長門湯本駅
(美祢線・ながとゆもと) 2012年7月
目覚めると背中に痛みを覚える。そうだ、自分は家で寝てるんじゃなかったんだ。
脚も手も放り出して駅で颯は熟睡していた。旅行は九日目だ。しかしどうにも物足りなかった。温泉にも入れたし、ここで熟睡もできた、けれどなぜか自分が機械のようになっているのだ。ただ書いてきた予定をこなす―「仕事でもないのになぜに粗食でずっと屋外、深夜就寝、朝四時五時起きなんだ」
颯は車中泊で現場仕事をしたこともあった。そのときの方がまだましだった。
朝冷えの中、心が固くなっているのを感じ、多くの人が機械と化すその過程を颯は辿っている気がした。機械やさまざまな制度のそばにいて、人々が影響を受けないわけもない。颯はそこからスピンアウトしたはずなのに、気づけば戻っていたのだ。鉄道のダイヤグラムさえ崩そうというのに!
自分のお気に入りの場所を見つけるために、ほうぼう降りていた。つまりまともなダイヤの使い方をなど颯はしていなかったのだった。
プラットホームは朝冷えした荘厳な青らみ、風が通り、走行音がこだまのように回折している。いわゆるブルアワーだ。山に囲まれている。美禰の深山はのけぞって、これから大峠の控えているのを、その胸板が暗示していた。あらゆるものがこうしてまた一つ風化し、廃になってゆく。そうした中、ただ自分という交感体がそれに抗うように立っているように颯は思われた。
昨夜の奇怪な体験 ― ここから歩いて、忽然と闇夜に姿を現したあの異様に情趣を湛えた堀川の温泉街のことだ。颯は同じ西国に住んでいながら、そんな存在は少しも知らされないでいたのだった。いや、仮に知っていたとしても、よもやそれと同じものだと颯は思いもしなかっただろう。要は、伝えきれるものですらないかもしれないのだ。
「やっぱりほんとはないんじゃないか…」
冷たい青さの中で颯は首をかしぐ。
ここへ夜降りたとき、跨線橋もある、わりと大きな駅なのを颯は確認したのだ。けれどこうして朝になるとまるで消えていて、いま颯の立っている、駅舎付きのホームしかない。 ― けれどそういうことってあるものだ。風土が脳にアクセスし、かつての殷賑の幻覚を見せる…特に夜は起こりやすい。なぜなら夜は、その当時の夜と等しいことが多いからだ。
しかしそれだけでもない。駅舎はまるで温泉街などまるで知らぬかのように、飾り一つなくモノクロの世界の寺院のように横たわっているだけで、あんなものがあるだなんて、やはりとうてい思えるものではないのだった。
「なんで宣伝しないんだろ…」
何もいわないだなんて、奥ゆかしいな、と颯は思った。ある隠れた魅力を備えている女子が、そのことに本人もその周りもまったく気づいておらず、自分だけが気づき、その子のことを思わず褒め称えたくなる…小中校のころのそんな情動を、颯は思い出さなくもなかった。むろん ― 湯元温泉はおばあちゃんといったところだ…けれど颯はそのときの通りの心持ちだった。
何も言わないのは、利益なんてある程度出ればいいとして考えいないからなのかもしれない、とも思った。きのう颯は二百円払ったきりだ。共同浴場の中の様子からしても、一帯はお金を使わそうという趣向でないらしかったし、また、サーヴィスも素朴そのものだったのだった。
「あんな生き方もあるんだ」と颯は改めて思う。
深夜までエンジンをかけていたタクシーは姿を消し、ただ小鳥だけが鳴きしきるのは、とても非現実の世界のように思われた。そうしたスキマを掴むのが、颯は好きだった。
空が白んでも駅はやはりどうみてもモノクロにしか見えず、何度も首をかしげながら見つめた。けれどそうすればするほど、モノクロの世界に迷い込みそうになるのだ。当時はまだ色彩感が乏しかったのかもしれない。どこもくすむか、或いは原色に近いといったような…カラーの普及に伴って人々の色彩感覚もフィードバックによって進んだのかもしれない、そんな認識論を颯はぼんやり考えた。いや、高度な色彩感覚の生成物をふだん目にするようになって、我々がその感覚の精細さをあらゆる時代に適用しているから、というのもありそうだとも颯は自戒した。
塗料も今の方が進歩しているだろう。変わらぬは樹の緑や染め、そして、あの川沿いの夜をやさしく照らしていたような光だ。
昨日の幻想郷をしきりに思い浮かべながら、土地ががたがたの駅前に颯は佇む。"温泉案内所"はドリンクの販売機がドンとはめ込まれている。
温泉街がスピンアウトしているから、あのタクシーの運転手は暗くて困った折にライトをつけてくれるほど優しかったのだろうか。
人の生があれだけ儚いものだと書き立てた十世紀の物語は、回転はゆっくりのゆえに玉は緒にとどまらず、はじきだされるのが早かったかもしれない。そうしてスピンアウトしたそれぞれが貴重であった、颯はそんなことを思わないでもなかった。
機械で機械になるというより、そこに奥ゆかしくも自己を秘匿してさして参画しなかった姿や、それを逆手にとって機械の時間を包摂し、決定的な位置を占めることになった姿が、或る人の想像と想いの時間を深め、しだいにそれが縦波のように伝わっていくように思われ、颯はまた自分の旅がはじまりつつあるのを感じ、静かにプラットホームでうつむいた。