永原駅
マキノ駅の近くからは見えていた琵琶湖は見えなくなり、徐々に山の中へ入り込んでいく列車。 列車内に終着駅永原到着の旨の案内が何度も流れた。 列車の通路に立って前後を見通すと、乗車しているのは自分だけのようだった。 放送が車内にむなしく響き渡っている。
まもなく終点、永原。
永原駅にて乗ってきた列車を。
京都へと変わった方向幕。
列車は2番線に停車した。同じホームの向かいは1番線だ。 ホームに降り立ち、しばらく列車から出る人を待ってみたが、誰も出なかった。 車内では乗務員がひととおり歩いて点検し回っていただけだった。
1,2番ホームから3,4番ホームと琵琶湖方面を望む。
無灯式吊り下げ駅名標。矢印が両方向に書かれている。
マキノ方面の1,2番ホームの終わり付近。
この永原駅というのもまた独特だ。
京都方面から湖西線に乗って来れば直流の駅はここが最後になるから、 京都方面からやって来て永原に停車する全24本中16本の直流電車は すべて永原駅どまりになっている。 これだけの事実なら何でもなさそうなものの、 なんと永原どまりのこれら列車すべて、どの列車にも接続していないのだ。 しかも永原駅が途中停車駅となる福井・長浜方面直通、つまり交直列車は1日8本(8=24-16)。 このため、私が駅に降り立ってから数時間たっても駅に大きな動きはなく、 この駅は事実上、京都からの盲腸線の、終着駅のように感じられた。 京都から来たこれだけ多くの永原どまりの列車が、永原駅で接続されないのは驚きだが、 実は福井・長浜方面へ行くには、 3駅手前の近江今津駅で接続する列車に乗ればよいことになっている。 ただし永原どまりの列車は近江今津駅でも福井・長浜方面へ行く列車に接続せず、 一部の近江今津どまりの列車のみが近江今津駅で接続を図っている。 つまり、何も調べず、湖西線の永原行きの列車に乗って福井・長浜方面にいく場合、 永原で乗り換えようとすると思うが、その場合、 永原駅で大変なまちぼうけを賜ることになる。 しかし、この永原駅、待ちぼうけや途中下車にはもってこいという特徴も持っているし、 少し歩けば透明度の高い北湖の水にも親しめる。 永原駅のその特長とは、まず駅の地下通路だ。
地下通路への入り口階段。
振り返って。
「近江塩津・敦賀・長浜方面のりば」「堅田・京都方面電車のりば」と書かれた案内板が屋根からぶら下げられている。
地下への階段。
まず地下へ下る階段は四角いトンネル状になっているが、 上下左右の面がすべて濡れていた。 つまりクリーム色に塗られた天井と左右の壁、 そしてコンクリート階段の表面がすっかり濡れていた。 最初は雨でも吹き込んだのかと思ったが、進んでみるにつれてそうでないことがわかった。
右の階段入り口が今下りてきた階段。この階段を上ると1,2番ホームに行く。
下りてきた階段の上り口の脇に駅お手製の時刻表が掛けられてあった。 紙に印刷された時刻表が簡単な額に入れられている。 近江塩津を経由する列車は1番のりば、京都方面の列車は2番のりば。 種別、発車時刻、行き先がのりばごとに書き並べられている。 平日は青、休日は赤、平休日は黒と色分けもしてある。 ただ、地下道内の水滴が額からすっかり浸潤して、紙の時刻表はすっかり濡れていた。
階段を下りたところの隅。掲示物を弱々しい蛍光灯が照らしている。 一枚の掲示物では相変わらず、定期購入は永原駅で、とうたっていた。
1970年8月竣工。これは上の写真のコンクリートの隅に刻印されてあった。
とにかく地下道内はびしょぬれだった。 おそらくこれは気温の違う二種類の空気のせいで、 トンネル内にあたたかい空気が入り込んだせいだろう。 天井にも壁にも粟のように水滴がぷつぷつ浮き上がっていて、 雫が大きくなってしたたっては、地面を濡らすといったふうだ。
天井の水滴。
しかしこの地下道内は涼しくて過ごしやすかった。今は梅雨の晴れ間の7月中旬、 外は蒸し暑いが、ここは気持ちがいい。
ところでこの地下道、ちょっと大都市郊外の駅の地下道の作りに似ている気がする。 例えば膳所駅、大津駅、山科駅などの地下道に似ていないだろうか。 地下道の壁の下側にはレンガを積んだように牡蠣色のタイルが張られてあるが、 このびしょぬれの空間、閑散として人のいない空間にはなんだか不釣合いに感じられた。
地下道内には3人がけの椅子2つも置いてある。 涼しいから、ここに腰掛けて本を読むのにはいいだろう。 私も列車を待っている間してみようかと思ったが、 水滴が落ちて服が濡れるかもしれないと思ってやめた。
3,4番ホームへは、到着から30分後に行ったが、ここで同時に紹介してみたい。
出口側から3,4番のりば階段上り口を。 「3・4」と書かれた電灯式ホーム案内がぶら下げ取り付けられてある。
3・4番のりばへの階段口の壁にぶら下げられた時刻表。すべてが近江今津行きとなっている。
3・4番のりばへの階段を数段上ったところから地下道内を見下ろして。 いい雰囲気だと思う。
近江今津行き専用ホームへ。
「近江今津行きのりば」と書かれた案内板が吊り下げられている。
ホームのようす。
階段を上ったところあたりから隣の1,2番ホームを見て。
今いるホームの無灯式吊り下げ駅名標。もちろん矢印はマキノ側にだけ付けられている。
もし天気がよければ、琵琶湖が少し見えたかもしれない。 しかしこの日は雲が厚くて見られなかった。駅前には田畑が広がり、 背の高い緑の雑草に覆われた大浦川のとおっているのが見渡せる。 のどかだが、京都方面へ行く列車ばかりで、やはり寂しい雰囲気だった。 近江塩津駅は同じ西浅井町にあるが、列車の本数から見れば、近くて遠い存在に感じられた。
ホームからマキノ側を望む。ここから見ると駅舎も少し小さく見える。それ以外は田が延びているが、右手から山の尾根が延びて邪魔している。
ホームから琵琶湖の方を眺めて。
待合室。中の蛍光灯は虫の嫌う蛍光灯になっている。 山が近いから虫が相当なのだろう。
地上の駅名標。
4番ホームから見て琵琶湖側にある永原小学校校舎を見る。
ホームの端近くまで行って琵琶湖と反対側を眺めると、 向こうの方まで家々の広がっているのが少し見渡せて、 ホームが高い位置にあることが実感できた。 なだらかで優しい山が囲んでいるが、完全に囲まれているわけではなく、 一部、少し山並みがずれて隙間をあけている。そのため囲まれることによる 鬱屈はなさそうだった。
3番ホームから向かいの1,2番ホームを。山の谷間まで随分と家々が広がっている。 山の尾根も随分とやせていて穏やかだ。
ホーム終端旅情。近江塩津方面。
ホームの端から近江塩津方面を望む。
随分長いホームだった。
さて地下道に戻ろうと思い、階段近くまで行くと、マキノの方からことことおとが聞こえた。 電車が来るらしかったので、しばらく眺めて待っていると混成の4両編成が来た。 福知山線でも同様の編成で走っている。 種別幕はおなじみの水色地に白字で書かれた湖西線という幕だった。 濃い緑と橙の電車の種別幕に水色地に白地で湖西線と出ていると、 鮮やかに幕が映えるようにいつも思われる。
ことことと音を立てながらホームに進入する列車。
ホーム中ほどから。
またもやホーム端まで行って。
この列車もほとんど回送のようなもので、やはり京都どまりである。
地下道に戻ろう。
地下道の出口に向かって進むと、赤いポストのような「乗車駅証明書発行機」があり、
横のパイプにはパンチ穴の開いた紙の「乗車駅証明書」の束がひもで通されぶらさげてあった。
滴り落ちる雫のせいで、ぶら下げてある紙はかなり湿っていた。
1,2番ホームへの階段の近くに設置されている「乗車駅証明書発行機」
発行機の右横には3つの掲示物があった。 右から順に熊野古道、黒部峡谷、そして各列車におけるドア取り扱いについての説明。 もっとも興味深いのはそのドア取り扱いについての説明だ。やはりこの掲示物も湿ってしわがよっていた。
「7月1日から8月31日まで車内保温のため下記のようにドアを取り扱います。」 と書いて、列車の写真、イラストともにそれぞれのドア取り扱いを掲示物上で丁寧に説明している。 そういえば西大津駅での車内放送でも「冷房効果を保つため・・・」とドア扱いの案内をしていた。 またその掲示物では、ここは永原駅ながら、近江今津駅での北陸線方面の列車のドア取り扱いを説明していて、 それによると白地に青線の入った列車のドアは「手で開けるように」と注意されていた。 ドア開かないな〜とドアの前で立っていると発車、乗り逃しとならないように、ということだろう。 たぶん、冬季になると、またこの説明掲示物もそれように取り替えられるのだろう。
出口付近まで行って振り返ってみると、ほんとうに人通りがないのが不思議、という感じがする。 なんと言っても雨に濡れるはずのない地下道が、降られたように濡れているのがなんとも不思議。
発行機あたりから地下道奥を望む。
地下道の出口付近からは開け放たれた扉から新しい駅舎内が覗き、 右手にはきっぷをいれるおなじみのステンレスの箱が立っていた。 両脇に引かれきった黒い頑丈そうな引き戸も、最終列車が行けばかたく閉ざされるのだろう。
地下道の出口付近。出口付近の地面は新しい石でそこからは地元が整備したと考えられる。
駅舎出口から見た駅舎内。
駅舎内はとにかく凝っている。出札口の上を見ると屋根が延びている。 屋内に立派な庇つきの出札口。また、長椅子の前には彫刻が設置されてあった。 そして長椅子上の照明は間接照明。 全体に明るい木材をふんだんに使った豪華ともいえる駅舎内。 コインロッカーもあり、種類の多い飲料自動販売機もあり、レンタサイクルもある。 また、待合室の長椅子の上の天井付近には、ツバメの巣まであった。
左:こちらを見るツバメ。
右:頭上注意のプレート。
駅の時刻表の下方に貼られた近江塩津駅での乗り換え案内を見てみると、 まともに乗り換えられるのは2本だけである。 もともと近江塩津駅は乗り換え駅でないので、これは仕方ないことだろう。 また、7:26永原発米原行きは近江塩津で接続なしとなっているが、 調べてみるとちょうど1時間後、8:37近江塩津に芦原温泉行きが来る。 1時間以上は接続なしというわけだが、ここには57分待ちでも接続として挙がっている。 待ちぼうけはどちらも同じ。
左:トイレ付近から見た出札口。
右:展示室入り口
展示室入り口前にも間接照明があり、かなりの凝りよう。 左手には緑の公衆電話も置かれている。この展示室内には大きな木製の机と椅子が2組ずつ、 そしてたくさんの自転車が置いてある。 この室内に西浅井町シルバー人材センターの入り口があり、 それが出札窓口への入り口となっていて、開け放たれてあった。 また、近くに丸子船の模型もあった。とにかくこの町、西浅井町大浦地区は丸子船が自慢で、 駅前には幾つもの丸子船を意匠に使ったオブジェが辟易するぐらい多数見受けられた。 丸子船がこの町を作ってきたのだから、それは当然のことかもしれない。
左:展示室の風景
右:展示室に入って右側のようす。丸子船の模型が閉じられたカウンターに置かれている。
駅舎を出ると、広いロータリーを挟んで向こうに観光案内板や彫刻が並べあり、 観光地に来た気分になる。天気は晴れ間に積乱雲が日本海側からもくもくとわいているが、 雲が多すぎて、夏らしい空ではなかった。2人ほどが駅前の川向こうの道を歩いていた。 自動車の動きも少しだけある。しかし商店はなく、少し寂しい感じで、 眺め渡すと琵琶湖まで続くであろう茫漠とした風景が広がっている。 しかし、駅前に商店はないものの旅館はある。下の右の写真に右端に写っているのがそれ。 外観からすると営業しているかどうか疑わしいといった感じだ。
駅前の風景。
駅舎入り口近くにある永原駅のバス停。
オブジェ2つ。
左:琵琶湖と共に生きた湖の民と丸子船に運ばれた悠久の歴史の故郷
右:西浅井町観光案内図
駐輪所。
駅前の駐車場。
駅舎はログハウス風で、中も温かみと高級感のあるつくりだった。 これも永原駅の大きな特徴だ。 なぜログハウス風にしたかというと、永原駅近くに役場を構える西浅井町の 友好都市がフィンランドのトフマヤルビ町であるから、 フィンランドのログハウスを模して建てたという。 入り口に掲げられている看板の"Koti"はフィンランド語で"ふるさと"という意味だそうだ。 そういえばここは雪のよく積もる土地で、透徹した水をたたえる北湖と森の豊かな、 ここ大浦地区は、真冬には雪のフィンランドのような景色を見せてくれるのかもしれない。 そうなると、このログハウス駅舎違った顔を見せてくれるだろうと思った。
「いよいよ実現琵琶湖をぐるっと環状線」の看板。前にのびるのは大浦川を渡る永原駅前橋。
永原駅前橋のたもとから。標語が随分目立つ。
永原駅前橋の上から見た永原駅ホーム。
橋のたもとから、琵琶湖方面を眺める。続く道は未舗装だ。
永原駅前橋詰から1.5kmほど歩くと丸子船資料館や琵琶湖が見られる。 行ってみようかと思ったが、駅前は退屈しなかったので結局ずっと駅前にいた。 列車を一本遅らせたにもかかわらず、時間がさしてあまらなかったのだからどうしようもない。 でも事前に行くつもりをしていたなら、十分時間合わせはできたと思う。
橋の上から琵琶湖方面を眺める。
大浦川は草におおわれ、両脇には田んぼが広がる。
橋のようす。左の橋は自動車用、右の新しく細い橋は歩行者自転車用。
歩行者用の橋のたもとから。つづらお荘の歓迎の背の高い看板が明るくて目立っている。 また、永原駅をサンダーバードが通過中。
7月1日〜7月31日企業内同和問題啓発強調月間。
橋の銘板。
西浅井(にしあざい)町役場前の通り。
役場横の建物の前にある「差別のない町ふれあいの町 人権尊重宣言の町」の啓発看板。 融雪装置の水でコンクリートがかなり赤茶けている。奥の建物は西浅井町国民健康保険永原診療所。
西浅井町役場の建物。
役場の建物にかかる「平成18年秋 新快速(北びわこ)乗り入れ実現へ」の横断幕。
駅の周りにある湖西線についての標語を見ると、永原駅にはまだ新快速は来ていないように思えるが、 少なくとも現在、2006年7月においては1日2本、姫路行きと網干行きが来ている。 朝6時台に1本、大阪行きの快速もある。
役場前から橋まで戻って、駅方向に川沿いの道を歩いた。 この道は役場の脇道になっていて、JR湖西線の高い高架下をくぐり抜ける。 この高架下を潜り抜けるとどんな風景かな、集落のようすが見られるかなと思って行って見た。 そういえば永原駅前のすぐ近くには集落がない。駅からそれぞれの集落の端へはだいたい150mぐらいの距離がある。
役場脇小道。
永原駅全景。
道中から駅のホームを見上げる。
高架下のようす?。丸い柱の周りの土がえぐれているが、 きっと上流から勢いのある水がぶつかって彫れてしまったのだろう。
高架下のようす?。二つの高架があるが、造りが全く違う。
この高架下を抜けると・・・・・・
なんともロマンチックな風景が広がった。月明かりの中、 こんな小径を歩くと、自然と月や星に想いを寄せることになりそうだ。 特に一本のお洒落な街灯が注意を引く。この町は丸子船で町を興しているだけあって、 街灯にも「丸子船の郷」というプレートがぶら下がっている。
ここで引き返した。向こう側に見える穏やかな山容がなんともいえない心地よさを 醸し出している。あの向こうには敦賀市が控えているのだと思うと、 山を越えてみたときの風景を想像したくなるものだ。 山からは重そうな入道雲がまさにもくもく沸いてこちらへ流れてきている。 あの雲も海でできたものかな、とも思ってみた。 そしてこの鬱茂する草たちと山の豊かな緑。風景の隙間とあらば緑が埋め尽くしている。 きっと梅雨によるたっぷりの雨がこんな風景を作ったのだろう。 雲を見ると梅雨はあけ切っていないことをふと思した。 梅雨はいやな季節だが、ときどき現れる晴れ間には、 ほかの季節とは違う、水滴や空の色で重く鈍く見えるしっとりした緑の繁茂する、 独特の風景が見られるのだ、と思った。
永原駅の裏側のようす。
戻り道。
駅前へ戻るとちょうど列車が待っているのが見えた。 これもまた永原どまりであって、京都どまりである。
駅の地下道には、大勢の幼稚園児が列をなしていて、 数人のおとなたちが、「せんせい」と呼ぶ声に応えたり ざわめく園児たちに「もうすぐだから」と対応に追われていた。
1,2番のりばへ階段を上ると、ひとりの外国人旅行者と そばに停車中の列車の乗務員とが、地上に立った時刻表を見ながら考え込んでいた。 どうしたのだろうと思い、しばらく背後にいて様子を覗っていたのだが、 会話は交わされていないようだった。 仕方ないから、列車に乗り込むと、ひとりの鉄道愛好家がいて、 その人によると、その旅行者は近江塩津へ行くつもりであったという。 なるほど永原行きに乗ってしまい待ちぼうけというわけだ。 しかし、直流化が果たされれば、このようなこともないだろう。 このあと私はマキノ駅に行き、その帰り、志賀駅でこの旅行者が列車に乗り込むのを見た。 予定変更して志賀を見たのだろうか。 その鉄道愛好家は私なんかよりずっと電車に詳しくて、電車内でいろいろ教えてくれた。 その人は長浜の方から回ってきたらしい。 ふと、なぜこんな接続の悪い列車を選んだのですか、と尋ねたところ、 やはり永原駅での待ち時間を楽しむ目的もあったらしい。 その人は混成の電車のドアボタンを押して空気音を楽しんだり、 電車の製造年代を確認して違いを探したりしていた。 そう、この永原駅は以北すっかり列車本数が減るため、待ちぼうけ駅だが、 それを知って利用する人もいるぐらい、待つことにあたって人に親しまれている駅なのだ。
次に訪れた駅: マキノ駅