入野駅
(山陽本線・にゅうの) 2011年5月
糸崎で罅割れた日の光を浴びていると、次訪れる駅がこの日最後になりそうだと思った。そういうとき、僕はたいてい無人駅を選んでいる。何より落ち着くし、長い時間休憩していても気にかける必要がないし。ただじっと駅舎の中に居つづけるのは感じが悪いから、どちらかというと、出歩いていることの方が多いかもしれない。こういう駅を最後に選ぶ欠点といえば…店がないことだ。だから自販機での飲み物が最高の御馳走になったりする。
いかにも旧車らしい鉄の塊が走る振動の中、にゅうの、にゅうのです、という、罅割れた女声の放送が聞こえてきた。声は若い。マイクが古すぎるのだ。激しいエアの音ともに、僕は車体から転げ落ちた。左右を見ると何人かもおりていた。この近くに家のある人なのだろうけど、なぜ数多くある駅のうちのここに? と思わなくもない。そんなことは誰も知らない。ここに生れ落ち、或いは図らずしてここで生計を立てることになったのだ。横浜や尾道のようなあこがれの地とは違い、ゆくりもなくそうことが運んだのだ。けれど、僕はいくばくかの意思を持ってここに来たわけだ。それゆえ、なにかちぐはぐな思いを抱えることになった。
ホームは火が傾いて寒々としはじめた高台にあった。かつてあたりは何もない山村だったと思われるが、どこかニュータウンが近いようだ。そんな整備を駅前は受けている。しーんとしているが、小ぶりな駅舎の近くで絶えず学生の声がしている。高校生が乗り継ぎせずに帰れる列車をずっと待っているのだ。よくあることである。
長々と1日歩いてきて、足が棒のようになりつつあった。高校生らが僕を茶化している気がする。まぁ旅人なんてそんなものだ。そういう光景が僕には青春だと見えない。それはあとあと、ちょうど子供時代の記憶のようにたいていおぼろげになっているものだ。まだ自我が確立されていないときの記憶のように― 強烈な主体性をもって人生の目的地を決めたときから、記憶らしい記憶がはじまるのかもしれない。
駅前散策をしていると、ヤマザキショップがあって、思わず入ってそこでパンと飲み物を買った。ヤマザキはあんまうまいものがないけど、こんな立地ではあってくれただけでも大助かりである。空っぽになった胃に注がれるコーラは、すぐに飽満感をもたらした。ごほうびで買い与えられた外で飲む飲み物なんで、何の権限も与えられなかった奴隷時代以来だ。
ひっこ一人いやしないニュータウン的なロータリーにくさくさしつ気持ちになりつつ、駅に戻ると、二人の高校生カップルがまだたむろしていた。彼らの乗る列車はもうとうに行ったはずだ。彼らは僕を見上げた気がするが、僕はただ列車に乗ってもうこの飽き飽きするようなここを離れて。次の新しい場所に行きたいので、さっさと中に入って座って待った。そこはちょうど券売機の陰で、ほどほどにくつろげた。
時間がたって、近くに二人がいるのに物音一つ立てないことをいぶかしがって、もうどこかに行ったのかと、券売機の壁の隙間からなんとなし窺うと、二人はいつの間にか椅子に座っていて、男子の膝の上に、女子が、向かい合わせに座っていた。女子の方は、いまにも感情がいっぱいで泣き出しそうな、そして愛(かな)しそうな表情を溢れさせていた。男子も同じで、二人は見合わせていた。けれど、ひとことも言葉を交わさなかった。やがて二人は、予想通りになった。
そのとき、突然ブーッという警報ブザーが鳴り響いた。何事かと思う。そう、これは到着案内の代わりなのだ。列車が隣の駅を出たら鳴って、方面案内を後ろ目から黄色で光らせるのだ。なんとも旧式な仕組みだが、そんな悪口を言う人ほど、それを愛しているというのを忘れてはなるまい。僕は勢いよく立ち上がると歩きはじめると、彼らの視界に入った。彼らは驚いたように僕を見上げた。
僕はああいう感情といったものは解さない、なんて書きかけたけど、なんのことはない、当事者になれば、その時の記憶なんて、夢見心地なんだからもうすっ飛んでいるのだ。周りが一切目に入らず、目も当てられないような言動を平然とやってしまう。きっと僕もだいぶ"迷惑"かけていたのだと思う。
聞くに堪えがたい歌詞が無数にあるように、ああいう感情につままれると、本当にろくなものが出てこないのが人類の悩みだ。僕は孤独を趣味にしてしまった。激情から距離を置いて、過去を痛ましげに振り返るように…