下里駅
(紀勢本線・しもさと) 2010年2月
明星の空を仰ぐと雲一つなく、じんわりと油のような濃藍色の諧調が天球に凝然としている。かきんと磨き出したそのロマンティックに濃密な色ガラスは、それ自体が鋭利な刃物のようだった。雲がなく降温が抑えられなかったわけだ。体をガクガク震わせながら、今日一日の天気を窺うと、駅舎に戻って片付けを始めた。天気? 晴に決まってるだろ、晴だよ! それ以外に何があるっていうんだよ、と独り言ちながら真暗闇でシュラフを詰める。手がかじかみ、寝袋は体温でぱんぱんに膨らんでいて苦労した。背面がひどく濡れている。それだけ温度差が生じたのだろう。タオルとティッシュで拭って、細かいことは気にせずそのまま詰めた。こうしてみると、真冬のシュラフというのは過酷な使われ方をするものだなと。高価なのも頷けた。 手洗いするが、こんな汚れた蛇口でも私には貴重なものなのだ。水は死ぬほど冷たい。手がまたたくまに真っ赤になった。
明るい朝を迎えて下里の印象はがらりと変わった。あたりはしっかりと根付いた広い集落で、駅前商店の名残もはっきりしている。引き込み線もあり、今は枕木置き場に使われていた。汚いといっても知れているし、夜の悪印象がかなり浄化される。夜にしか気づかないことってあるものだな。ただ、霜の降りる厳しい寒さで、これでは昼もそんなに上がらなさそうだった。
犬を連れた爺さんが駅舎に入って来たが、私の姿を見るとぷいと踵を返し、トイレに入った。繋ごうと思ったんだな。散歩のついでかと思いきや、その方はそこの掃除を始められた。荒れた駅舎のある下里にもこんな徳のある人がいるのだと知って驚いた。犬はおなしくうつむき、外に繋がれている。寒いのに悪いなぁ、中入ったらいいのにと。その方は適当に水を撒いて、犬を連れて帰られた。毎朝の日課にされているようだった。寒さに凍えながら、きっと何か役に立ちたいという思いがあるんだよ。人間とはそういうものなのだよ! と旅人の私はいたましく思う。しかしいつか近場の駅を日課で掃除するようになる自分はまだ想像できなかった。ステージというものがあるのかと思うと、自分の人生の有限をそこはかとなく感じさせられた。
駅舎はすっかり白で、遠目にはきれいなくらいだ。ただ長年の屋根の重みのせいで撓んでいて、ちょっとコミカルだった。こんなんでも戦前からもっているんだから、いい木材を使っているのだろう。 始発はすっかり明るいころだった。ここは勝浦や新宮にも近いからこれでいいのだろう。一応この紀行は、今日が頂点になる。紀南の辺境に極まった海を見て、新宮市街を訪れる。