下兵庫駅 - 桜の桜井線・和歌山線紀行 -
(和歌山線・しもひょうご) 2007年4月
畝傍を出たのは15時過ぎだから、あと1時間も経てば夕方であった。
日が落ちすぎないように見守りながら、できるだけ遠くの小さい駅まで行き、
そこで降りることにした。これで夕刻の混雑は避けられそうだった。
高田に着いて、和歌山行きに乗り換えた。
この105系の2両編成が、王寺(奈良)と和歌山を3時間もかけて往復している。
北宇智駅のおかげで、こうして和歌山線のこの区間に乗るのは今年に入ってこれで3度目だが、
今回もまた、北宇智駅が絡んできた。
スイッチバック撤去後の北宇智駅がどうなったか見てみたかったのだ。
吉野口を出て掘割を抜けると、見慣れた裾野のただなかにいた。
まもなく北宇智駅との車内放送が流れたが、やはり、
一番前の扉からお降りください、に変わっていて、
工事が完了した北宇智駅をいやおうにも想像させられた。
かつての駅構内よりずいぶん手前にて、北宇智駅着。
ドアの車窓を覗き込むと、新駅はなんとまだ工事半ばだった。
ここに移されてから、半月ほど経っていたのだが。
ホームはやはり片側に一つだけになっていた。そして新しい駅舎が見えない。
車内に反応は特になかった。もう慣れたのだろうか。
扉が閉じて列車は発車した。車窓を最後まで見守っていると、
新駅舎がちらっと見えて、驚いた。
明るい木材を使ったかなり小さなものである。
利用者が多くないことから、ホームだけの駅になると思っていたのだけに、
意外だった。五条駅に向かう列車の中で、
私は新しい駅舎ができたことによろこんでいた。
五条に着くと日がそろそろ傾きはじめていた。
主要駅のここ五条もそろそろ夕方のあわただしさの片鱗をうかがわせていた。
次の大和二見はもういいから、今から降りるなら隅田か下兵庫だった。
駅舎のある駅にするか、桜がいっぱい咲いたホームだけの駅にするか、
かなり迷いはじめた。
結局、ホームだけの駅を彩る時期だということで、下兵庫に降りた。
駅の名前にも惹かれていた。
ただのプラットホームに降り立つと、もう夕方のはじまりだった。
民家やアパートが多く、道は細々としたものが駅に沿ってかよっているだけで、
自動車もめったに通らず、どうりで静かなわけである。
まさしく、この近くに家がある人しか使わなさそうな駅だ。
駅に降りて、五条方向を見て。
待合所を背にして。
国鉄サイズの駅名標。背後には空き地が目立っていた。
ホームを端まで歩いて。五条方面を望む。
振り返って。こちらは橋本方向。
ホームは道よりもわりと高いところにあって、根元は盛り土だった。
その盛り土にはホームの端から端まで、半ば剪定された植木が植えられていて、
駅庭に近いものとなっていた。
そしてその植木の背後に、桜が並んでいる。
ホームの向かいは、まさしく民家の背面で、住宅の中のささやかな駅だった。
そんな駅にいっぱいの桜が咲いている。
それにしてもホームだけの駅にしては植え込みが充実していて、贅沢な駅だった。
この近くの人はここの開花を春ごとに気にかけるだろう。
近くの桜というのは何かと目安にしてしまうのではないだろうか。
地元に密着していそうな駅に思われた。
清掃用具が入っているらしい錆び付いたロッカーもあり、
近隣の人が掃除しているのかと思った。しかし、そうではなかった。
いずれにせよ掃除する人はかなり手を焼かされているはずではあったが。
待合所はブロック積みの壁に屋根をくっつけた簡単なものであるものの、
駅の出入口も兼ねていたから、これがこの駅の表象となりそうだった。
だがその待合所が荒廃している。
壁はスプレーによる落書き、それの粗い隠し塗りで、
すさんだ雰囲気を醸していた。椅子も座れそうになかった。
さまざまな面に焦げ茶色のペンキが塗りたくってあるのは、
何かを隠したらしかった。それからもひどい扱いは変わらなかったようだ。
「私たちはきれいな駅づくりに取り組んでいます。皆様のご協力お願いします。」
少し変えればどこかトイレにありそうな文句だと気付いた。
地元が掲げたのだろうと思っていたが、橋本鉄道部によるものだった。
手を焼いているのは橋本鉄道部か…業を煮やしたのが、といったほうがいいかもしれないが。
長椅子の脇に、ぼろぼろになった券売機がコンクリート台にちょんと載っていた。
650円までしか買えないタイプで、おもちゃみたいな形の券売機だが、
こんなものでも蹴られれば仔犬が怒ったときのようにわめくのだろうと想像していると、
誰かが笑いながら一散に逃げた…。
どんなにぶさいくにされてもここで唯一、誠実の番人をつとめているようだ。
もう一つ台座があるが、これは昔、乗車駅証明書発行機が設置されていた名残である。
駅は汚いが、それだけに本性を見せられている気がして、
楽でもあった。疑う必要がなかった。
これは和歌山県内の和歌山線所属の無人駅の特徴であるといえる。
待合所の壁を四角にくりぬくようにして、階段が細道へ足を下ろしていた。
道を挟んだ向こうは、幟のはためく新築物件が立ち並んでいた。
新築のアパートも建っていた。
待合所。
この標語板は妙寺駅にも置いてあった。
ホームのどん詰まり。橋本方向に歩ききって。
家々が密集しているわけではなく、こんなふうに畑がよく広がる。
奥に和泉山脈が見えている。
ホーム端から五条方向に構内を見通して。
ホームの向かい側は人家の裏手が続いている。
待合室から橋本側にもう一つあった駅名標。
国鉄サイズの駅名標はつんつんしている感じがない。
待合所の風景。荒廃している。
駅出入口。
下兵庫駅その1。駅前の風景とともに。
駅前の道。こちらの方向はすっかり桜の並木道になっていた。五條方面を見て。
下兵庫駅その2。
駅前の細道は自動車一台分の幅だが、
片側には空き地や新築物件などが並んでいたから、
狭苦しい雰囲気は少しもなかった。新築の家は玄関前がまだできていないほどだ。
田んぼだったのをつい最近開発したのだろうか。
しかしなによりも、駅前の細道は桜並木の道だったから、狭苦しいわけはなかった。
ホームが長いおかげで遠くまで並木が続いていて、明るかった。
逆に、夏は深い影を落としそうだった。
階段を降りてすぐ近くのところに、新築アパートがあった。
そのアパートはマンスリーのようにも見えたから、
この駅も突然よその人と縁を結ぶことがあるのかと想像した。
鞄と、決まって小さなビニール袋を持った仕事帰りの人が
駅の階段を降りてそのまますぐアパートの新しい扉に行き着く…時は過ぎて…。
「へぇ一時期橋本につとめてたんだ、マンスリーか何かに住んで?」
「そう、下兵庫っていう小さい、待合室もない、こきたない駅があるんだけど、
そのまん前にアパートがあるんだよね。それがずこい楽でよかった。
一時期は毎日利用したなあ、あの駅も…。」
「…この駅も、か。」
ふいにそう漏らした。この駅は私は初めてだったが。
桜と新築物件による、新しい生活の雰囲気に、
土着の気質の立ち現れたホームだけの駅がやたら現実を突き刺しているようで、
始まりだす社会生活というものをリアルに表象していたのだった。
駅出入口を振り返って、あるものを探しはじめた。駅名表示だ。
しかしそれがどうしてもない。探しても探してもなくて、
ここはなくなったんだと知った。壁の一部がとくべつ白くなっていて、
そこに「下兵庫駅」とかかれたプレートがあったようだったのであった。
待合所の壁とホームからの階段だけで駅らしさを示しているのだから、
道すがら来ればうっかり見落としてしまいそうだった。
木々の植わった土を掘り込むようにして、
かなり手狭な駐輪スペースがあつらえてあった。
そこに投げ込むように10数台の自転車が突っ込んでいる。
こうした駅にも階段脇に公衆電話がおかれ、
どこか駅というものの安心を感じられた。
駅を右手にして橋本方向へ。
ホームが終わって。
斜光に向かって細道を歩いた。列車が私を置いて去っていた方向だった。
新しい人の住処と、夕翳りの荒れた簡易駅のしじまから抜け出し、
この駅からもっと近い賑わいを見たいと思った。そんなものがあるのかとも思えた。
しかし和歌山線は国道24号との旅でもあるから、近くにあるはずで、
すぐそこに出られるはずだった。
こっちの方向は並木もすぐ終わり、細道は田畑も見られるんびりした道になり、
やがて小さい辻に出た。
ここを左に折れると、紀ノ川に出るが、
右に折れるとすぐ踏み切りで、遠くに信号が見えた。
国道だろう。進路を右に取った。
辻の左手の風景。もう和歌山らしい山が見えている。歩いてくと紀ノ川に出る。
辻を右折して、踏切から下兵庫駅を望む。
国道への道。
辻から200mほど歩いて、国道に出た。 やっぱり、といった感じで、交通量の多い二車線の国道だった。 国道らしく大型店舗が展開している。 この辺も不便ではないだろう。 このすぐ近くに「南海りんかんバス」の下兵庫停車場があった。 夕日に向かって快走する、家路を急ぐ人たちをしばし見送って、立ち去った。
国道24号。橋本方面の風景。
五條方面の風景。
国道から駅へ。
辻を過ぎ、駅前通にさしかかって。
駅に近づくころ、兄妹が空き地で遊んでいた。
少し離れて母親らしき人が中に入るよう二人を呼んでいた。
日暮れが近いからだったが、私が行き来したからかとも思った。
私は明らかによその人だった。
駅を過ぎても歩いた。桜並木が美しかった。
根元の暗緑色の植え込みすら明るくしていた。
ながながと左手に並木とホームを見送ると、
下兵庫という名の小さな踏み切りに出た。集落の中にある小さな踏切で、
こんなのがいくつもあるらしかった。
道中、ゴールドクレストの陰で庭をいじっているおばさんがいて、
私はあまり目立たないようにしていたが、
私が帰りにそこへ差し掛かったとき、
別のおばさんが自転車でゆらゆら通りかかって、
庭にいるおばさんに挨拶した。沈み行く光の中に、
近所の者どうしのちょっと大きな声が、一瞬高ぶってすぐ溶け失せた。
私は気にも留められなかった。案外田舎ではないのかもしれないと思った。
自転車が私を追い抜いていった。
下兵庫駅駅前。
下兵庫の踏み切り。
駅へ戻る途中。右手にホーム。
さくらの下兵庫駅。
ここに来て30分後、五条行きの列車が私を迎えに来た。
列車は何も深く考えず、ただ単純にホームに滑り込んで止まった。
ここから乗ったのは私一人だった。また降りてくる人もいなかった。
そのときは、私だけの駅になったのだと思う。
そして、この駅は私の最寄駅になった。
あらゆる設定により、この駅を絡めたとある人生の一部分と私が重なった。
さて、これでこの日はおしまい、
まずは五条で乗り換えて、次々と乗り換えて帰るだけだと思って、
気を楽にしていたが、そうはいかなくなってしまった。
五条駅の木造の上屋を夕暮れが襲っていたのだった。
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