中畑駅
(福塩線・なかはた) 2011年7月
下川辺からひと駅、中畑へ。こんなところで降りるの? と思われるような、ちょっと特別感のある山あいの駅だ。なので降りるときちょっとおもはゆい。周りの乗客もキョトンとしているようにも思えたりする。ここまでくると鉄道というよりバスに近い…券売機もないし…なので、降りる人は近くの家人くらいで、運転士やほかの乗客とも顔見知りなのだ。
しかし考えて見ればすごいことだ。運転士に「どこのもんだ!」とか言われることもないんだし… これが、近代化というやつか、と、ほわほわしながら降りた。なんとなし、明るい時代になったな、と思うくらい、ここは天気の日でも日差しが届く時間が限られるような谷筋深いところで、ホームのほっそりとした緑樹の並木の、その枝々からは、下方に浅い河床に清流か這っていた。
どこを見ても緑樹が眩しく、どんなに寂しいところでもこの季節ばかりは、彩りがあった。山の緑の美しさよ、自然の電飾を施したがごとく、昼間を飾り付けている。
中畑、と書かれた駅名標を凝視する。これをおこなうにどれだけの労力がかかっただろうか、と。清流の響きが耳を覆い、冷たい風が枝々を通して昇ってきた。
激しい気動車はもういない。次の汽車が来るまで、僕はここに孤立することになる。
細かい石積みが目を引きます
虫ばかりの椅子に目を落として、ホームから出た。川風のみどりの匂いにとりまかれ、また川のせせらぎが耳を襲った。すぐ踏切になっていて、高巻きの道を上ると、薄い石を幾層にも積んだ石垣がずっと続き、とある人のおうちだった。向う岸はすぐ山裾だが、昔話のような入母屋の家と棚畑で、生きる逞しさというか、人間というものもまた動物なのだとも思えた。それは家を建て、耕作するという…
こんなところ住めまい、とも思えるかもしれない。けれど一度こんな風に緑に取り囲まれる生活になったら、やめられないという側面もありそうで、帰りたくなる、そんなところにもなりそうだった。それに…列車に乗れば、次の次がもう府中だ。
市街にもほど近く、けれどこんな緑の峡谷があるというのは、少なくはないかもしれない。京都の保津峡や旭川の神居古潭なんて、市街からは夢にも思わないような地峡だ。けれどそうした突然山の中に誘われるという地勢構造はいつまても新鮮さを失わないし、何かマヨイガや妖怪話がこの国に生まれたのも、納得いきそうだった。
崩れたところは直しててあります
逆じゃないのと思われそうですが、下川辺からいっきに谷筋を攻めてきます
緑過ぎて…
とりあえず主要道まで。軽トラや自家用車がたまに飛ばしていく通過地だから、こんなふうに歩いていると、ドライバーの目には必ず留まるに違いない。おまけに見るからに地の人でないんだし… 民家が一件、バス停の前にあった。その家はこの地にはあっては静けさという点では割を食っていることを惜しんだが、バスもすぐ前に発着するし便利、むしろよい! と考えるのが、ふつうの考え方なんだろうな、と思ったり…
住む、というのはどういうことなのか、と、つとに僕は論じはじめる。何かそれは、本人自身は何とも思ってなくても、実は偉大な事業をなしつづけているということにはらないか。
先人がここと決めたそのことは、子孫代々に伝わり、なかなかに重い。牙向く自然と戦い、穏やかなときはその恩恵を存分に享け… それは今も変わらなさそうだった。
そう、河佐町はここなのですよ。河佐駅のあるところは久佐といいます。
こういう石垣はたいてい人口が増大した江戸期以降に築かれたものだそうです
バス停へのアクセス?
なんか怖いですね
いや、いいんだ。こんなのは独りごとだ。
何か自分には、一か所に心を決めて住むということがまだできないんだ。だからこんなふうに鉄道旅をしているというのはあるんだ。
30分と少しの滞在で、府中行の気動車が来た。待ち客は自分を入れて5人だったが、地の人たちは自分がいるとこに全く気にしていなかった。もしかしたら駅から離れたところに住んでいるのかもしれない。
ほんとよく持ってるなと思う
汽車は山裾の緑に侵されつつ、ときには枝に車体を叩かれ、頼りない河畔の土手を走り、人々を乗せて街へ向かう。病院へ、仕事へ、学校へ…広島の山間部では毎日いつも、こんなふうに営みがあるということわ目の当たりにする。それはいわば、"私の知らない世界"でもあった。