長門大井駅
(山陰本線・ながとおおい) 2012年7月
長門といっているのだからここはもう山口だろうけど、まだ私は島根を引きずっている。
駅間で海の見えることは多いが、ここもまた降りるころには海のことを忘れてしまうくらい、内陸に入っていた。集落の近くを避けているのだろうか。
昔祖母の家が近くにあった駅だ。
赤褐色のホームに降り立つと、灼け付いた砂ぼこりが一散にふりかかってきて、砂浴びをした鶉のような気分だった。でもそれで逆に暑さがやわらいだ。
びっくりするほどの様式美がそのままに残っていたが、中に入ると、当時のことをありありと思い出した。
まだ幼かった私は周りの人をはばからず、
「どうして駅なのにこんなに植物が多いの? 中までこんなにあるよ?」
確かにそうだった。単に二三の鉢を置くにとどまらない。長く段にして積み上げ、それでも落ちそうなものまである上、蔦は壁を伝い、豪奢な飾り天井にまで這いつくばって、虫は飛び、鳥は巣を作り、あちこちを汚していると思ったら、なんと窓口の中まで彼らや植物は進出していて、けれどなおそれらの資料はあらゆる昆虫を払い落して参照され、そこで発券もされうるという、これが駅だといっても到底誰も信ぜぬような、奇妙でとてつもなく不思議な空間だったのだ。
だというのに、
「さぁね、好きでやっとるんでしょうな」
と、婆さんがにこにこしつつ平気そうに流して、
「ネコさーん、元気にしとっけぇ?」
(ネコ? ネコまでいるのか?)
すると遠くの方からドタドタ音がして、傾いた開き戸が勢いよく開き、その窓口の中に理髪店のおじさんが姿を現した。ドアはその勢いで外れ、鉢植えの一つが盛大に落っこち、私は思わず目を丸くした。
こっちと向こうで、ちょうと刑務所の面会所のよう感じだ。子供心に私にはもう何もかもが恐ろしかった。
「今日はこの子を連れて萩の方に出とったんじゃ。…がいになったじゃろ?」
おじさんは、今髭剃ってるのを放ってきてる、と、もごもごいうと、恥ずかしそうに戻っていった。
帰り道、婆さんは
「根古さんは、ずっと若いころからあそこで散髪屋を開いててね、植木をいつも練習台にしとったんじゃ。」
仕事をするのにあそこまで練習が必要だなんてはじめて知って、私はすっかり怖気づいてしまったものだ。
久しぶりにこうして来てみると、植木の数がだいぶ減っている。
それでも当時の狂気じみた雰囲気は十分に残っていた。
事情を知っている者としては、可笑しいやら、ちょっと寂しいやら。今は中の人も変わってしまったようで、店名が変わっている。
婆さんの家を久しぶりに見に行ったら、ものの見事に廃墟と化し、入ることすらかなわない。持ち主が誰になったかもわからないそうだ。あんな異様な駅の方がはるかに永らえているのは、不思議な心持ちだった。
意外に里帰りもつまんないなと、駅に戻って虫と戯れながら、駅ノートを読む。昭和のころから続くボロボロのノートだ。来る人が少なすぎて未だ一冊に纏ったままらしい。内容はたいていはサイン代わり程度のものだが、ふとこんなことが書いてあるのが目に飛び込んだ。
「大井の町はやはり漁港側にあるから、この辺は里山がメインの集落で、困ってしまうほどいうことがない。あるのはほんとにこんなヤバい駅だけだ…しかし私を楽しませてくれてうれしかった。だってこんな駅ほかにないものね。確かにひとことでいうとひでぇありさまだ。
ああしてレリーフや飾りが穢されたままなのは、それだけに何もかもが中央に為政者として赴いたのだと思わせるところがあって詠嘆を禁じ得ない。
ちょっとした日常の驚きを、明治開闢以来の駅舎の荒廃という形で展開してくれて、私はまた変わりりつあるときの流れの止まっているのを見ることができた。
ずっとそのままでいてほしいかといわれればわからないくらいだが、こんなふうな椿事に人生の中でたびたび出会えれば、それはきっと楽しいものになるだろう。
急激な変化は一見すべてが刷新されるようで、こうして暮れ残ってくるものも現れるのだからどこか逆説的だ。
人々がいらない労力を払わず、その結果生まれてくる過去とを繋ぐ時間の中で、私は想像し、まどろんでいたい。」
私は思わずため息をついた。本当に心からこんな旅行がしたいな、と。どうしてこのままに残って来たか、この人のためにノートに記しておこう。虫の死骸を払い、頁のシミをよけつつ、歯の噛み跡の付いた鉛筆を辷らせる。
「みんな当時から何も気にしておりませんでした。いま考えると、どうしてみんないわなかったか、わからないくらいで、いつの間にかこれが自然なことでした。放っておいても、不純な文化が入り込む余地はないし、異常な事態にもならぬということが自明でしたし、その点にしては町の者も自信がございました。それに店主の練習という事情も共有していましたし、まずは無人化をまぬかれ、様々な草木花で私たちを楽しませてくれ、みんな満足しておりました。しかし何よりも、異様を排せず、こうした状態で長らく続いていことは、町の誇りなのでした。」
空が薄く黄色くなって、力なく漂ってくる蝉の音が、背中に沁み込んでいく。木の脂(ヤニ)の匂いが立ち込め、鼻腔を突き刺してくる。改札口からは水田が一糸乱れず整い、構内の樹木、ホームの水平勾配、どれをとっても、相変わらずここの人らしい生真面目な仕事ぶり広がっている。
「気が付かないうちに、自分の一部になってたんだ」
たまたま奇特な光景に出会ってそれを消費しても仕方ない。いまここにあるもののを出現させうる根源的なもの、イデア的なものを、そのまま誰かに伝えたいんだ。
何も考えるなかれ、注文を付けるなかれ、嗚呼、明文化されぬうち、いつもなんとなしにぎりぎりにまとまっていることが保たれるのなら…!
我々は一つの時代を生きているわけではないんだ。輻輳する時間の記憶をいつも保ちながら、思惟の幅をめいめいつきあわせ、縦横無尽に、本来は駆け巡っているものなんだ。そしてそれが豊かさというものだったのだ。
遠くに草刈りの音の響く、古里の時間。じっと座っていると、重たい植木や理髪店のサインモーターの音は肚の底に沈み、やがてそれは黒く消化されて、その姿が消失していくのを感じて深まると、自分は本当は真っ黒で巨大な宇宙のただ中にあって、もしかすると様々な奇跡的なパラダイムの中に居合わせているのかもしれないと思い当たって、放擲してきた自室の一角にも、まだ可能性を感じないでもなくなった。
(駅舎内の光景をヒントに創作)