組みが純粋な力強さを見せている。
跨線橋の階段の壁に取り付けられてあるホーローの駅名標。
駅名標。
上り線ホーム、階段より六甲道駅側のようす。
階段を上って跨線橋へ。
3・4番線ホームの風景
3・4番線(下り線)ホームの階段より六甲道駅側から向かいのホームを見て。
線路内にあるポイ捨て禁止啓発広告。パンダのイラスト使われている。JR西日本神戸支社の提供。
下り線ホームの屋根のない部分。植木のスペースが作られている。
駅名標。
ホームの端から六甲道駅方面を望む。複々線の堂々たる東海道本線が延びる。
3番線から見た跨線橋のある風景。
上り線ホームと駅舎を同時に見て。
大阪方面を見て。
南出口へ下りる跨線橋。
ホームから見た南出口の風景。並木の向こうはロータリーで何台ものタクシーが停まっていた。
列車の現在位置案内。
到着した普通須磨行きの列車。
瀟洒な跨線橋
下り線ホームの跨線橋への階段を上って。
下り線ホームから階段を上りきったところから、南出口方面を見て。
南出口改札口へ下りる階段。
南出口の改札内の風景。
南出口には待合室などがなく、改札口があるだけだが、 改札内にトイレが設置されており、駅舎と呼べそうな気もした。 かつてここにも立派な駅舎があったらしいが、戦災で失われたという。 私はこの改札をくぐらず、まずは駅舎のある北出口の改札を出た。
跨線橋内は壁が白、柱が焦げ茶に塗られていて、鮮やかだった。 ただ、壁と床の隙間が開いていたり、 壁に使われている板に節穴ができていたりした。 また階段の表面が黒いのは、 たくさんの平たい突起のあるゴムのような滑り止めの覆いがしてあるためで、 そこを歩くとゴムやわらかさが少し足の裏に伝わってくるほどだった。
南出口への階段踊り場付近から見通した跨線橋内部。
床と壁の間にできた隙間。
跨線橋の窓から見た駅舎の半円形の窓。 屋上は外から目立たないような三角の薄い立体になっていた。
県立美術館、動物園、灘の浜への案内板。 終日禁煙は中国語とハングル文字でも表記されている。
跨線橋の窓はガラスではなくプラ板のようだった。
1,2番線(上り線)への階段手前付近から見た跨線橋内。
北出口へ下りる階段手前付近から、南出口方面を振り返って。
1,2番線(上り線)への階段の、手前を過ぎるあたりで跨線橋は45度ほど折れている。 この折れ具合がなんともいえない複雑さを作り出しているように見えるし、 洒落ているように思える。
北出口へ下りる階段の手前の風景。王子動物園への案内が出ている。
上の写真の窓から見た外の風景。
駅舎へ下りる階段。右に「お手洗い→」の小さな案内プレートが貼られてあるが、 そこにもパンダが。
駅舎内へ
そこかしこにパンダの絵を見つけたのち、
跨線橋の階段を北出口へ下りると、駅舎内に入り込むが、
そこは自動改札の置いてある大広間の手前にある部屋だった。
どうもこの駅舎は現在の使用に合うように改造されたようだった。
その部屋は目の前の壁に開けられた間口を通して、
改札口の大広間と続き間になっていて、
階段を下りた直後のその部屋にはトイレへの入口、コインロッカー、自動販売機などがある。
しかしよく考えると、右手は背の高い柵越しに直接外とつながっているし、
左手は横に6つに並んだポスター掲示板だけで線路のある外と遮られているに過ぎないから
部屋というより空間だった。雨風も入ってくるだろう。
階段を下りたところ。
階段を下りて左手のようす。隙間から上り線ホームの状況がよく覗える。
改札口への間口のすぐ左に、回廊への低い門があって、そこをちょっと覗いてみた。
改札口への間口とその右隣の回廊への入口。
回廊内のようす。塵取りとほうきが置いてある。
1番線から駅舎を見れば、この回廊の全体が見え、 その軒下に壁と天井を滑らかにつなぐような 鋼鉄の薄い「持ち送り」(コンソール)が取り付けられているのが見える。 しかし、回廊の終わりの壁にもそれと同じ模様の彫り物が施してあるように見えて驚いた。
コンソールと同じ模様が壁にある。
しかしよく見るとこれは彫り物ではなく、鉄鋼のコンソールを壁に寄せ付けて、 その上から、周りの壁にも使われている塗装剤を吹き付けたように見えた。
階段を下りた直後の空間に戻って、右手を覗くと、 先ほど述べたように外と直接つながっていて、高い柵で仕切られてあるが、 この駅舎は昔、一体どんな風に使われたのだろうかと思う。 阪神・淡路大震災後の一時期、ここを改札口として使われたことはあるのだが。
こちらは階段を下りて右手にある柵越しに見た外の風景。 左に少し写っている建物が外にあるキヨスク。
下りてきた階段を振り返って。左手にトイレへの通路。
とうとう大広間へ。天井が高く、並んだ自動改札の高さが少し低く感じる。
改札口。
改札口を出たところから、トイレのある一つ前の空間の方を見て。
自動改札と半円形の明り取り窓の取り合わせが駅舎の歩みを感じさせる。
この駅舎の特徴になっているこの半円形の明り取り窓は扇形欄間とよばれ、 ファンライト呼ばれるものだ。高い天井の駅舎に明かりを取り入れるための大切な窓である。
団体用の改札口の扉が「だな」となっていて、右読み時代のままだった。
出札口。
灘駅前の様子
北口駅前と灘橋跨線橋、そして南口駅前の風景
駅舎?。
駅舎?。
駅舎を出ると、左手には街路樹に囲まれた広々としたレンガ敷きの駅前広場、 右にタクシーの連なったロータリーがあった。 レンガ敷きの広場では、何人かの人が広場の外縁にあるベンチで休憩し、 遠くの椅子で、19歳ぐらいの二人の女性が手作りの弁当を持参して食べていた。 また、ロータリーを右に見ながら直進すると、すぐに交叉点に出て、 目の前に「パンダストリート」と名付けられた、 ビニール屋根の簡単なアーケードのある灘駅前商店街が始まる。 六甲道駅前と同じように、商店街は坂道になっていて、 神戸の山手の町という感じがした。
ところで、「パンダストリート」もそうだが、 灘駅構内や灘駅の周りには何かとパンダを絡ませたものがある。 しかしそれは、2006年当時、日本に3頭しかいないパンダのうちの2頭が、 駅から350m先の王子動物園にいるからであった。 もう1頭は和歌山のアドベンチャー・ワールドにいる。
駅を出て左に広がるレンガ敷きの広場。
レンガ敷き広場から見た駅舎。
広場の右脇の木の近くにあった王子公園への案内板。
駐輪所。交差点に行くまでの歩道の左側にあった。 無骨な造りではないことに少し関心。門がアーチとなっている。
地面に埋め込まれたペンギンの描かれたタイルとかばを模した立体。
灘駅前商店街「パンダストリート」の入口あたりの風景。
入口右付近には新しいマンションが目立つ。
このまままっすぐ行ってみるのもいいが、とりあえず南口を見に行きたいと思ったので、 駅舎から出てすぐ右にある道に入り、 少し遠くに見えている跨線橋を渡ることにした。 跨線橋は路盤から高い位置に架かっていて、橋詰までの道が坂になっていた。
灘の湯デイサービスセンターのあたり。
橋のたもとまで続く坂道。既に交叉点が先の方に見えている。
交差点まで上り詰めて、ふとこれから渡る橋の親柱を見ると、 ひどく変色していて、ずいぶんと古そうなものだった。 柱には「灘橋」と彫られている。昭和30年10月の竣工だという。
灘橋から見下ろした灘駅構内。
渡りきって振り返ると、この橋も先の道も2車線だが、 さらに2車線分取れるぐらい幅が広かった。 向き直って、正面を見ると、高架上の三叉路で、 とても眺めがよく、遠くに港の赤と白のクレーンが何機か見えた。
灘橋を渡りきって、振り返って撮影。
反対側はひらがなで彫られてあった。
高架の三叉路になっている。遠くには港のクレーンが見える。
この三叉路を右折して坂道を下った。 右手にやけに立派な建物の保育園、 左手に日華食品株式会社の倉庫のような建物を見ながら歩くと、 やがて交差点に出る。 直進すれば朝鮮初中級学校、左折すれば再開発されたHAT神戸という地区、 右折すれば灘駅の南出口だ。
街路樹と南出口。
南出口。
改札内のようす。ICOCA専用の自動改札があった。
南出口駅前の風景。割と広く、利用者の多さを物語る。
南出口前のロータリーは緑の葉をたくさんつけた大きな木々が育ち、 少しほっとできる雰囲気だった。 実際、傍のベンチに腰掛け、実際ここでも、スーツ姿の男性二人並んで昼食をとっていた。 このまま、この改札を通って列車に乗ってもよかったが、 上り線ホームから見えていた更生センターの建物のあたりに行ってみたかったので、 同じ道を通って、いったん、北出口に戻った。
戻る途中、三叉路に入る手前にJR灘変電所への入口があった。
橋を渡る前の左手の光景。
再び三叉路に来た。北出口へ戻るには、左折して灘橋を渡ればよいが、 まっすぐ行って少し歩けば眺めが良さそうだったので行ってみた。 三叉路から歩道を少しだけ下った所だろうか、 そのあたりがいちばん景色がよかった。
大動脈である複々線の東海道本線を走る貨物列車と 山肌を舐めるようにして造られた神戸山手の町。 深い奥行きのある風景でとても気持ちよく見えた。 道のすぐ下には、引込線のようなものがあった。
このときは、なんだかよくわからないが引込線だろうと思って、そこから離れたが、 家に帰ってこの写真を何度も見直すと、とてもそうは思えなくなって調べてみると、 これは東海道本線から分岐した貨物線、神戸臨港線であった。 この貨物線は上の写真の右手遠くに広がっているはずの元操車場、現東灘信号所から 神戸港駅を結ぶ線だったが、2003年に廃止されたのだという。 海に突き出す突堤まで延びていた、なんていうことを聞くと、 華々しく活躍した頃があったのだなあと容易に思いを馳せることができた。
割塚通の風景
再び灘橋を渡り、灘の湯デイサービスセンターのところまで来ると、
コンクリートの短い柱に木の棒を通したいかにも古そうな柵を発見。
これは灘橋竣工当時のものなのだろうか。
いずれにせよ震災を免れたようだ。
北出口前のロータリーのようす。
再び北出口まで坂を下りて戻り、駅の前を過ぎて、 すぐ近くを通っている高架の阪急神戸線にそって駅から西に歩いた。 駅舎を背にして左の方向に歩いたことになる。
北出口前のレンガ敷きの広場の端から駅舎を。
阪急高架、城内歩道橋前。ここを高架に沿って左折。
阪急の大きいコンクリートアーチの高架の近くまで来た。 ドームのようなこのアーチは随分補修されて使われているようだ。 左の方では高層マンションの工事を行っていたが、もう外観はあらわにされて、 ほとんどできあがっていた。 阪急の高架をくぐらず、左折。 マンション工事のため、高架に沿う細い道の幅が狭くなっていた。 付近を割塚通という地名の付けられた、この道を歩くと、 右端には様々な物品が集め寄せられていて、 右手の高架の下には、その高さにちょうど合わせるように、 倉庫のようなものが作られてあった。 すぐに左手に目指していた更生センターが現れた。 側面の壁に青い字で「更生センター」と書かれたのが、駅のホームから見えたのだった。
神戸市立更生センター・更生援護相談所。
更生センターのすぐ隣にある割塚古墳の跡。 石室の一部の石を使っているようだ。
更生センターの前から、駅の方向へ振り返って。
阪急高架下の建物。このあたりだけ木造になっていた。
歩いていると、左手に布団の掛けられたつつじの植え込みが現れ、 その近くのゴミ置き場にはテレビが置いてあった。 この近くから入れるJR線に沿う道に入ると、 線路越しに神戸朝鮮初中級学校が見えた。 JR線の車窓からもよく見える建物だ。 私がかつて三ノ宮から各停の列車に乗った折、 灘駅から朝鮮語を話す小学生ぐらいの子がたくさん乗ってきたことを思い出した。
線路越しに神戸朝鮮初中級学校を望む。
もとの道に戻った。その先は突き当たってT字路になっていた。 左折するとすぐにJR線の下にもぐりこむような低い高架、 右折するとまたすぐに阪急の高い高架下に入ることになる。 この二つの線路はやがて高さを同じにして、三ノ宮駅構内へと入ってゆく。 ところで、このT字路の突き当りには変わったお店があった。
左:突き当たりのT字路。
右:石垣に注目。
波板で覆った壁に、ペンキでお店の名前をでかでかと書いてある串カツ屋(飲み屋)さんだ。 迫力のあるペイントだが、 右下には白い板に丁寧な字で書かれたメニューがあり、わかりやすかった。 突き当りまで歩いたからもう戻ろうと思った。
灘駅前商店街から再び駅へ
高架に沿って歩いて戻る途中に、傘を集めているおじいさんに遭遇した。
そして、灘駅前商店街を通って駅前へ。
駅方向へ下ってゆく商店街。
このように、アーケードの中にはパンダをモチーフにした飲食店の看板もあった。
灘駅前の交差点に出て。
再び駅の前に戻ってきた。 ずいぶん長居したし、もう、そろそろここを立ち去ろうと思い駅舎に入り、改札をくぐった。
駅舎に入っても階段を上らず中を眺め回していると、 改札外に赤い帽子を被った私服の児童たちがたくさん 座っているのが見え始めた。きっと、王子動物園からの帰りだろう。 みとりの窓口兼有人改札の駅員と、駅長らしき人の二人出てきて児童の前に立ち、 駅長は両手を後ろに組んで作ったにこにこ顔で、何やらあいさつを垂れているような姿勢だった。 きっと慣れているのだろう。もう何回も、動物園帰りの子どもたちを迎え入れているだろうから。 初めての駅で初めての光景を見て、やがてそれが何度も繰り返されたものであることに思い当たると、 滞在時間以上に駅を知っている気になってしまうため、新鮮な錯覚に陥る。 さて、団体用の改札である低い柵の門があけられて、児童が入り始めると、 ほかの利用者が紛れてそこを利用しないように、駅長は堅く見守っていたのであった。
さて遠足の児童たちがお待ちかねです。
なだれ込む児童たち。
動物園帰りの子どもたちで賑わうホーム。 この光景も何度も繰り返されたものであろう。
今回は、いつも車窓から気になっていた街も見ることができた。 とくに阪急の高架下の木造の倉庫のあたりは前から気になっていた。 駅構内に関していえば、跨線橋が特によかった。 跨線橋内部の白い板の壁と焦げ茶の木枠が美しく、 跨線橋の微妙な折れが、その内部に立体的なおもしろみをもたらして、 とてもお洒落に見えたし、ホームから跨線橋を支える鉄骨組みが美しかった。
駅舎内はドーム風の天井と半円の窓が特徴で、 コンソールなどの飾りもあったが、 駅の外に出て見た駅舎の全体の姿は、それほどでもないように感じた。 駅のすぐ前にある葉の茂った街路樹が駅舎を遮り、 駅の前面には時代に合わせて、 Kioskやトイレ、ゴミ箱の設置などが設けられているため、 雑多な感じもややあった。
また、特に扇形欄間の周りの壁には、 その塗装の下に亀裂の入っているのがはっきりと見て取れた。 出兵を見送り、戦災を逃れ、震災に耐え、様々な時代を見つめてきたはずの灘駅は、 時代に応えつつ変化し、また耐えてはきたものの、 どんどん当時の姿から離れていく駅と駅前は、 一つの区切りを迎えることになってもおかしくはないと思えた。 灘駅は2006年10月から、南北を行き来できる駅に生まれ変わるための工事を受けているという。
ところで、駅の前面を部分的に遮っていた木々は、 重要な役目があったのだといえる。 それは、レンガ敷きの広場外縁の木々と一緒になって、 駅前に落ち着ける空間を作り出すという役目だ。 神戸市内にあり、三ノ宮という非常に利用者の多い駅の隣にある駅なのに、 交通量の多い道路とは距離がありるため、それほど騒がしくなく、 駅周辺は木々に囲まれ、昼にゆっくり弁当が食べることができる駅前だった。
次に訪れた駅: 三ノ宮駅