宍道駅
(山陰本線・しんじ) 2012年7月
体が痛いほど暑かった松江駅前を離れた。とかくサウナとビジネスホテルが異様に多く、飲食店やコンビニは少なかったが旅人には困らなさそうだということがわかり、私は安心して再び西進していた。ほかの旅人の安心を確認して何を安心しているのだろう? と思うが、私は何かの事態の折に逃避行を考えているのだろう。どんなところか訪れておくだけでもだいぶんちがうに相違ないと。
しかし朝からこうして松江駅と出雲市駅のあいだをうろうろしているので、またこの区間を走り、降りるのかと思うと少々疎ましかった。けれどもうあとは自分が望んだように西に進むだけだ。
車内もゆったりした人ばかりで、宍道湖の黄色い湖面が軽快に流れていく。それは90年代風でもありつつ、戦前の古さのようでもありつつ、或いは、神話時代でもあった。
少しメガネの若い男性に見られたが、お昼でしょ、と表情でいうと、その人も、まぁそうだね、と。要は何も不自然なことはない、と、自若泰然としておればよいのである。
いやでもしかしたら…彼も本当は鉄道旅が好きで、私を見てその最中なのかどうか、見定めたかったのかもしれない。
宍道駅は前述の通り、山の乗り換え駅だ。そして中国山地の不思議な路線が好きな人なら必ず知っている駅である。木次線が分岐している。
私もちょっと特別なところだという意識があり、やや気が張っていた。
降りた列車は備後落合行きに接続するうえ、やくもも停車するので、肉声の構内放送もけたたましい。「3番のりば、木次線13時55分発出雲横田方面、備後落合行き、まもなくの停車となります。今しばらくお待ちください」 別の客対応している間に、改札を無言で通った客を見て、「1番のりば、出雲市行き特急やくもご利用なお客様は、改札までお越しください。」
山型の上屋の向うには森の緑が見えて、反対の駅舎は赤い石州瓦だった。
多くの客が汽車を待っている。山が生きているんだなと思った。
西日本は人々の住んでいるところが散在しているという特徴がある。それはなかなかおもしろいことだ。
暮らしなんていうのは…ひどく不便になる前なら、たいていは住めるというものさ、なぜなら、住むということが即ち町を作っているのだから。
やがて備後落合行きの、半袖の私服の中学生や仕事人を満載した単行気動車は哀しい警笛を打って山の中へと分け入っていった。
そうして駅は、いっときの静寂の時間を迎えた。
「やはり宍道は特別だよな。」
宍道駅は上屋が逆さ箒のような木柱に支えられているのに、それが一糸乱れずしっかりしていて、昔の我が国の職人仕事を直に見ているようだった。
跨線橋は改札を経ず裏にも降りられたが、月極駐車場利用者専用とある。駅員がジッとこちらを見上げてる。「うたごうとるな…」
そもそもどうせ表に回ってまた乗りたいのに、こんなとこで遁面するわけなかろうに。
「まあいい。」
1番のりばに降り立つと、腰壁は紫に近い臙脂色を基調としているが見て取れる。神話やおろちと関係がありそうだ。
昼下がりで少し休みの時間だが、夏の暑い静かな駅舎内には二三の人の動きがみられる静と動。郵便屋も熱すぎるポストに止まってびっくりしているてんとう虫のように、一か所にとどまらない。
窓口で待つと駅員はにじり寄ってきて券面を改める。
爺さんが暑さのあまり項垂れているが、そもそも冷房もない駅舎内…というかこんな田舎を走破する山陰本線での旅行ではまったく冷房に出会えず、あえぐような苦しみをずっと私は味わっている。まだ北陸の方がましであった。
外に出るときなんとなく木のにおいが香って、そういえば中国地方の山奥の鉄路はいつもこんなにおいがしていたっけ、と。宍道はほんとに山寄りの駅だ。
ずんぐりした箱型の木造舎も印象に残るものだ。2階の高さがあるが、窓は見当たらない。赤茶の石州瓦をどっしり戴いて大書きの「宍道駅」の表示は尾を引くように思い出に残る。こんなにも公共的で害のない表象もまたとなかろう。夢中になるのも許しておくれ。
サイクリストがパッキングしている。夏だから旅行に来たんだ。ちょっと駅で休憩したようだ。彼はほとんど駅に興味を示さなかった。夏だから山陰に来ようというのは、西日本では健康的な発想だ。だから私だってそうなのだ。そう見えているに相違ない。夏だから脚を出して、山陰旅しにきた。そして何日もかけて下関まで行くつもりなんだ。この旅中、そんな台詞がいつも頭の中にあった。じっさいそういう旅をしているようにしか私は見えない姿だった。
あたりは小町だが、やはり乗り換え町にも見えて、なんとなし柘植のことを思い出す。まっすぐ行くと宍道湖だが、ちょうど西端で、湖水は終わりにあたる。
山奥の線から来るには、江津と違って、それほど爽快感はないが逆に気分の乱効果が少ないといったところだろう。
それにしても…ここ長い間も茫洋を眺めてないよな。海らしい海をはっきり観たのは御来屋海岸だった気がする。島根に入っからは汽水湖ばかりで。今日一日もそんなに海にまみえないらしくて、ちょっともったい気分。山陰に来てこんなこともあるんだなと思った。
島根に入って、古くから人が住み着いたところのようだ、という、直江駅でもらした感想はそんなに外れていないだろう。それでしばらくは島根は茫洋のイメージからはずれ、少し里山、里海の印象をもたらすのだった。
14時半ごろ、おとなしくホームで浜田行きを待つ。山奥のあの哀しい汽車はとうぶん出ることもない。行きもしない。あの人々の町のことを想像しながら、私は私の魂の腐乱を願って、西へ西へと山陰海岸を詰める。