標茶駅
(釧網本線・しべちゃ) 2010年9月
貨車を転がした小駅を過ぎ、山を越えたころにはもう夕方だった。湿原駅からも人を多く乗せた。もう宿にはいるんだろう。けれども道内の人の感じでもあった。標茶はその名がとおっているように、主要な町だ。ホームの端には標津線の記念碑があり、芝生化された広大なヤードが見て取れる。跨線橋やホームの古い短い上屋を見ていると、今にも汽車が来たり、標津線も走っていそうに錯覚して、懐かしさがあった。
窓口には見習い中の女人が緊張感の中、にこやかに応対した。背後にはベテランの男性駅員が立っている。
しかし私が出ると、その人はその中の人にお疲れ様ですといって、ぷいと駅務室を出、別人のような顔をして自転車に跨って消えて行ってしまった。17時で上がりの契約だったようだ。たぶん疲れたんだろうなと思いつつ、夕暮れの標茶を散歩する。でもこの辺ではいい職なのだろう。
駅舎は一回見たら誰もが忘れられないような、三角形をどんと置いた意匠。茶の字の一部を取った、明白な標(しるし)としての建物、といったふうに根拠が感じられるからだろう。ひっそりとした似た建物バス待合所は、標津線代替バスの存在を物語っている。
メインストリートは区画整理されたところもあり、きれいにされていた。釧路川を渡る開運橋を渡ると故郷感も強い。
もう日が落ちて薄青くなったころ、ここが最後なので店を探すが個人の食糧品店しかない。しかし外にも箱を積まれ、品ぞろえがよさそうで、十分助かった気持ちだった。ところが、そこで私はかなり怪しまれた。たぶん荷物が大きく"見かけない顔"だったから。客が二三人いる中、ずっと視線の追尾を受けていたが、食べ物や飲み物を手にしていて、出口あたりのものを取りに行くと、もう集中砲火である。もうここでしか食料を得られないし、とても助かっているんだけど。仮に持ち逃げする人がいてもこんな小さな町ではすぐに捕まるだろうに。そんなことより怖いのは強盗だ。
辛くも会計後店を出た。「あんな疑うかふつう?」。空がまだぼんやり青く明るい宵の空に、外灯が浮かぶのを眺めて、自由の空気を味わう。
駅に戻ると一人だった。ひと気ももうない。あの三角の高天井にぼんやり明かりが灯り、今朝茅沼駅で見た紙のタンチョウが吊られている。それで本当にタンチョウのまちなんだなとしみじみと哀しい。
ホームを覗くと、ただ、しべちゃと記した駅名標が、やはりぼんやりと灯っている。けっこう主要なまちなのに、18時でこれか…私は一人であることに安心して買って来たものを食べる。駅に降りてばかりいると夜は気づけば、こんなふうに済まさざるを得ない。外ももちろん、人影はなく、ただ少し離れた交差路が赤を灯し、やがて軽トラのヘッドライトの光線が駅前を掃過する。
19時台のこの駅で交換の列車に乗った。網走行きだ。高校生を含む数人が降りてくる。本数は少なく、一本一本に意味があるような汽車だった。