西大津駅
(湖西線・にしおおつ) 2008年3月
湖西において、日本海の予型的存在である琵琶湖。逆から来れば、願われし日本海の波濤のない体現であり、その平和の閉領域の海は、山に囲われた政所ある畿内への道をたしかに案内するものである。私は山科からこの駅に差し掛かると、私は今でも旅の情感昂ぶらずにはおられそうにない。県都に方角がついただけの駅であるものの、私にはけっしてそれにとどまる駅とはいえなさそうだ。湖国いちばんの古えから栄える街に入らずに、うら寂れた西近江路に入り、愛発を越え北陸へ向かうのは、なんぴとも静かに内省させ、いっそう旅人にするようだ。
昔々、北陸道は、大津の心央を経由しない小関越えを通っていて、それを使うと三井寺のあたりに出てくる。西大津付近ではなくずれがあるが、近道という意味では同じであった。むろん鉄道が古道と同じ曲線など辿れない。こうして湖西線は旧街道の流儀を踏襲しているかのようにのだから、旅の感触は当然かもしれなかった。
北陸特急は長等山トンネルを抜けると、速度もあいまって、あれよあれよというまに西大津構内に差し掛かかる。はっきりと東海道と別れたことを実感させるところだから、北陸に行く者にとって西大津は特別なところではあるが、とりわけ寝台列車に乗ったときはそれもひとしおで、さあいよいよここからだ、と窓に顔を寄せてしまう。
ここから近江八幡、彦根などを通る歴史濃そうな中山道を経ず、近江北限に向かうのは、いつでも新道で、けれども寂しい、独りで歩むような道に思える。
おおむね北へ向かうほど人は減じ、息のむようなみずうみが開けることになる。
その北へ、もう少し近寄ってみよう。ホームを北へと歩くと、屋根もない高台に放り出されることになる。比叡山系の黒い裾野に、つつましく住宅が広がって、その中を湖西線は冷たいコンクリートの高架で恐る恐る綱渡りしていくことになる。山はこの先、比良山系へと続き、湖西線はずっと左手に、至近ではやや暗きに捉えられるこの山塊との旅となる。それはやがてみずうみへと迫り、北上しているのに精一杯優しく美しい、さびしさ帯びるみずうみとの旅となる。
3番のりばにて。京都方面。見てくれスラブ軌道の均整のとれた駅。
しかし特急通過時などは特にやかましい。
ホームの様子。
駅前の北側からはジャスコシティ西大津がよく見える。
ちょうど駅名標の張り替えが行われていた。
いったん大津京の駅名標に変えて、その上から西大津のシールを張っている。
改称日までの暫定的なもの。
施工終了の駅名標。まだ3月初めのため、冬らしい雲が覆っている。比良はまだまだ冬だろう。
下りホームと山並み。比叡山に続いて行くが、このあたりはまだ低く里山然としている。
上屋終端とホーム。
待合室のある風景。
待合室内の様子。かなり気密な造り。ここで列車が来るまで本を読んでいる人などをよく見かける。夏は暑そうだ。
階段下り口囲いのタイル貼り。この年代の建物には多い。
「この駅が数々の北陸へ向かう特急の客に、めいめいの行き先を印象づけたんだね」。
駅はスラブ軌道にホームの渕が緑色で、外の空気が入りやすいという意味で開放されている感じが肌に添う、階段口にタイルなどを埋めた70年代の高架駅で、利用者もちゃんと多いが、周辺に大きな建物は増えたといえどもその年代から駅やあたりの雰囲気はほとんど変わらず、たとえば余暇的なもの、つまり球場・競技場や山手の大公園のあるほか、往年の住宅地と、新星の大型店舗、そして湖西道路と国道161号と、比叡山が、このあたりを構成している。比叡山は霊場であるだけでなく、ハイキング、ドライブ、頂上遊園など、格好の遊び場ともなっている。ホームからはその比叡山が裾野を広げているのが眺め取られ、替わって反対は、待望の琵琶湖がほんの一部、対岸の草津まで見える。レジャーは琵琶湖でも行われており、この駅が最寄りとなる柳ヶ崎では水泳場、ヨットハーバーがあり、水のスポーツが好きな人は、何より至近便利ゆえ、京都、大阪から多くの人が訪れる。しかし毎年水難死亡事故があり、みずうみに慣れ親しんだ湖国の人にまいたんび危険性を認識させていたりすることになっていそうである。
下りホーム山科方。端の方は何もない。
下りホームと街並み。
下り列車を待つ人々。
階段下り口の様子。
高架の目隠し、風除け。これがない高架駅もたくさんある…。
雷鳥の号車番号札。西大津駅は特急一部停車駅。
ビジネスホテル西大津がよく見えた。こうみると山の町という感じもする。
山科に近いから実際そうではあるが。
長等山の山塊。
堅田方に見た駅構内の様子。117系京都行き普通が停車中。
最近立ったマンション。
駅前側の風景。
1・2番線ホーム
上り方。エレベーターを付けるスペースを確保するため、階段が半分削られた。
普通京都行き。
ホーム待合の様子。
右:堅田方。
堅田方に見たホームの様子。
球場がよく見えた。
山手の様子。京阪線のアンダーパスがあった。
中央左より辺りが皇子が丘公園。
西大津バイパスが見て取れた。湖西道路に繋がっている。
裏手の町並み。
裏も表もマンションが多かった。山のきれいなところ。しかし北の方はもっと美しい。
トワイライトエクスプレスが通過。
替わって、下りホームの堅田方から、京都方を望む。
もの寂しい感じがしている。
北へのいざない。
階段途中にて。当駅にとっては貴重な特急だ。
改札内コンコース。緑の番線案内は珍しい。
駅裏方。
こちらは青色だった。
駅裏の風景。
このように腰かけて待てるようになっていた。
下り方に見た階段前の様子。エレベーター設置工事の跡が窺える。
あたりの景観からいろいろなものを想像させられるプラットホームを離れ、階段を下りると、中二階になっていてそこに改札がある。付近にこのような空間のある駅がないので、湖西線はちょっと特別な、曲線の入った細長い空間なのかなと思う。もし代表駅などだったら、この場所にみやげ物屋や観光展示があるのかもしれない。みやげ屋はないが、据え付けのショーウインドウはあり、第2の代表駅という位置づけにしたかったのかななんて思った。
大津京ではなく近江大津宮と掲出されていた。これから変わる駅名、大津京の名は、
条坊制のあるなしとは特に関係ないのだそうだ。
駅前方に見たり上りホーム階段上り口。
駅前の様子。
あの赤い建物何かと思ったら、パチンコだった。あまりに派手。
改札内コンコースの駅前ビューポイント。昔の高架駅という趣き。
改札前の様子。
自動改札の脇に残るラッチ。たいていは柵に替えるがここはそのまま。
ラッチから見た改札外コンコースの様子。
先ほどのラッチと自動改札。ここには、こういう高架駅にときどきあるここは改札前の段差がなかった。
改札外
改札を出て。
エレベーターの設置されているところは、ちょっと妙な空間だ。
出札コーナー。
カウンターのみどりの窓口がありそうな雰囲気だがなかった。
売店コーナー。
遅れの表示かと思ったら、時刻変更のお知らせ板。
どっちにしてもこの辺ではほとんど見かけないものだった。
証明写真あり。
この空間からエスカレーターで下りていくと、薄暗い高架下にしだいに降臨していく。けれどもすぐそばから光明が差し込んでいて、駅前だった。
開業と同時にできた転回場はあまり改修されていない。市内の国鉄駅前にはたいてい噴水があるのだが、ここのは枯れかけて生気がなかった。競艇場への送迎として、若江 (こうじゃく) バスが停まっていて、どす黒い格好の人々が煙草を吸いながら集まってきていた。常駐している制服のバス案内員は、よく遅れの出る湖西線の到着を確認しに行くのが恒例のようだ。この冬の日も強風で遅れ、確認し終えて中2階から降りてきた案内員は大声で運転手にそれを伝えながら、地面に鋭く唾を吐いた。
というわけで、余暇的なもの、として、競輪場、競艇場が近くにあるのだが、駅風景としては時間的なもので、近くにショッピングセンターもあり、マンションも多く、山裾にはおとなしく住宅地が広がっている。そして湖畔も近い。鉄道高架が聳え、また多少、比叡山系の存在感があり、少しばかし陰に偏るが、全体として、昔ながらの集落と遺跡を配しつつも、ほかから移り住んでくる人の多い土地だとはっきり感じられる街だ。
こうして下車して、ずっと高いところにある駅名標を見上げ、列車の発着の轟音を聞いていると、もはや北陸特急への想いは、馳せられないな。これから長々と高架が続き、湖西の各駅に国電は停まっていくのが思い浮かぶ。
比叡山系へはここからもハイキング可能であり、駅前で集合しているのを見かけることがあるかもしれない。その黒緑の山系を見つめると、鏡のように反射するのか、琵琶湖が想像された。冬季でもそれほど雪化粧せず、印象はもっぱら夏の山となっている。
西大津に来たなと思う光景。けっこう気分がいい。
案内板が吊られているが、ただの高架下であることが窺える。
かなり地元の地名ばかり。
こういう段差も今は造られないものとなっている。
高架下に入る旅行代理店。
高架下にひっそりと立ち案内板。場所だけに暗くて読みにくかった。
駅を出ての光景、
堅田方。向こうに駅出入口。
高架下のお弁当屋さん。
この横断歩道を渡ってしばらく歩くと京阪の皇子山駅へ。
こちらは競輪場行きの無料パス。競艇場への無料バスもある。
京阪バスのバス停。
駅前には公安のやってる60分コインパーキングがある。
琵琶湖方の道。ここを歩くとジャスコへ。
西大津駅。
ここから見える駅名標は旅に誘われるようだった。
滋賀銀行は駅寄りの方にある。
大津市街方の道。
琵琶湖方。突き当たりに旅亭紅葉がある。
西大津駅前の信号。
皇子が丘駅への通路。
ガラス張りのごみ置き場。
西大津はこのあたりを表す地名として定着している。
写真は西大津の名を冠したマンション。ちなみにすでに大津京を冠したマンションが駅前にできている。
JR駅方。
京阪線の駅。
京阪の皇子山駅との接続駅らしく、高架に沿って歩いて向かった。案外離れていた。
皇子山は標高164mの丘で、皇子が丘とも呼ばれる、変わった名だが、壬申の乱により大友皇子がその付近で自害したことによるとして、わりと知られている。そういうわけで、ここからほど近い、大津市役所の裏に、明治に入って選定された弘文天皇陵がひっそりある。実際の自害の地は、はっきりわかっていない。皇子山古墳というのもあるけど、それはこれと別物で、近江神宮の近くにあり、例のごとく、誰を葬ったか、わかっていないものとなっている。
現在、大友皇子の父、天智天皇がここを政所としたことがあることから、この駅は大津京駅と改称されている。
皇子が丘公園は、まじめなプール、体育館、グラウンド、のほか、散策も楽しめるところで、長大な滑り台やジャングルジムなど遊具のあるところでもある。むろん商店やレストランはない。要弁当。しかし自動販売機はある。戦後、米軍の駐留地となったのところを返還させて、このように整備した。いい話だと思う。
この辺はかつてはかなり土地に余裕のあった地域だと窺えるが、たいへん風光明美なところでもあっただろう。今は発展して感じ取りにくいけれども、この大津市内にはそのようなタイプのところが多いように思う。
湖西線の高架の下にある。以前はもっと南寄りだった。
大阪方面の案内が誇らしいが、京阪で出る人はめったにいない。
ちなみにここはホームごとに自動改札と券売機が入っていた。
かつて当駅のあった方向を望む。浜大津方。
けっこ設備投資した駅だった。
西大津駅の駅裏から見た駅。
山手の方。山に入り込んでいく雰囲気。
左手がビジネスホテル西大津。
さて、駅改称前の記念として、出札で西大津駅から雄琴の乗車券をあつらえてもらった。誰もが券売機で買う区間だったが、係りの人はまったくふだんどおりの応対で快く出してくれた。意図がわかりやすかったということもあるかもしれなかった。入鋏ももちろん有人を通ったが、ぎゅっと陰影くまなきに押してくれて、ありがとうございました、なんて言ってくれた。面倒なのにありがたい。それではさらば、西大津よ。君が西大津であるうちに再びここを訪れることはもはやなさそうだ。
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