三見駅
(山陰本線・さんみ) 2012年7月
琥珀色のはちみつをいちめんにぶちまけたような夏の黄昏れ、潮見は読み方のよくわからない駅にむりやり降りた。運転士の制止を振り切ったようなところもあった。
自分に最もふさわしい土地を探しあぐねて、山陰線を気の向くままに降りて8日目だ。頬はよく焼けたカップケーキのように罅が入り、赤くなっていた。
都市部の駅では猛然と帰宅勢が押し寄せているころだろう。潮見は染みついたリズムのせいなのか、体も心もこわばっている。しかし三見はこっとりと、いつまでも暗い黄色のまま陽が落ちず、ただ静かに平行移動しているかのようだ。これまで訪れたどこかと似ている、と、潮見ははたと困った。
構内はささくれて、荒々しい。けれど放置されているというより、それを是としているところがありそうだった。潮見がめんどうだからと線路内を渡っていると、駅を一人で見にきた子が、非難がましく潮見を見つめた。潮見はその灼けた顔でその子を下から見返す。子供は怖がって、駅から何もいわずに逃げ出した。
本当のことをいうと、その子はそれをきっかけにあいさつしたり、コミュニケ―ションしたかっただけだった。
その子は近くの道路を歩いていた母に、怖い人がいた、と、すがった。母は駅の方を見もせず、やさしく、こっちおいで、と、手を引いて、停車場線をゆきすぎていった。線路に入っちゃダメ、そういわれているのに平気で入ったり、あんな怖い顔の人がいたり、その子はもうずっと家の中にいたくなった。
よく考えたらここは久しく無人だし、それにだいぶ荒れてもいる。窓口はきれいに残っているが、いったいどんな使われ方をしたか、あるいは本当にまともに使われたことがあるのかさえ想像できなかったのだから、それも無理はなかった。けれどかつてどのようにして使われたかをそ教えてもらうと、その子は自分のまだ短い生が伸びたようで、また周りの大人たちとの生とも重なることができたようで、うれしくてしようがなかった。それで周りの子たちに吹聴して回った。
駅は板張りで古めかしく、カイヅカイブキが伐折羅大将のように怒髪天を突き、赤く背後で燃えている。それはちょっと古い文化だが、潮見は好きだった。それはどんな古めかしいものも好意的に受け取って、それなりには思いを埋めこんで大事にしてやるという、潮見の変革への意欲のなさくる"優しさ"だった。
潮見が心を失ってどれだけ経つだろうか。いつも利用する駅であいさつしたり、会話したりすることは考えられなかった。そんなことをしたら却ってトラブルの元だ。それに潮見は罪人だった。虚偽の申請で仕事を放擲し、駅で寝泊まりもしていた。もう合わせる顔などない。
潮見はその子にメンチを切った後、海側のホームから集落に出られる新しいスロープを降りていった。すぐに板壁の漁村が迫っていて、このへんではかなり有力な集落なのは明らかだった。じっさい、三見はかなり独立した隔絶性のある漁村だ。鉄道だけが、幹線沿いの町に仕立て上げている。
よく島にあるように、犇めきあう民家を人一人歩けるくらいの細道が縦横に縫い、民家が犇めきあっている。それは古い遊園地の子供じみた人間迷路でもあり、猫の國のようでもあった。
そこではもう夕飯をこしらえる黄銅色の鍋の音がカタカタしていて、いつ誰と鉢合わせして何といわれるか知れなかった。音と匂いからすると、魚をぶつ切りにしたシーフードカレーや、魚の甘露煮を作っているようだ。けれど潮見はただ海を観ておきたい一心だった。
やがてふわっと漁港に転がり出、磯の香りに取り巻かれる。そしてそこは、まさしく赤銅色に彩られた勞働の風景以外のなにものでもなかった。漁具は戸愚呂を巻き、舟は揺れるたびに纜が軋んだ。
「人がいっぱいいるな」
それで潮見ははじめ離れて歩いていた。けれどよく観察すると、ウソのように人一人としていないのだ。
潮見は目をくりくり開き、恐る恐る近づいた。いつどこから怒号が飛ぶともしれなかった。それくらいリアルで、人が今にも動き出しそうな光景だったのであった。
けれども山陰は潮見に優しかった。海はキャンバスに落とし込まれた水彩画のように凪いで、日はこっとり封蠟のようとどまり、ゆいいつ潮見を驚かした乱暴な軽トラでさえ、彼をとがめなかった。
大量の酒瓶が転がっている。烈しい勞働を癒し、ブイにも使うのだ。
こわごわそこを潮見は後にし、駅へとすっこんだ。
体全体が蓄熱して燃えるように熱い。なおも一日の最後にたぎった油を繰り返しお玉で掛けられているようで、その苦行にうなだれながら座った。
「そうだ。そもそも旅というのは怖いものなんだ。なぜそれを忘れていたんだ。」
見知らぬ町へ行くこと。ひと気のないいなかの駅に行くこと。
かなり前、或る女性に、こうした駅や町の写真を見せたら、そんな怖いところには行きたくない、といわれたのを、潮見ははたと思い出した。そのときは、怖いなんて何いってんの? 怖がりだなぁ、くらいにしか思わなかった。そのことばは自分を怖いもの知らずの若い雄に仕立て上げることさえなかった。
しかし潮見が或る海山の駅にはじめて降りようとしたとき、どれだけドキドキして苦しかったか。期待もあったが、町のコミュニティに目を付けられたり、つまみ出されたりするんじゃないか、そんな恐怖もあった。実はそれは半分くらいは本当である。ある町を単に歩いて、人の姿など見えない中、いきなりきびしく窓が閉め立てられるようなこともあるにはあるのだった。
「だってこんな駅、ほら、木でできてるよ」
いや、それでいいんじゃないか。それに、あなたの実家だって木造ではないか、ということではなかったのだ。
潮見がこうした生ける廃を身にまとわせて、数年は経っていた。よくみると自分はよくもこんなところに座っているなとも思う。とんでもなく古い様式で、生成りの木の窓口には透明板がはまり、丸い穴がぽかっと開いている。カーヴィングを施した手荷物扱いの台も残っている。
「もう怖くなんかないのではないか」
そう思いかけていたが、あの漁港を見て、自分が恐怖心をただ単に意識できなくなっていたのを認識できたのだった。
そうでなければ潮見は自分自身がこの怖い駅そのもののようになっていたかもしれない。
けれどこうしてそれぞれの町を知ることは、恐れの克服でもあったわけだ。
自分にふさわしい場を追求する、それは自分が自由かどうかチェックしている感触そのものだ。それは際限がないし、記録さえしておけば、その過程をいつでも思い出すことができる。それは脳の外部メディアに頼るとしたら、その最良の使い方だろう。
けれどなんとなしホームに出たとき、潮見はこの一日の充実した実感には抗えなかった。
「ほら見てくれよ、しっかりした漁村がこんなにとろけそうに金色に輝いて、海が覗いて…」
跨線橋に上がったとき、潮見はすべてを平定したような気分だった。しかしその感動の一瞬においても、やはり山陰とその三見の集落は何らかわることなく佇み、烈しいカンテラは人を選ることなく照りつけていた。。