千丁駅

(鹿児島本線・せんちょう) 2008年3月

夜の千丁駅

  夜の時間が余ったので、どこか無人駅に降りみようと、千丁駅に降りたのだが、当然真っ暗である。時刻はもう21時。ただでさえ夜の早そうな田舎だった。私と一緒に降りたのは一人か二人しかいない。駅なんか足早に立ち去って、路地へと消えていくか、自転車としばしがちゃこん格闘して、ぴゃぁと走り去っていく。駅前も集落なだけである。

  跨線橋に上がると、八代方面に白い光が浮かび上がっている。新幹線の駅もある都市、八代も近い。でもその賑やかさにまでわざと行きつかなかったように思えて、享受しきれぬうれしさというものを、恐れているのだと思えてきた。だいぶ都市を離れたようだね。そう逆の方が取りやすかった。そして熊本方面側は真っ暗なのだが、見下ろすと灯りともした待合所が見える。周辺には留置線も見られた。重要なところだったのだろうか、しかし寂しげなところだ。

八代方面を望む。かすかに明るい。

熊本方面。

下りホームの待合所。ここは緑色が基調となっていた。

駅名標。

改札口前の通路。

あの窪みはどうやって生かすのか? デザイン?  配置も手ひどい。

自動券売機。

駅前の様子。

目立ったものはタクシー会社くらいだった。 駅前の田舎の指標となっている。

千丁駅駅舎。

  駅名標を見るといつもと違って図案が入っておらず、ただ四角い枠が空けられている。 そこはかとない恐怖。何かこの町の温かいものはないのだろうか。のっぺらぼうで、不気味であった。せんちょう、と書かれた駅名も、千丁という表記も、たいそう空虚なもので、幽霊めいたものや、怪談じみたものを育む原野が思い浮かんだ。
  しかしここはイ草が特産だそうで、駅構内にも大きく看板が立っていた。四角のところは、イ草にしよう。何も入っていないからだめなのではなくて、枠というものが、恐ろしいのだ。存在を欲しているようである。

  ホームにはそれぞれかなり長い椅子を置いた待合所があり、親切だった。しかしそんな親切もこう寒くては場違いのようで、座って待つ気は起らず、駅舎内に入り、そそくさと腰掛ける。小さいコンクリート造りなので密で、風除けになった。昔は出札もしたようである。防犯カメラを覗くと、なんかインスタントカメラのようなものが入っているように見えて、ハリボテなのかと思った。こんな駅ともなるとまともにも監視しないのかしらね。
  何か食べたくなり鞄を探ると、一袋のあられが。それを手にしつつ、「まあしかしこんな駅によく降りたものだ」、とつぶやきながら、やれやれのポーズを取れることを味わっていると、開封する手が力余って、中身が、悲しいかな、中身が飛び散らかってしまった。
  床一面に散らかった霰菓子。慄然とする。しかもいつも、この駅はきれいである、とか、ここはきたない、などと断罪していただけに、鬱々と狼狽した。惨めな気持で拾い上げる。しかし、屈んで地面に顔を近づけていると、私はふと探偵が証拠を見つけたように不可思議に眉根を寄せ、拾う動きが止まった。ほかにもいろいろ落ちている。今ここには誰もいないが、確かに他の誰かも、この駅を利用しているのだ。確かにさまざまな人模様が浮かび上がってくるのだった。そして私自身も、確かにここを訪れた。厳然と、愚鈍にも散らばっている霰と、砂塵まみれなペンキ床。自分の揺るがしがたきどじと、その存在。けれどもほんわりといとおしく、一つ一つ拾い上げるのは、悲しい気持であった。椅子の下に、まだ二三残っているようである。

  次の上りが来るためか、若い男二人がやってきた。友人の家で遊んだ帰りのような感じだ。帽子を後ろむきにかむり、生地を余らせて服を着ている。二人ふざけ合いながら駅舎にしばしとどまり、券売機で切符を買う。そのうちの一人だった、「ええと、熊本まで、熊本……630円! 高けえ、おおお」と言いながら、恐る恐る硬貨を入れるので、笑いそうになった。その後二人はこの寒いのに外の長椅子に移動し、じゃかじゃか結構な音量で音楽をかけ、早くも気持ちが乗っている感じだ。何だかんだと支出がある中、ただリズムに乗るのを愛しているようにも思われて、銘都熊本にあってのつつましやかな生活の一端を窺ったことにした。千丁駅という、四角い枠だけの駅に、こうるさいものを闇夜に響かせながらも、私よりかは、生き生きとした人が、霰なんかじゃなく、この駅を悲しいかな生かしたようであった。そう無蓋跨線橋に立ちながら、八代に背を向けて立っておりました。

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