静間駅
(山陰本線・しずま) 2012年7月
大の大人でも動かしにくいような分厚い引き戸の間口のむこう、空がもわあっとやんわり橙にやさしく灯っている。けれどぜんたいまったく静かなのだ。たまにヒグラシがひとこと、ふたことつぶやいて、小鳥がチチッと穹窿を截っていく。こんなに明るいの、なんでこんなに静かなんだと思う。草の匂いと、この上機嫌で、けれど悄然とした空気が鼻腔を撫でる…立派な重い木をふんだん使ったような木造舎の中で、私は恍惚としながら、まどろんでいる。
「この世のものとは思われれないね。異界に来ているような。そもそも、今の時代に本当にこんなところがあるのか? あるみたいだな。…あるんだよ。」
あるけれど、それは純粋に在るのではない。深く知っているというのでも足りない。それを味わい尽くせる自分があることと一体なんだ。だから、単純に在ることは、まったくもって最低条件でしかなく、それを見てもまったく仕方がない。あるとは限らないからこそ、我々は何度でも地上に出現する、そんな感じさえもしてきた。
「信じられないような空間に囲まれているな」
周りを見回してそう思う。
ここは島根県を西に抜けたところだ。こんなところがそっと今もありつづけている。最古とも、伝統とも、保存とも、復元とも謳わず、当たり前のようにぽっかりと口を開けている。駅務室が畳敷きの広間になっていることや、内部に新たに造作した便利な厠も、生命感があった。なんだろうかこのバランス感覚は。
まだあたまがぼんやりする中、ホームへの戸口に近づいて、外気を吸う。昨日と連続の時間に自分があるのを感じる。この旅行は長い長い一日があるような感じだ。逆に、目が覚めてもまだ覚めていなかったというような、夢の中の翌日でもあった。
当初からの濃い木の板壁と漆喰に囲まれた改札は、まさに朝のしじまであった。ここまで地の名がぴったりなところもそうそうない。
濃い色の板壁は威厳を醸しつつも、私という来訪者には微笑んでいる。私はこれが殺されはしないだろうかと不安を覚えた。鎧をまとっただけで、応戦しようともしないのだもの。居座ったまま、斬り込まれるのを待っているかのようだ。
私の意識において夜気に沈んだでいた構内は、暁光のもとに土や草が蒸気を放散し、廃された向うの線に生い茂る草草からはコオロギ泣きわめいている。うーん、私は夏に旅行に来たんだがな…叢から虫が飛び出し、どこかに捕まったのか、一本の草が揺れる。いったいどれだけの生命体がここに潜んでいるのだろう? 姿など一向に見えないというのに! 夏の朝は本当に涼しいもんだ。留まる虫を振り払うように探検するが、そのむき出しの脚は寂しかった。
かつては賑わったというのも感じさせず、ただ町の役目を果たしてきたという様相ながら、それにしては、こいつはあまりに開通時のまま残りつづけ、摩訶不思議な妖気を放っている。荒れてもいない。もちろん悪い感じなどもあるわけもない。このようにして残ってきたものと、残らなかったものとの間には、どんな違いがあるのだろう。簡明に述べるなら、それは運命だろう。国道から離れていた、海から離れていて傷みが少なかった、建てた大工さんが優秀であった、良い材が手に入った、意識せずとも地元の美意識が高かった、などであろうか。
建物は駅前広場にしてなぜか斜めに構えていた。遠くに駅舎を眺めると、北海道に来ているようにも思える。それくらい素朴で、何もなかった。
静かなうちに、方々歩きまわる。そうしたら同様に今ではほとんど見られないような商家や医院らしきものが見当たった。しかしもたなかったのか、空き地になったところもある。このあたりは堋(アヅチ)とよばれ、川に挟まれた小山の裏側。けれどなんか海の匂いもしている。海方に歩くと、もっとおもしろいものがあるのだが、今回は苦渋の思いで割愛した。山陰の旅が一回来たきりで終われるわけがない。
静間っていうけど、これはありそうでないなかなかないいい地名だなと。この土地の風土にたぐいまれに合致しているし。暗く湿って、明るい窓が龕のように開いているんだ。とくに島根県の西部の海岸部は、ひそやかに隔絶された、まさに四十万という感じだ。
だいぶたってから、児童が駅前に集まってきた。まさかと思う間もなく、ラジオ体操がはじまる。あの音楽や掛け声を聞くと、やらなくてはならないような気分になり、こうして静かに椅子に腰かけているのが悪いことのように思われ仕方なく、苦痛にさいなまされる。こうして駅舎にいることが、ズルをして見学しているような、わざと隠れているような。
「ここまで来るのって、大変なんだな」
制約と苦痛ばかりの子供時代や学生時代に戻りたいと思ったことは一度もなく。よくもいろいろとやなことを無理強いさせやがってくらいにしか思わない。私は、あの調子に乗った音楽を聞きながら、独り蒼暗いところで誰か権威的な指導者を一人殺してやろうと心の中で刃物を静かに研ぎはじめた。あの音楽を聞きながらなら、残酷なことの一つや二つくらい平気でできそうなんだ。本当に! この駅舎も見てきたはずの大戦の折にも、そんなことを思った兵士がいたやも知れぬ。けれど、そしたら、それきりだ。何かを止められただろうか。けれど、そんな原動力ぐらいは持っていたい。
私はぼんやり、大きな栗の木の下で、の唱歌を思い出していた。女児らもそんな風に円陣を組んでいる。出自はよくわからないが、戦前からすでに幼稚園などで歌われていた、と記した本もあった。私はなんであんな有名な曲が作者も伝播も不明なのだろうかと奇怪な気持ちになったものだ。
音楽が終わりがけになると我に返り、ほっとした。そして、こんなに短かったのかと。「しっかりしろよ! これは町内の強制参加でもない、はたまたいま体育の授業を受けているわけでもない。今は旅行しているはずだ! あれになじめる人はそのままでよい。しかしそれができないなら、ちょっと方法を考える必要があるわけなんだ。」 けれどなんだろう、この漠然とした不安感は。急に足元が激しくぐらついて、倒れそうなほどの震動を感じる。
―おそらくこの自由というのは、たまたま自分がそこに居合わせただけの僥倖なのだ。恐ろしい轟音を立てて、或る少年が取り込まれていくのが感じられ、私はひそやかに、無名のすべての人々に対し、心の中で花々を幾本も手折った。