根室駅
(根室本線・ねむろ) 2010年9月
楽しい話もあって、原野の初田牛から根室までは四十分もあったからのんびりしようと思っていたら、盛大に舟を漕いで眠りこけた。つまり四日目の疲れが出たんだ。ふっと気づいて首を擡げると、向かいの鳥打帽の人が大丈夫か、という感じで見つめている。私はいかにもなんともなさそうに、ふいっと首を運転台の方に向け、いや、今まで起きてましたよ、と装うが、その向かいの人にはバレバレで、おもしろくねえ、なんて顔をしている。
車内はガラガラだった。旅人もいない。本当の東道東の人が数人乗っているばかりだ。
景色も見たいがとにかく眠くて仕方なく、もう前の人なんかどうでもいいわ、と座りながらぐうぐう寝はじめた。相変わらず女声の何々駅です、という放送が駅の度に聞こえてはくるが、夢の中なので何駅かはまったく把握できず。
「四十分やったらまだまだやろ。根室本線はね、駅間も長いし、雄渾な旅なんだよ。ちょっとやそっとじゃ着かなねえ」
と、眠りながら達観を披露していると、
「終点で~す!」
と、突然、野太い大きな声。
その人は保線の恰好で、どうも折り返しの整備をしに車内に入ってきたらしい。といっても車両は一両だ。
私はびっくりして列車から飛び降りる。
降りるとなんと片面の乗り場しかない、なんとも小さな、小さな構内だった。
自分が寝てたことを知られているのではないかと気をもみつつ出口へ赴くと「はいはい」という感じで切符を待ち受けていた。
売店のある居室内は、今着いたのが出るから割と騒がしい。ゆえに後に訪れる静寂がどれほどのものかがいたく想像された。
静かになった後の根室駅前はただ車が櫛状に駐まり、瑞々しい空気を包んだ空がカーンと青く高まっている。そこから歩き出すと、極東の空と空気は味わったことのないような宇宙的なブルーなのに感動する。駅前に緑地帯は一切なく、ただきれいに舗装した平面が広がっているだけだで、それが妙に格好良かった。「これはなかなかの叡智だな。」 いつでも移動可能な石錘の柵が付けてあるだけだ。貨物捌きの端の方を見やるに、たが露国を思はざりけりや。いろいろ体を傾けながら自動車が駐まっている。
ふだん我々の用いている表現や言語は、どこの国の自然まで通用するものなのだろうか。結局はそれがすべてだろう。すべてをリテラルに表しつくすことはできるだろうか。
付近にはすぐ花咲ガニを売る店がある。想像していたような根室駅前。何度も駅舎を振り返る。少しも卑下しない堂々たる平屋で、その前には無の彫像のような大胆な平面。空があまりにも透明な水色なので、思わず道行く人に話しかけたくなった。そうしていると紙袋を持った初老の方が「旅行ですか?」。地の人であった。いくらか話して、私が「きょうはやたら天気ですね」と言うと、「根室はいつもこうなんだよ。根室だけだよ。」 オホーツク海高気圧による晴天は道東っ子の自慢であった。「そうですか (我々はいま恵まれていますね)」 互いにこの自然現象を愉しむため、別れた。「空気が違うわ、大気が!」 しかし他国を延々と追い求めたいとは思わない。どのようにして終わりを見るかについて、考えないときはないからだった。
根室の街は人口は多くなさそうだがしっかり整備されている。これは我が国による被統治の表現だろう。ここにきて首都だけで良いという人はいまい。こうして街を歩くと、この地の訴求は膚に凍みるようにわかる。それはここの空気によるものだろう。これはもうよその圏内に片足を突っ込んでいる。この妙な不安感は、国境そのものであった。
この後東根室まで歩くつもりだったけど、時間切れしちゃった。歩くついでに見るような街ではなかった。海を見下ろす大道の先に、点のようなレグリーズ。
実はさっきの人には「どこ行った?」と訊かれていた。「納沙布岬以外何もないところだけどね。」という。気候について語ったのだから、わかっているくせに、と思った。つまりはすべて込みでそう言ったようだった。通り過ぎるものに立ち止まるのがこういう駅旅だった。今度来るときは、通り過ぎてもいいことになる。
お昼に出る釧路行きの汽車に乗る。さすがにこれだけの日和で岬に行かないのは気が引けはじめた。でも通り過ぎるものといえるもの自体が無くなってしまったとき、立ち止まり方がわからないままになってしまいそうだった。そういう意味では、目的地への旅行という精神はそのまま、車での移動へと移し替えられたことになる。
時代的に、立ち止まるところがあって、車窓を止められるのは今くらいしかなさそうだった。