大田口駅
(土讃線・おおたぐち) 2008年1月
いちおう大豊町の玄関口を務める大杉を経て、土佐穴内に着いた。今度ここに下りる予定だから停車したときにちらっと覗いたのだが、やはり知っていた通りの感じで、思わぬ見方というものは、生まれてこなかった。列車は次の大田口に向かう。淡々としていた。車窓もあるはずだが、たびたびトンネルに入る感じだったため、トンネルばかりだと思った。何せこの辺では山をくぐらずして次の駅に行くということがないのだから。そうしてトンネルになっているところは、この辺ではたいてい旧線があるという。地滑りなどでルートの変更を余儀なくされたのだった。
珍しく、にわかに町に入り込んで大田口に着いた。やっぱり駅があるだけのことはあるのかな。ところで、ここではそんなに時間が取れる予定でなくて、少し気持ちが曇っていた。
下り(高知方面)列車乗り場にて。
待合所の様子。なぜかコンクリートブロック積みの風除けがある。
高知方面に伸びる島式ホーム。
木製の電柱があった。
阿波池田・高松方面。学校が見えた。
大田口中学校で、閉校済み。建物はまだ新しいが…。
ここは山がきれいだった。駅前側の風景。
台形の山は標高996m. 鞍部を挟んだ峰は851.6mで三角点名は立石山。
駅は海抜220mぐらい。
しかし、いざ下車してみると、確かに山は近いものの、山が切迫して暮らしの厳しそうな、あの感じはなくて、なんだか、相対的には開放的でさえあった。「あれ…」。しかも対岸ずっと向こうの山がふいに目に留まるような山容で、気づくとその少し立ちはだかるような山肌を私はほうと見つめていたりした。もちろんここでも相変わらず手身近な山肌に傾斜畑と家屋が並んでいるのだけど、あたりの雰囲気は、これまでに知ったところと、だいぶん違う。
駅構内も単線からまるで鶏の足みたいに三本の線路がむわりと伸びてきていて、土地にけっこう余裕があるかのように見えた。でもホームは一つだけ。広く感じられるのはそれもあるかもしれない。ということで、もう一線は、というと駅舎脇の敷地に接していて、そこは今は保線関係で使われているらしいが、以前に貨物を捌いたところかのようだった。近くにJAがあり、貨物での農産物の積み出しなんかが自然と浮かんだりした。この駅は平地のまとまった集落が近いこともあり、全体に、駅が活きている感じだった。
もともとこのあたりは吉野川がカーブしていて、土砂の堆積地なのだった。
上り乗り場にて。向こうの低い山に家屋と畑が点在しているのが見える。
あれは対岸。
上り乗り場にて、高松方。駅構内脇に作業敷地が見て取れる。
構内踏切と駅舎。昔からの様式。
踏切にて高知方面を望む。余裕を感じさせる。
駅舎の軒下にも長椅子が置いてあった。
踏切は相変わらず遮断機なしで、純古様式。
島式ホームの風景。高松方にも惹かれる山がある。
構内のそばにはまた山が迫っているが、あまり深刻な感じはなかった。
再び高知方。線路内との境界にフェンスも特になく民家がある。
手前の線は車輪止めがしてあった。
昨日吾桑駅でも見た。
木を詰めた構内踏切を踏んで、駅舎へ向かう。窓口はカーテンがかかっているが、竹の投げ入れに生け花が華やかで、中も小奇麗だった。ちょっと変わったところでは、外に出てすぐの脇に、雪国にあるような狭い空間が作られていて不思議だった。
閉鎖された出札口。
この扉をくぐると踏切に。そういえばこの駅にも
両方の出入口にちゃんと引き戸がある。
温度計つきの時計。摂氏8度前後。
妙な通路。
駅前の店舗。
外に出ると集落内を貫く道が横切っていて落ち着いていたが、ときおり自動車が素早く走ってきて、私はよけた。誰だこの人はと思っているかもしれない。付近はいちおう駅を意識してか、また随分と昔からの商店が二つ三つ、もはやそれとわからない感じで民家の列に埋もれていた。そのうちの一つは切符の販売を取り次いでいて庇にも「きっぷ」と記してある。スナックらしいものもあって、来るとしたら老齢の顔なじみばかりなのかな。駅の建物はJR四国らしく適当に一部を斜めにカットしたりした洋式の改装を受けていて、この辺に微力ながら、新風を送り込んでいた。これで木造様式そのままだったりすると、山間の古すぎる町に思えるかもしれない。気づくと窓もガラスもその斜線に合わせてしつらえたものを入れていて、細かいところがあった。
駅前通。左手に駅舎。右のお宅はたくさん花を飾られている。
阿波池田方の道。
JA土佐れいほく大田口支所。
駅舎。
表側だけを派手に改装していた。
便所と駐輪所と水場が脇に固まっていた。
洗面所の様子。
防火水槽。
地図。一店一店書かれていてかなり役立つ。
近くにスーパーもある模様。
吉田商店。
きっぷ売り場と札が下がっている。
駅前通の大杉方の風景。
駅前の商店の並び。
駅裏手の様子。果樹栽培でもやっていそうな斜面になっている。
フェンス越しに見た駅構内。
フェンスに掛かった簡素な住宅地図を見て、国道が吉野川の対岸にあるのを知ったのだが、さらに後で知ったことには、大田口という集落はここではなく、その国道沿いにあることになっていた。ここはというと、船戸という名前がついていた。川沿いにこの地名を見るとそれは船渡で、渡し舟があったのかと思う。さて、大田口があるからには、大田があるはずで、目立った点としては、ずっと山奥に奥大田川がたいへん秘境めいた渓流を造っていて、広く知られていない紅葉の名所となっているそうだ。この四国山地の山深さといったらすごいもので、そんな想像したくなるような渓流や静かな山が、たくさんあるのだろう。
また、ホームから見ていた山は標高996mだと知り、やっぱり1000m近くあったんだと思った。別の峰に点名、立石山という三角点があり、そこは標高851.6m.点の記を読むと、到達には奥大田川を西梶ヶ内というところまで遡り、そこから山道を1時間半だという。
このあたりでの旅では、珍しく平地を感じながらホームで待った。そしてその間、ここに来たときからつい目を留めてしまうあの山をじっと観察した。何がほかと違うのだろう。傾斜畑は低い山にだけあり、この立ちはだかる高標高の山は、落葉樹が覆い岩山のように見える。
きっとこの辺は気持ちのよい山村なのだろう。曇りで冬枯れでもそう感じるのだから、確かなのではないかと思った。
ここの人がやって来た。やがて下り列車はほんとうに予定通り、ここに来てから数十分後にやって来て、もうここを離れることになった。車窓から駅前を見ていると、切符を売る店の窓口の内側で、女性の年取ったあるじが不安げに列車を見送っていた。
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