西阿知駅
(山陽本線・にしあち) 2011年5月
ラッシュ時の岡山付近を越えて、ここまでくれば大丈夫だろうと9時過ぎに西阿知までやってきた。感じの良い瓦屋根の駅舎はホームかせも見えて、丘陵地帯から渡ってくる薫風が心地よくなる時間だった。倉敷と新倉敷の間のひと駅とあって、利用客は常に列車を待っている、そんな感じのようだった。
古い地下道を通って寺の橋掛かりみたいな木の柵に囲われたところに出たと思いきや、すぐに自動改札。こんな風にホームと駅舎に高低差があるのは山陽地方には多くて、旅らしい感じがした。
もちろん有人駅。けれど、中では女子高生がずっとたむろしていて、学校に行く気はないようだった。それとも一本逃したら終わりのとこなのか?
駅前も広場はあるけど、そこから出る道が著しく細いというパターン。こういう袋小路タイプはエアポケットみたいでかなり好きである。しかしこの隅では男子高生がたむろしていて、騒いでいた。それを見かねた駅員がついに、「ワシ、いうてくるわ!」と出かけていく。いつのまにか彼らは消えていた。こじんまりした駅だし、かなり目立っていたので仕方ない。たしかに高校はだるい。半分くらいは大人な感じなのに、「先生」にあれやこれや言われるのだから。けっきょく中高の間って、かなり中途半端である。けれどその6年を通して、いわゆる勉強の仕方というのが学べるようにできているらしい。今すぐに必要な内容というより、どれだけ世界が変わっても新しいものを身に着けられる勉強法、という本質的なもの。それには目標があったほうがよいので、受験というものが用意されている、そんな感じだろうか。
いずれにせよ―僕はいまは勉強から離れて旅しているし、それに―離れなきゃならないときがあるというものだ。こんなふうに各駅をめぐって街を見て、そしてまた次の駅へ…そういうことが、僕の心には必要だったのだ。
―癒し―そもそも、そんなに何度も受験の準備をする必要もない。僕だって一度は通過しているのだから。いったんそれは終わったのだ。何らかの区切りがなければ。だから、これまで学んだことを思い出しつつ、現実の風景と照らし合わせて、僕は自分の体の中に落とし込んでいく。そういう癒しが、僕には何年か必要だった。
西阿知は倉庫や蔵の多い町だった。その中は駐輪所にされている。道路も信号も古いけど、それゆえ味があって、僕はなんとなし、ほお、と感心しながら街歩きをした。僕はもし旅好きの爺さんが、若くて完全な肉体を持ったら、僕みたいになるのかな、そんなことを惟った。
岡山のとある町を歩くことができて、ようやく山陽の旅の端緒に付いた気がした。また今回もずっとずっと、何日も何駅も、旅がつづいていく。邪知ではなく、自分の知をへりくだるというような意味の阿知とは、どんな知だろうか。まったくおもいがけないような知のような気がして、僕はそこにもなんとし、旅の出会いを期待した。