直江駅
(山陰本線・なおえ) 2012年7月
早朝の乃木から40分、本来なら宍道湖が眺められるはずだが、朝で乗客も多くまともに見られぬまま、ただ乗りっぱなしで40分の休憩となってしまった。そう…駅旅では乗車こそが休憩になるんだ。だから席は積極的に探し、座ったときは、しばらくは降りずにゆっくりしていられるな、と。
宍道ではまだ空の色温度も高く、薄雲もあり、夏の匂いがしていた。この時間だけだろうか、慌ただしい放送も流れている。宍道は木次線が別れる、山手の駅である。
客らはやはり出雲市まで行くと見える。地元の者でないのにちゃっかり長時間座っているからか、見られることがあるが、私がこの時間この列車に乗っていることは、もうこの先二度とないかもしれない。二度目があるとしても、そのときには君らだってもうこの地にはいないだろう。
しだいに日は高く昇って、まぶしく輝くようになった。今日も晴なのかと思った瞬間だった。
夏なのだから晴れて当たり前、そんな学童的な考えを思い出す。
立ったままの高校生を分けて、彼らには意想外の直江というとある駅で私は下車する。彼らの羨望のまなざしがたまらない。多くの人と共に出雲市駅に向かう彼らの中から、一抜けた! てな感じで降りるわけだから。運転士は気さくだった。こうして島根のむさくるしい気動車は出雲市へと一路去っていった
けれど私に祝福が訪れたともいえない。ホームに一人になるとさっそく凄まじい暑さで気分が悪くなった。だいたい日陰もない。そして山陰の木造舎には似合わないくらいの激烈な日差し。いったい何日目なんだと考えるが、もうまったく数えられず。出発した日を入れて5日目である。気力が持つかすこし不安になってきた。ホームもあまりに直線的だった。
やはり松江や出雲市の近傍はなにかといなか町らしいところがあるのだろう。ここは誰もいないけど、ちょっと落ち着かない。
裏手が小さな宅地になっていることからして、隣の出雲市の郊外駅としては成立していそうだ。構内の敷地もかつては広かったようだが、今はスカスカの駐車場になっている。高架前の市駅の補佐をしていたのかもしれない。
印象に残るのは、屋根なし跨線橋のガーターの太ましさだった。
そこに小屋をしつらえて詰所まであった。もちろんそこに人なんかおらず。こんな誰も来ない駅で一人であんなとこに詰めてたら暑くて死んでしまうわ。
陸橋からは海側にちょっとさわやかな山が展望された。宍道湖の向こう山並みである。けれどここではもうみずうみは終わってしまっている。
改札をガーター橋の上に移していたので、きっと駅舎はがボロいから町にでも払い下げたのだろうと推察していたが、いざ駅舎に入ろうとしても鍵がっていて入れない。けれどJRの表示も駅名表示もある。なんもこんな意地悪しなくても、入れて座らせてくれ、と中を覗くと…汚れですすけた室内だった。どうも会議室として使われているようだ。それで思わず、背広組の根性勝負の研修がこんなところで行われているのを想像してしまった。いや、保線員とて、こんなところで会議するのはいやだと思うのだが。「それじゃ、いつものように直江駅集合。そこでミーティングして、作業開始な。」
駅務室がそうして使われことはよくあるけど、待合部も全部使っているのはあんまりない。
駅舎付きのホームで、出入口が椅子で完全にふさがれているのを確認して、やっと閉鎖を信じた。けれどそこの薄汚れたそ外壁が何ともいえず良かった。
リクルートスタイルの娘さんが一人でやってきて、携帯をいじりはじめる。もう出勤時刻ではなかった。きっと遅刻して、必死にメールを打っているのだろう。けれどこんな町でそんな紋切り型の服装を見るとはと思ったが、むしろその人々はこのようなところから輩出されているのかも知れない。いや、君には何も言う資格がないではないか。すべてを捨て去ってさまよっているではないか。けれど彼女にしろ私にしろ、全ては自分で決めたことだ。私は山陰に来られてよかったと思った。
駅舎前にはジッとタクシーが詰めている。こんな時間の天気の良い日、どこかで誰かが、活発に活動しているのを、感じずにはいられなかった。彼女の脇目もふらぬあの焦りは、そこからも来ているように思われた。私には焦りはなく、まったく別なものに対する思惟、想像がそれを解消していた。そんな私でも、そろそろ違うところへ赴きたくなっていた。
土地余りの駅前を離れて、旧街道まで出たところで、朝っぱらからの暑さと荷物の重さで、私は力尽きる。ここもまたこんな感じか。もっとも、昨晩荒島で金縛りに遭って眠れなかったのもあった。けど何かと島根に入って以降、この地は私を疲れさせてくれる。おそらく宍道湖を中心に、かなり昔から人が集まり、複雑な地形を分け入って住み着いていたところなのだろう。適度に平野があり、里山もあり、おまけに貝類の獲れるみずうみ広がっている上、海にも出られる。そういう息使いを、いや、もっと遠くに目的があるんだ、とでもいいたげに、省線は淡々と駅を繋いで走り去ってゆく。それはわれわれ旅人と似たところがあった。身近な生活に平手打ちを食らわし、いつも遠くばかり見たがるのである。かつての国家としての青春が、そうさせてくれるのかもしれなかった。