静間駅
(山陰本線・しずま) 2012年9月
21時過ぎの出雲市発浜田行ワンマンカーは暗く澱んでいた。もう煌びやかなものは何もない。車内はここで飲んだ帰りの人や眼鏡をかけた専門学生がいるくらいだった。
田儀に入ると、汽車は真っ暗で湿っぽい海のそばを走るようになる。もう米子や松江、出雲市の賑やかさから遠く放されてしまった、そんな感じだった。
そもそも島根の沿岸部は西と東とでは違いが過ぎる。別世界のようでもある。
波根や久手などの瑣末なのりばは、どこもただ蛍光灯だけを斜めに灯し、漁村に帰る人を無生物的に迎え入れている。
大田市に着くとほっとした。駅もずっと明るい。付近に特に何もないにしたって、どうにかはなるだろう。
大田市を出るとき、ほんとうにいいの? と、振り向いた運転士に言われている気がした。
列車は何気なく走ってるのに、機械はおもむろに、
「ツギハ、シズマ、シズマデス。オオリノオキャクサマハ…」
「なんか空気変わってないか? 自分がそう思ってるだけか?」
どんどん暗い所へ向かってる気がする。宍道湖経済圏は意外に強烈だったのかもしれない。
真っ暗な叢を横に携え、列車は四角い前照灯だけで、静間駅構内を截っていく。
運転台から、恐ろしいくらい古い駅だというのがわかった。
こんなところに降りるのが怖いほどだった。
しかも、ふと運転士プレートを見たら、駅と同名の顔の青暗い人であった。
改札を受けて飛び降りる、って、嵩上げなんかないから、いつもターンッとそんな感じになるのだ!
気動車がドクドク夜気の露払い、たいへん賑やかな十数秒だ。やがて列車が浜田への闇と吸い込まれると、ホームは夏だというのに肌寒く、夥しいカエルの声が夜の空間を震わせている。そして眼前には、夜気をいっぱいに吸い込んだ板壁の駅舎が、ぽっかりと明るく口を開けて佇んでいる。
今それが私の目の前にあるということが、信じられないほどだった。
これがそのままに活躍していた時代の人々の動静そのままが、私の心に忍び込んできそうだった。
その時代は、駅員が寝泊まりしていただろう。だからもっとひと気があったかもしれない。それだけにこの様相は、ちょうどその時代の人々の死んだ状態を表しているように思われた。この静けさの中に、当時の人々のこえがいっぱいにわんわん木魂してくる。すべてを明るみに出せるような時代ではなかったが、それを共有しているのが大人といったころかもしれなかった。
私の出した脚が、風に取り巻かれる。腕の産毛を微風が愛撫する。私は独り古いホームに固まって佇立する。何も襲ってくるものはない。しだいに私という実体が、不透明色になって表れてきた。
中もぱっと見、憑り込まれそうなほど古い。滑車の大きい分厚い引き戸は、とてつもなく重い。椅子も当時からの、頑として動かないような背中合わせの長椅子がある。昔は何もかもが重たかった。人の感情も、またそうだったろう。
しかし目を転じると、旧駅務室は公民館として活用されているようだし、中に付けた新しいトイレもすばらしいほどきれいに納まっている。これだけ昔の建物でも大事に使っているのだった。
「山陰にもこういう考え方があるんだね…」
私は青年だ。だから本当におもしろい感覚しか追いかけない。整わぬ本物を見たい! 迫真の本物は、こういうところにしかない。そしてそういう文化を、私は確かなものと信じているのだった。
「これで出てほどなくしたところにコンビニでもあったらどうかな」と思いきや、そんなものはまるでなく、漆黒の昔の儘に駅前は沈み切っている。駅名表示を照らしもしていない。ただ居室だけが明るい。これはまさしく本物だ。灯りはかつてはランプであったろう。多くの人の工夫と仕事のうちに人々は生きていた。
「これはきついな。あまりに重すぎる…」
私は手洗い場の水などで手を洗い、あのばかでかい背中合わせの長椅子の片方に、夏用シュラフを敷いた。今日はここで寝るつもりだ。別に狙ったわけじゃない。たまたまだ。
まだ明かりが点いているが、誰も来ない夜。戸口も開けっ放しだ。なんとなし不安だが、コウロギの音をいっぱいに浴びながら、静かにシュラフの中に身を収めている。
ふっと目を覚ますと、いつしか消灯していた。隅っこの赤いナツメグ灯だけがぼんやり灯っている。ほんとに昔の祖父母の家の板の間にゴロンと横になっている感じだ。誰かかが駅に近づいてきたこともあったが、暗すぎて私のことには全く気付かなかったようだ。扉は開けておいてよかった。閉まっていたら非常に怪しまれるだろう。もっとも、閉めるともの凄い音がするのだが。きれいなトイレや水場も室内にあって、とても安心できた。なんか人の心を感じる駅である。古くてもこざっぱりして掃き清められているというのは、そんなことをいたく感じさせることが多い。掃除だって工事の一種みたいなもので、それだけで収まることがある。
いったん目が覚めてからはやや眠りが浅かったが、気が付くとヒグラシが鳴いて、ぼんやりと暁だった。山陰道の西へ西へと来たんだとしみじみとした。