能登二宮駅

(七尾線・のとにのみや) 2008年4月

  たぶんここで夜を迎えるだろうと旅程を思い巡らせていたが、下車するとまさしく日が落ちるところだったので、急につまらなくなって、そしてがっかりした。山の高さまで考えるわけもないので、ここまでなのは偶然だった。もっと意外に輝く夕日を期待していた。

  良川から乗ったら、列車はとたん平野に投げ出されのに、山地が近づいた。それからみょうに寂しく広いところを走る。車内はとっくに帰途に就く人々という雰囲気で、各駅にそういうものがなかったと思っていたら、こんなところに厳然とあった。

 「能登二宮です」。投げやりな男の声で案内が出された車内は、高校生のしゃべり声、疲れて座る人々、黄色い蛍光灯の灯りなどでせわしない。そんな列車がどたどた、カーブしたホームに、粗雑に侵入して停車する。一緒に降りたのは二十人ほどだった。車掌が外に出ていたので集札するかと思ったがせず、ホームの端の画面と、直接の目視で確認して、笛を吹き慌ただしく発車させた。私は車掌の目に留まらぬよう、地の人に混じって、いかにもここの人のように、さっさと駅を出た。すると、ここにしばらく赴任中の身な気になった。
  駅を出た学生やほかの旅客は、典型的な薄暮の中 待っていた車などに乗りこんで、消え失せた。またはそのまま歩いて、畑地に姿を消す人もあった。寥然とするけど、幸い、この無人駅は特産品や衣装をたくさん飾った、ちょっと展示館風に凝らした駅だったので、気持ちは持ちこたえられそうだった。日暮れの中ここでそう考えることになるのも、すでに想像してあった。

外へ。

  駅前はすこし向こうに山地を借景にした、空き地まだある最近の宅地だが、列車が居なくなってホームに出ると夕闇せまる田畑が広がっていたので、もともと駅前も農地だったと思われた。するとこの駅は田畑の中というかなり のどかな、一方夕闇迫ればかなり さびしいところにあった、ことになりそうだ。こうしてショーウィンドウに自慢のものを並べた駅にしたというのも、わかるというものである。
  七尾線はこれまでずっと北の眉丈山地に沿ってきたが、ここでは見えなくなるくらいそこから離れ、反対 南の石動山地に近づいている。里山には違いないが、ゴツゴツしていて、山の表情が暗かった。なんとなく山の裏側、の気がする。しかし晴れたお昼に来ると、この平野からしてたいそう気持ちのよさそうなところだ。

駅前の様子。

七尾方。右手には川が流れていた。 薄暮だが明るく写っている。

ホームからの風景。少し荒れ気味だが、何を栽培されているんだろう。

 

羽咋方面を望む。水田と畑の広がるところ。右下に見えているものは線路をくぐる地下道の出入口。ホームがカーブしているため、左手のモニターで客の乗り降りを確認し、発車させる。

羽咋方に俯瞰したホーム。ここも白線一文字。端の方は改造もあってガタガタで、 けっこう古いホームなのだと思われた。

旧お立ち台。かつてここに車掌が立って、乗り降りを確認したらしい。 今は廃止され、御覧のように転落防止柵が取り付けられた。

 

以前はホームもこのくらいの高さだったんだろうか。

駅前側の風景。家がこれから建つんでしょうね。

七尾方面を望む。

ホームの端から見えた会社。

ホームから見た駅前住宅地の様子。

半島なのを忘れるくらい広い。

サンセット眉丈山地の端。

羽咋方。ホームが長い。一応6両対応。 モニターの画面がついていますね。駅舎付近に付けてあるカメラの映像を映しています。

  特産品や工芸品を飾っている駅は多いが、ここはその類だとは思えないほどで、ホームに向けてショーウィンドーが設けられてあり、ブティックのようなものになっている。 もう暗いので、ハロゲン風のスポットライトが灯っている。「こんな駅ほかにあるだろうか?」 ちょっと笑ってしまう。このブティックに似つかわしくない田畑を渡る夕べの風 に寒がりつつ、ゆっくり見て回ると、マネキンに掛けられた衣装は、存外平凡なものではなく、これはここの高校生が作ったのだそうだ。なぜ衣装かと思うことはなかった。金丸、能登部、良川のおかげで能登上布を知って、織り物が盛んだからとすぐわかったからだった。
  駅の中も無人なもののホテルの特産品展示みたいしており、とくに蛍光灯が灯ると、品物が輝き、美しかった。特産品って、作品なのだな、などとと思う。この駅は高校生が掃除しているそうで、そんな掲示があった。たまたまトイレに入るとむちゃくちゃだったので、公共の場の掃除の難しさがわかるというものだった。

能登二宮駅名物のショーウィンドウ。

入口近くには中途半端に枯山水があつらえてあった。

適当なものではなく、ちゃんとしているもの。

改札付近にて。

外へ。

駅前の様子。

回廊がついているが、そこにトイレがある。

回廊にて。

駅を出ての光景。公園だ。

あまり広くないが、こんなものでも十分だった。

ホームへ上がるときの様子。やぐらのように組まれて天井が高かった。

券売機のある駅。左手待合室。

また変わった待合室だ。

椅子の柱は建物自体を支えるもの。

 

ホームから直接出入りできるようになっていた。

  さて、と、今夜のことを考えて、木の長椅子にほんの少しだけ上半身を横に倒して見た。やってみると、幅が狭く、落ちそうだ。また壁面はガラスが広く、外からの見通しがよく利いた。これでは塩梅が悪い、やっばり予定どおり徳田駅にするか、と、諦める。

券売機のある方の出入口。

コンクリートと木造の組み合わせ。

あまり目立たなかった。

 

駅前花壇と駐輪所、駐車場。

駅前通り。

能登二宮駅駅舎。真っ水色。

 

 

夢おりもの展示館と名づけられていた。

駅舎のすぐそばには二宮川という川が流れていて、ホームもこの川に架かっている。

 

二宮川を渡る橋。左手に駅舎。こんなところ。

国道方。こちらにも駐輪所があった。遠くにコンビニ「サンクス」の灯りが見えた。 しかし見通しがいいものだ。

日の暮れた能登二宮駅。

駅前全体。ここも新集落型の駅としようか。

  七尾までで食料を買えるのはもうここしかないので、駅から買い物に出た。ここから徒歩10分ほどのところにコンビニのあるのを調べておいたのだ。あっという間に薄明は終わって、暗い。知らない住宅地を歩き、駅から離れれば離れるほど、心細さが高まった。本当に駅から離れたくない。駅からいつも大きく離れない理由はこれだったのかと思った。居場所のない、当てのない不安だった。家は新しく大きなものばかりのようで、地位を感じさせたが、どの家もまだ明かりを灯していない。こういう光景を、突如活かす者として、この辺の家にふらっと入りたいものだが、この家の大きさからしても、そういうことは今後もないだろう。先の方にコンビニの灯りが見えているのに、これがなかなか近づかない。 独りで遠き能登の住宅地の闇に包まれ、もうこんなことなら能登部駅前のパン屋で買っておけばよかったと思った。しかしそうすると、ここでの時間が余るということもあったといえばあった。だからこれでよかった。ともかくペースを速めた。すると店の方からゆっくり、近づいてくるかのようだった。

国道出て、さらに少し歩いて。

目的の店、サンクス能登二宮店だが、現在、廃業。 しかしすぐ近くにセブンイレブンができている。セブンにつぶされた…?

  国道に出たが灯りが乏しく、期待を裏切られた。付近に店はそこだけだった。暗闇にハンバーガー屋の看板が立っていて、惹きつけらて立ち止まるが、車用だ、数キロ先になっていた。笑い飛ばして信号を待ち、店に入る。ほっとして、珍しく買いすぎた。とにかく獺祭にしてしまえば、夜の駅なんて怖くない、そうだ、楽しもうと、と思ったのだが、内心ちょっと無理をしていた。

コンビニの近くにコインランドリーがあった。鉄道旅行中に使うことはあるだろうか?

二宮川橋前。

  店を出て国道を歩いていると、急に肌寒くなってきた。ナトリウムランプに枯れすすきの広がりが照らされ、初夏の夜の冷たい風にいっせいにざわめく横を、自動車が飛ばしていく。淋しいところで、殺人者はこのようなところに死体を捨てるのではないかと思った。打ち棄てられ放り投げられる物言わぬ体。焦り出して、ものすごい早歩きで駅へ向かった。するとあっという間に駅に着き、拍子抜けした。

行きは10分だったが、帰りは6分で着いた。焦りがわかる。

  今夜 隣の徳田まで行く予定だ。しかし、終電まで本数も時間もいくらでもあったから、買ったおにぎりとパンを食べて、特産品を鑑賞した。
  侘びしい食事をしているとき、上り列車が入って来て、人々が降りてくる。なるべく居座っていないそぶりを見せる。列車の去るとき、また車掌が覗くのではないかと思い、見えにくいところに座りつつ、列車の去りゆくのを観察していると、やはり、車掌はこちらを窺っていた。これはよほど用心しないといけないな、と思い、気が重くなる。七鉄の車掌め…。
  特産品の展示の中に、たすきをした女子高校生の写真が何枚か掲げてあり、この駅に深く関わったようだった。彼女らの姿は今ここに見えないし、ああやって写真にあるよう立ってポーズを決めたことのあるのも、昔の話や幻想に思えて想像しても不審に思えたが、それはこの先も自分がこんな誰もいない日没の能登二宮しか知らないであろうからであって、現実には、もっと明るいときには学生がやって来て清掃し、展示を変え、何か催しかで、ぱっと華やかになることがあるのだ、と思いを馳せようとするのだけれども、どうもそのときだってさえ、駅はただの乗降所として人々に見られ、ただの一公共所に過ぎないと見られていると思い当たらざるをえず、そのときに受けたであろう数々の視線が、床面や木の柱や椅子に染み込んでいるようで、お昼にあっても変わらないものが、通奏されているようで、そのような想像では気分を、満たすことができなかった。

  ガラスが大きい分、駅の中にいると夜闇の只中に居るようで、またこの駅舎の光が放たれていると思われ、そんな中に一人でぽつんと座っているのは、かなり目立つところに居る気がしてならず、落ち着かなかった。誰かが「どちらに向かわれるんですか?」と訊いてくるのではないかと極度に気にしはじめ、町の自慢の展示館たる駅に長く居ることが大それたことのように思われだした。しかし実際は、夜は誰も注目しないところで、遠くから誰かがいるかどうか確認する人などいないようなところなのに、私の心はそのような考えにまったく従えなかった。
  次の列車は45分後だった。終電で徳田に向かうのが理想だが、それまでに4時間以上あり、また本数が意外に多いので、ここにはもはやとどまらず、20時16分発の七尾行きに乗って、ここを立ち去ることにした。私の心情変化を見てわかるように、この駅はよくできているのだろう。誰かが はびこらない造りである。しかしそのようなことばかりではなく、特産品からか、中能登の愛情や、高校生たちの若々しさが、この地のどこかに存在しているのは見えないけど間違いないと確信させた。

 

  駅舎の中からホームに出る。虫のしりしり鳴く響きの中、肌寒かった。しかしこのときは、服装に心配が及ばなかった。派手な黄色のハロゲンランプに浮かび上がったマネキンを、ちょっと恐縮して鑑賞した。これのおかげでホームはけっこう明るい。車掌もよもやこんなもので乗降確認がしやすくなるとはつゆほども考えておらず当時は苦笑したかもしれない。しかし、その衣装の姿は、間接照明によって駅に浮かび上がらされ、この世にはない、幻のもののようであった。夜に、昼光色に照らされ、真午を体現したもの。それすら幻に見えるというのなら、いったい能登二宮駅の日中の息吹、活動は、いずこにあるというのだろう、私にはまるで、ここはずっと夜かのようだ。みんな、どこにいるの。 ふだんこの駅を使わない在校生が、放課後、学校にいる間に日が暮れてしまった。
 「ねえ、あの駅、夜はどんなふうになるか見に行こうよ」
 「なんか気持ち悪いっていってたよ」
 「行こう、わたし駅あまり使わないし、知らないんだ」
 「行ってみる?」
  学校で話を決めた二三人の女子高校生が、しゃべりながら自転車漕ぎつけて駅の階段前にやって来た。「あ、そういえば私見たことあるわ」「そうなの?」「あっ、でもだいぶ前だから、大丈夫。」 ホームに上がってきて、ショーウィンドーを覗く。「気持ちわるーい」「だけどなんかきれいだね」「あ、これ先輩の作ったやつだ」…

  こんなことが実際起こってくれれば、なんて想像する。所詮、私の妄想だ。この駅をお世話しているという高校生諸子、ちらっとでも見かけたいと思うものの、駅にたむろしたりしないのは、さすが北陸や能登であった。見かけないうちだけ、想像羽ばたかせて憧憬できるのかもしれない。このままでいいのだ、と、能登二宮を私は去った。駅にしか来ない私は、町のいろいろなものと町の人を感じさせる駅にしてくれて、ありがとうという気持ちになった。

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