尾関山駅
(三江線・おぜきやま) 2011年7月
眠れなかった
蚊と蒸し暑さでほとんど眠れなかった。セットした目覚ましが鳴るのを起きたまま聞くのは虚しいものだ。まだ向かいの人の顔が見えないくらいの暗さで、空はかろうじて明るんだかな、くらい。駅舎も消灯したままだが、もう起きてしまう。
消灯したボロボロの無人駅ほど怖いものもないが、深夜の暗さに較べれば全然マシである。それに幸い、この辺りは人家も多い。ここに着いたのは昨夜8時だが、そのときでも今でも、ほんとうに人が住んでいるとは思えぬくらい、静かだった。
駅前は一部舗装しておらず、歩くたびにザッザッという音が響く。犬の散歩の人が、よく立てる音だ。
戦後に開通した路線のため、設備は実は新しいめである。ホームもしっかりしている。築堤のそこは程役高く気持ちよく、すぐ近くの江の川の堤防や橋などが見える。
「これからいよいよ夢にまで見た三江線の旅がはじまるのか」
と一人感慨にふけった。この日を迎えるまでにどれほどの苦労があったか。天気、旅費、予定、不通…しようとしても、なかなかじっくり旅できないのが三江線だ。やっと来れたよ、と。
石州瓦の民家の群れが見たわせた。どの家も従順で、恭しく、いわゆる良識ある市民のように思えた。学校で習ったことを覚え、信じ、働き、税を納めて健全なな肯定感を得る…少ない手持ちのでやり繰りし、しかし健康にも気を使い…朝起きれば近所の人におはようあいさつし、適度な世間話をし、テレビを信じ、ゴミを出し、自治会のささやかなイベントを楽しみにする…いや、もしかすると、中には実は市から表彰されたような"偉い人"も、その中にまぎれているかもしれない。発明者や、東京から戻った地元名士もいるかもしれない。
しかし僕はそのいっさいを棄てていく。そうして鉄道に乗って、下車しながら、日本海を目指す。同じところに住むなんて、とてもではないができなかった。
ホームを歩きながら、朝のミストを浴びる。まだ日の出を迎えてはいないがすっかり明るんだ。大河が近いだけあって、川霧が垂れこめている。三次市はずっとこの江の川と付き合っていかなくてはならず、そしてそれは三江線も全く同じで、そうしてそれは日本海の江津までずっと続いているのである。
駅舎への小径は南国的な兵士のようにヤシが立哨し、レクリエーション感を演出してくれている。或る子供たちがこの駅から三江線に乗ってみたり、あるいは三次のデパートにパフェを食べに行くのをあと想う。鉄道というのは、子供の大好物である。それはたとえそれが短距離で近所であっても、すごく楽しいものなのだ。
私たちの感覚はどんどん鈍麻する。そして刺激を求め、身近なもののよさを認めない。しかしそれでよいこともある。どんどん遠くへ行って、帰ってこなくなるくらいでもいいかもしれない。
しかし人は、やがて自分の年齢を知り、年老いた親にもせがまれて、再びこの三次に帰って来るを想う。ここに来て何があるというのだ、しかし―金も人生の時間も尽きたとなれば、そういう選択もありだろう。ある人は地域おこしに入り、事業を起こす。しかし対極的に観れば、それはやはり人生のサイクルの一刹那であって、我々は土から生まれ、そして土へと還っていくのだ。
僕が、ちょうど半径ほとんど無限大という円のように、ほとんど直線化されたくらいに帰還の難しい人生の一刹那に今いることは、肯ぜざるを得ないだろう。だから僕の肯定感の強さもまた、それはその人生の刹那においては、誰もが或る程度持っているものにすぎないかもしれない。
ホーム遠くの陸橋はきっと三次市街に続いていることだろう。それはちょうどこの三江線も、例えば播但線の京口みたいに、少なくとも三次寄りのいくらかの駅は、都市郊外の駅として機能することが目されていたかのようにも思われた。しかしそんな時代は訪れることなく、今はどうにかその命脈を精いっぱい保っているかぎりだ。
三江線は1日5本で、そのうち三次からの始発は江津まで走りとおす。また、三江線は何度水害を受けてもそのたびごとに復旧されていて、不思議だったが、それはた地元自治体の理解の元、出資があったからだろう。いずれにせよ、鉄道路線としての健康状態はまだ良さそうに思えるが、もしかするとある日ぽっくり逝くかもしれない、そんなふうにも思える路線だった。つまり ― 僕のこれから乗る路線は、もうとくっに見棄てられているテイなのか、それともまだローカル線としてのある程度の健康を維持しながらひっそりとでも懸命に走っている路線なのだろうか、ということだ。
だって、たった一人、こうして静かな高台のホームで列車を待っていると、今からやってくる列車は、実は乗ること自体が異常に思われるようなものであったり、あるいはやって来る列車が現実には存在しないもののようにすら、思えてしまうからだ。
そう、今でもこうして三江線が運行しているのは、これは世界レベルのことであり、実はすごいことなのだ!
さて、尾関山とは、江の川のほとり丘のような山で、自然公園になっている。市民の憩いの場で、かつては古城があった。歩いていてもなかなか気持ちの良いところなので、時間つぶしには良いだろう。にしても、三次から出て、次の駅がまだ三次市街にあるというのがよい! 長い旅には"もったい"が必要だ。どんな名旋律でも、なんの前触れもなしにそを提示するのは大曲らしくないというものだ。それは例えば小さな私から乗り継ぐ国鉄線の関係にも似ている。初めは微分的だ。しかしその後は歩幅が大股になり、大局観が強くなる。旅とはそういうものだ。けれど僕はその大局観のふさわしいところに、美゛分敵は功を適用してしまう。それはときには稚拙な手法としてあきらかだが、けれど、僕は遠い遠方の地で、少なく元国鉄的な歩幅(駅間距離)ぐらいでは、その細かい襞をなぞってみたかったのだ。だから僕は今こうして尾関山駅にいる。
けれど朝の草の香りや空気は本当にリアリティがあって、土を踏みしめる度にその匂いが上がってきた。歩く、というのも、また魅力的だった。幼児がどうにか歩くのと、僕が歩くのとでは、またその意味合いが違うだろう。ネットに染まる我々はもしかしたら、脚の能力を等閑視しているかもしれない。かといって、それを改めるのは、街道を歩き通すことでもないし、きつい登山を敢行することでもないだろう。足の向きを見ればその人の気持ちがわかるとまで言われる。僕は何をどこをどんなふうに歩いているのだろう? 猫のように時折列車に乗ってはフッと降りて去って、列車を足の延長のように使っている。世界に対し、他者に対して思考する足を志したいが、僕の足の向きは確かに外へ向いているにも変わらず、いつでもそれは内側を向いているように慮う。
各駅に池があったという文化的時代を取り戻したい
外はすっかり明るくなり、ムシだらけで廃墟同然だった駅舎は朝の空気に浄化され、すがすがしいものになっていた。夜というのは、虫にとっては交配の舞踏会なのだろう。朝になって見れば酔いつぶれ、飛び過ぎてバタバタ斃れていて、あたかもホストクラブの早朝の光景だ。
こんなありさまだから、各地の無人駅というのはもはや実は虫の"培養所"のようになってしまっているのである。ただ、北海道だけは例外で、とにかく扉を閉めろとうるさい。それは虫害を防ぐためでもあるけど、もともとあそこでは扉をしっかり閉めるように徹底的に幼少期から教育されるのだ。それも極寒の地ならではのことだろう。温暖な西日本ではそんなん知らんとでも言わんばかりにいっつも開けっ放しであるどころか、扉すらない駅が多い。
駅前は夜に見たときに抱いた印象と変わらなかった。ただ道路だけ広くまっすぐ、駅前として設計したのがありありとわかるが、駅前らしいものは何もない、そんなところだ。しかし期待されていたのだろうし、近所の人たちもたぶんこの駅を利用したことはあるのだろう。いっぽうで、三次駅と尾関山の駅間距離ぐらいなら、もう自転車でも車でも三次まで行ってしまうことは十分考えられる。さて誰が利用するんだろう? と思うような節はあるが、白塗りの木造舎が立ち、尾関山駅の表示を掲げている。
僕は尾関山公園に園児たちが遠足として、この駅でどっと下りるのを想像する。年齢一桁のころの遠足というものがどれだけ楽しいものだったか…平静を装っていても、もう頭は狂乱状態である。
尾関山駅駅舎その3.
朝まだきの幅広道路をぼんやりした頭で歩いた。川霧で白っぽい空だが、だったら晴れるので、天気は気にしなかった。しかも夏だ。きっと日中にはピーカンになるだろう。町は深夜と同じように寝静まっていて動きがない。きっとまだ衾に潜り込んだままなのだ。静かな街があるのは、安全保障が効いているからなのだろう。こんな当たり前の光景が欲しくても、手に入れられないこともある。そして、僕は戦中にも拘わらず旅行していた太宰のことも思い合わせる。
ジュースやたばこなど…
周囲は市街の外れ付近ではあるものの、団地や校舎が散見され、検察庁まであった。しかし検察庁といっても平屋のささやかなものである。ここから三次駅は約2km.しかし橋を渡り市街地を走るので、ここから列車に乗れれば楽といえば楽だ。
駅に戻って始発を待つ。とりあえず次は信木だ。なんというか、信、みたいな人の名前に使う漢字が地名に出てくると、いかにも秘境駅っぽい感じがする。信砂、雄信内など…まぁ、ニンペンに言うという漢字だから、述べる、と読むのは特殊なことでもない。信木駅はここ尾関山から、粟屋、長谷、船佐、所木、信木、こうした順番で現れる駅である。その後はいったん戻るので、三江線の本格的な区間にちょっと顔を出すという感じだ。嗚呼、なんて贅沢なんだろう。この三江線を行きつ戻りつして下車するなんて。なんどもなんども、短い区間を、時間を変えて、日差しを変えて、方向を変えて、僕の眼前に現れることになる。僕の知る限りこの路線におけるそれは…鉄道における最大の贅沢 ― 寝台列車、その次に位置する、贅の限りである。
長大な距離を走ります