長谷駅
(三江線・ながたに) 2011年7月
川霧でできた上昇雲を障子紙のようにして太陽が透けて輝き出す頃、信木から列車に乗った。もう外ははっきりと暑く、蝉と川の水の流れが耳についた。正直、江の川はきれいといわれるタイプの川ではない。どちらかというと、恐ろしい川だ。淀んでいて、いつも灰緑で、中国山地を深く穿ち、ときには大蛇のように這いまわる。きっと川を初めに見た人の印象も、怖い、だろう。しかし流域の人々はこの川とともに生きてきたわけだ。何度崩れてもやり直してきた、そんな歴史があるに違いなかった。
だから江の川を讃えていいものかどうか沈思黙考してしまった。
けれど季節は夏、梅雨も終わり、当面は長雨の危険もない。陽はこんな狭い谷地にも燦燦と降り注ぎ、車内は好く冷房が効いていた。制服のカッターシャツが冷え冷えとするくらいだろう。
列車は高校生が座席を埋めていて、江の川を眺めているのは私ぐらいなものだった。
そういえば私はカッターシャツを長らく着ていない。あのポリエステルの生地は夏には本当にいやなものだった。そんなわけで私は服装が自由なIT系に勤めている、ということにしている。何でもそうだけど、そういう設定にしているのだ。でないと、旅行はしづらい。いちいち相対する場で真実を積み重ねていたらきりがないので、簡単に話を作っておくのだ。
だって自分の目的は、自分の旅なのだから。
ナガタニ駅に降りた。通過する列車があるので、なかなか降りられない駅である。待ち時間も長くなりやすい。ここでは1時間40分の待ちであるが、おもしろい駅なので飽きないだろうと想定していたら、案の定、そうだった。
笹や蕗、葛に覆われたホームはまだ涼しさが残っていて、日陰は苔むしていた。階段を下りると、そこには名駅者が佇んでいた。純粋な、混じりっけなしの木造で、長方形の小屋のようなものだった。ガタピシいう木製の引き戸から中に入ると、板の匂い、ベニヤ板の匂いが鼻腔を突く。ところどころヘゲて、板の層が開いている。長椅子が回しつけてあって、奥には赤い除雪スコップがあった。
「これは…まるで北海道じゃないか」
中国山地に北海道? 不思議な感じだが、この地方には局所的に積雪が多くなるエリアがある。
なんとなし、江差線の神明駅や宮内駅のことを思い出していた。
「にしてもこんな光景をまさか広島県で見ることになるとは…」
なんじゃこりゃぁ!
長谷駅その1.
小屋の中の朝の新鮮な光は、いっぱいある十字なガラス窓によって曇り、けれど開けてある窓や戸から、鮮烈な山の朝の空気が入り込んでいた。日差しは晴れた雪の日のように鋭い。秋のようにも鋭いが、今は夏だ。ただ頭の中にある夏という想念と気温の感覚だけが、今は夏だと弁別せしめていた。正直、瞬間瞬間だけなら、秋とも冬とも取れよう。しかし今日一日としてそれを捉えると、それは決して混同するものにはならないだろう。もう少しまとまった時間でもいい。山というのは、こんな風に季節を混同させるところがある。それくらい、この駅は江の川を見下ろす山裾にあった。
駅舎を出たとこの石台は、あたかもその江の川を眺めるためのものであるかのようでさえあった。いろんな土をのみ込んだような泥の河で、何か長江を思わせるところもある。ただ朝の鮮烈な光と空気だけが、爽やかだった。
小屋にはJRのシールが貼ってある。民営化後に貼りまくったものだ。そのシールを見て、青春18きっぷで降り立って、この駅の立地と駅舎に驚きを以て心に刻んでいった青年たちがいることを想う。何かそれは、人間にとってなくてはならない瞬間かもしれない。ある年齢になったら旅をするものだ、というような、いや、1歳を過ぎたら歩きはじめるものだ、といったような、成長指標の一つでありさえするかもしれなかった。
駅旅は私にとって無上の癒しだった。理由はわかっている。それは誰一人として、学校では真実を教えないということだ。別にこんな駅のあることを教えていない、ということを言っているのではない。実際の日本の国際的な地位や、見られ方は、決して独立国とは言えないと断ぜざるを得ないというその点に於いてだ。
何よりもリアリティを欲していた。また、忘れ去られているとさえいえる我々の生き延び方を、この目に入れたかった。鉄道があって小屋がある、下手した我々の近代化はそこから出発したかもしれないのである。この基本形を見よ! 金も車も食糧も奪われた先には、きっとこんなところに駅があるのを崇尊し、喜んで移住するかもしれない。そもそも引き上げの開拓団が入植した山あいに東青山駅が開設されたのも、同様の理由からだ。駅さえできれば、あとは人的交流も可能で、農産物も出荷できる、そういう理由だった。
時折福冷たい風を前腕に感じながら、ボロボロのホームを歩いていて、長江を眺めたり、臙脂のトタンの小屋を見下ろしたりした。中国地方の夏の輝く朝日にもかかわらず、やはり何かエアポケット的な雪国にいるかのようだ。ここだけ、何か全く違う異質な場所のようでもある。確かに今が夏であることをつかもうとするのだけど、それは頭の中の意識でしかないかもしれず、時折不安に陥った。とはいえ、小屋の中のあのベニヤ板の木の匂いを嗅げば、一発で夏と分かるのだった。夏日に熱せられ、乾燥して、独特なにおいを立てる、あの感じだ。
電気も来てます
そんな駅の周辺は、日本全国の山の中にあるような車一台分しかないような道だ。そんなところに鉄道の駅がひょっこりあるといったら、この駅の意外性がよくわかるかもしれない。江の川のメインルートは対岸で、こちらではない。不思議だが、川というものは両岸に道を従えるものの、必ずそのどちらかがメインとなって、片方はどマイナーなルートになることがしばしばある。あちらは鉄道が走っているからと重視されなかったせいか、鉄道のある方は、たいていそういう走っていて興味の尽きない細道の方を従えているのだ。代行バスはこういう道を走るので、ものすごくおもしろかったする。
石の性質だろうか
この地出身の方が戦死されたのでしよう
なんかこういう県道にはありがちな手作りの集落案内板です
近くには長谷の集落の一端が垣間見え、山の高くに本拠地があるのが窺われた。ほんと、よくある山岳区間の県道のそばに鉄道が走っている感じである。この長谷駅は停車本数も少ないし、あの臙脂色の屋根のお宅の方が、近所の方といっしょに息切らしながら駅にやって来て、ああよかった 間に合った、あと2分ある、これから三次での病院帰りの催し物、楽しみだねぇ、と言い合う、そんな光景によって、この駅が輝けばよいなと思った。
こんなに絵になる駅もない
この駅では1時間40分の滞在だから、時間は十分にあった。しばらくはこの小屋みたいな駅舎で、仮眠しよう。とにかく昨晩の駅寝の疲れがひどい。鳥の鳴き音を聞きながら、江の川を瞼の裏から感じなにがら、うとうとする。暑いが、それ以上に眠かった。静かのようだけど、たまにあの眼下の極細の道を軽トラや軽自動車が結構なスピードで通過していく。その音が間歇的であればあるほど、こんなところでもどんどん時間が過ぎていく気がした。んなことより、人、いるんだ…てな感じだが、中国山地は人が散在して住んでいるのが特徴だ。険しい峠も少なくゆるやかで、気候も厳しすぎず、山の恵みも豊かなので、市街地よりかは余裕のある土地のことを思うと、災害が起きさえしなければそうそう離れる理由も見当たらなさそうだった。なんならここなら鉄道もある。
つとに、ハッと目が覚めた。驚いて、すぐに腕時計を見た。もしかして! と。気が付くともう列車の時刻の25分くらい前だった。危ない…思わず胸をなでおろす。こんなところで列車を逃したら、延々と歩くか、昼過ぎまで列車を待つしかなくなる。
すでに空も山はますますのどかになり、日は高く、多くの人々がどこかで活動的になっているのを感じる。しかしそれでも江の川は変わらずに、ゆるゆるとその豊水を湛える。
「ほんと、こんなところに何もせずずっといたら、おれもボケそうだな」
でも次の来訪駅は三次だ。いちばんのみやこである。そこを訪れるに必要な鋭気は十分に養えた。
さて、そろそろ、と、ホームに上がる。こんな駅では入線メロディーとかないから、充分前にあらかじめ上がっとかないとマジで列車を逃してしまう。そしてこんなところで乗り逃したらジ・エンドなのは先述の通りだ。
列車は定刻通り、気が付かぬくらい静かに長谷駅に停車した。ホームで待っという良かったと思う。ここに着いたときの三次行の列車は高校生で満載だったのに、もうこのスジときたらガラガラだった。