岡見駅
(山陰本線・おかみ) 2012年7月
海と友の折居にて、日はすでにある程度の高度をもって今日一日の天気を宣明している。汽車に乗っているのだが、海が近い路線のはずなのにそれほど見えないな、と。降りることになっていた岡見もまさに岡になっていて、首をかなりかしげながら下車した。
いきなり焼き入れたばかりの日本刀を始終うなじに当てられている感じ。あまりに日の色が赤黄色くて、この辺はとりわけ色温度が濃いように思えたほどだった。
築堤の平均台を歩く、が、ここよりさらに高い丘が屹立していて、なにかやたら丘がちだ。まぁたしかに地名も岡見ってなってるけどさ…だから言わんこっちゃない!なんて言われている気分だ。
なんだか「こんなところで降りる旅行者はいないんじゃないか」という所感。めずらしく不安になる。
それくらい狭い地形で、海も何もないのだった。
とりあえず地下道を降り、駅舎へ入るとほんとに涼めた。あまりに暑いのでいったん鞄を置き、水を飲む。
建物は古来からのものだけど、とりあえず景観を保ちつつきれいにしたようで、中は窓口も何もなく地酒がディスプレイされていた。なんか駅員の顔がそれに置き換わったみたいで滑稽でおもしろい。
駅前にレンタカーが停まった。望遠をぶら下げて出てきたのは会社勤めの休暇を利用してきた30前位の男性だった。何かあるのだろうか。
酸化鉄Ⅲのような石州瓦の光に目をやられながら集落を歩く。その道の広さからすぐに海に出られることを占う。途中、おもしろそうな地下道があって、そこに入っていいものか窺っていると、いきなり高いところから声がした。
「にいちゃん! そこ。入ってみ。海に出られっから。」
旅館があって、その2階からおかみさんが声をかけていたのだった。
「あ、はい!?」
言われるままに地下道へと進むが、
「なんであんなこと言ったんだろ?」
「そんなに海観たげに見えたかな…」
が、その地下道ときたら暗い上に子供の背丈くらいしかない。おまけにすごいユスリカの数。
これでは梁瀬の二の舞ではないか…
けれど古いものではなかった。ましかくの断面だ。
やがては島のようなせせこましい聚落にころりと出たら暗渠の上を歩かされ、なーんもない港が眼前に広がる。
どうも地形的に水がたまりやすいところだったのでこうして放水路を掘ったようだ。とかくいちいち小山や崖がじゃましている。
だけど、うーんそうか、風光明媚なところではなかったか、と。そうしたところを港湾施設やああして火力発電所に変えてしまったのかもしれない。これはおばちゃんに悪いなと思いつつ、同じ道を帰った。
やはり出会ってしまい
「海見た?」と。
答えたら、それだけでたいそう満足げだった。
ぼんやり駅へと歩きながら、やっぱり誇りに思っているのだなぁと。釣り客は釣れなかったら大いに不満だが、ただ単に岡見の海だけを見に来ただなんて、確かにそれは未来の上客かもしれない。
それぞれ事情があり、思いというものがあるのだろう。
戻ると保線員が集まって、これから何の仕事、と思っていると、凸がタキを牽いて行くのを見上げることになった。「さっきの御仁はこれだったか…」
発電所へは引き込みがあり、その線型はいかにも山陰線の旧線なのだった。
岡見の中心は山手の方だ。予定ばかり詰め込んで下車しても少ししか見られていないが、まぁ山陰の旅が一回や二回で終わるわけもない、と再度言い聞かす。
凸が去ると辺りは静かになった。ただ自分だけが涼しい駅舎の中に憩って、目つぶしの眩しさの構内の方を見つめている。築堤なので、かつての急登段が見えているが、そこはやはり階段をお上りくださいなんて案内があったろうか。
そうかレンタカーか、と。今度北海道に行くときは検討しようか。
にしても…ああして時間を作っては趣味をするのも、何歳くらいまでだろう、なんていろいろ想像する。
私はもしかしたら真剣に自由を求めたのかもしれない。
時刻表だけを見にまちの爺さんが入ってくる。よくあることで、いつもなんで家に一枚ないんだと思うけど。
駅舎の中はきれいだ。もう古いにおいも、してこない。