須佐駅
(山陰本線・すさ) 2012年7月
降りると町の音。
重たい過去から離れた者を、必ず元気にするような店と港のある…
駅に降り立って建物にそっと這入りこむと、モノで賑々しい物産館、黒いサッシがかっこいい。
「だから大丈夫だって。絶対あるはずだから!」
「そうかのう…なんで忘れたんじゃろう、あぁ…」
三原の耳には、はじめの声はちょうど自分と同い歳くらい、二十代半ば以降に差し掛かった女性のもの、そして後のは、婆さんのものでまちがいないと断ぜられた。
そうしてみことは老婆を元気づけていたのだが、三原が視界に入るやいなや目の色変えて彼のところに飛び出していった。びっくりしたのは三原の方だ。みことは警官のように刮目して、吽の形を口で作り、三原の足の先から頭の先まで視線を通す。そして、三原の持っているカバンに大注目だ。
そのときには婆さんも後ろにぴったりついていた。
(いったいなんなんだ?!)
しかし彼女らは、違うとわかったのか、ぷいと踵を返して、店に入っていった。店の中は町で採れた干物や農産物でいっぱいだ。そんなかわいらしい店が、冷房が効いているのにあけっぱなしになっている。
「どこにいったんじゃろうなぁ」
「戻って来るといいけど…」
みことはたおやかにレジの整理をしている。しかし顔を上げて、
「大丈夫だって元気だしなよ! ここは治安がいいんだし。」
「まぁそうじゃけどな。あ、そうそう、こないだな、平嶋の、いつも病院で合う友達がな、同じように忘れて、財布、見つかったんだと!」
「へぇ! だからやっぱりきっとみつかるよ。」
「そじゃな。けんど………心配だわぁぁ」
項垂れて嘆くように婆さんがいうと、みことはどうしようもないなぁと思いつつも、ため息ついて婆さんに茶と余り物の菓子を出してやった。物産館で期限が切れてはけたものだったが、数日くらいなら自分もこっそり食べているものだった。
「いや、こげなことしてもろて…ありがとう、今度必ず買いにくるでな。財布が、見つかったらじゃけど」
婆さんはちょっと笑う。みことは少し元気になって、
「見つかるって絶対。それに、これもう出せないやつだから気にしなくていいよ」
「電話は、したんじゃよなぁ」
「したよーさっき。それでこれから探すって。」
ようやく三原も飲み込めた。どうやら婆さんがかばんを車内に忘れ、自分が泥棒、もしくは逸失物を届けにきた使者と間違われたらしい。
しかし婆さんにも事情があった。それは市街の銀行で孫の祝いのためにまとまったお金を下ろしてきたばかりだったのだった。そして思い出の貴重なモノクロ写真も、保険証も、薬も。
三原はその婆さんの様相にさすがに気の毒になって声の一つもかけたくて仕方なくなり、戸の開いたままの店を覗いてみた。けれど、黄色のはっぴ姿のみことは、にこりともせず三原の方を見やっただけだ。
三原は思わず「あ、いやどうも」とだけ静かにいって、頭を下げて外へと出た。その扉はやはり黒のサッシで、ガラスには町の特産を紹介した手書きや、イベントのポスターが貼ってある。
外はうそのように清々しい朝の十時だった。空が海のようで、気持ちよく太陽が明るくて、そして古い国道が元気に走り抜いている。
旅行中の三原は益田のホテルを出ると景色のいいところを求めて飯ノ浦、江崎と降りていったが、あまり人の来ないところのようでどうも暗い気持ちになってしまっていた。けれど、ここにきて突然、気力が回復した。
「ここだ。ここで食事もして、土産も買おうよ。いいところにきた。」
駅舎も不思議で、トタンを戴いて古典ぽいのに、ちゃっかり物産館の施設を内蔵している。そしてマスコットのついたても…古来から脈々と続く営みの中に、なにか現代のサウンドが響いてきているのが、三原は気に入った。干物も乾物も、古い感じがしない。
三原は信号を渡ってあたり歩いていると、何気に和歌山のとある漁港の町に降り立ったってさんま鮨の店に入ったことを思い出した。けれど三原にはここではどうもとっつきにくいように思われた。
三原がそうしているあいだ、婆さんは急に気分が悪くなったということで、薬を取りに家に帰ることになった。次の列車が来るまでに戻るという。みことはタクシー券はかばんに入っているかどうかだけを聞くと、一枚発券して、婆さんに渡してあげた。
三原は結局、さっきの物産館の方がおもしろそうだし、あの話もちょっと気になって、少し早くに駅へと戻ってきた。
おそるおそる中に入る。さっきとは違って嘘のように静かで、冷蔵什器のコンプレッサーの音が響いていた。 みことはさっきのことなど全く忘れたかのように大きな声で笑って「いらっしゃい!」というので、三原もだいぶんほっとした。店の中に入って、苦笑しつつ、
「みやげを買いにきたんですけど…ところで、さっきのは、どうなりました? なんか不憫やら何やらで…」
「ああ」と切ってみことは照れると、
「見つかるはずなんだけどねー」
みことはいちいち声が大きかった。それこそ市場の姐さんのようだ。けれどそれにしてははっきりいって若すぎた。三原はなんでこんな人がこんなところに収まってるんだろうと思った。
みこととしてはあの件で頭がいっぱいだ。やはりどう考えても、婆さんのかばんはそのまま長門の方まで一人で旅をし、そうして連絡を受けた運転士がおっと気づいてかばんを拾う。そして逆方向の列車にコトコト載せられてここまで運ばれてくる、そんなイメージしか浮かばないのだった。
「さっきはさぁ、だって、あんな時間にここで降りる人ってあんまりいないもんだから」
三原はそのことは悪いと思っていた。けれど純粋に疑問が湧いて、
「もしかして…一人でこの駅のことを全部してるんですか」
すると、みことはおどけたように、
「そうだよ、私一人だよ。もう忙しくて忙しくて。この店の品出しでしょ、レジでしょ経理もするし、棚卸も、重いものもいっぱいあるし、ビンとか、それから切符も出すでしょ。
「切符も」
「そうだよ、もうあの機械、あれが使える許可が出るまで私だいぶんかかったから。それになんやかやいっばい言ってくるの、もう私もわからないわぁ。まぁ、わからないのは電話で聞けば教えてくれるんだけどね。みやげはどんなのにしますかー?」
三原は乾物や瓶物を中心に、揃えてもらった。店の中は不思議なもので、どう考えてもスーパーで売ってる箱入りのブッセなどばらして、値段を付けて売っているものなどがあった。一個60円だ。みことはそんなことをして、仕事を増やしていた。重くない?と、こんどは発送までしてくれようとする。やることが一つ増えるたびに、みことはうれしそうだった。
発送先の住所をみことはさりげなく読み取ると、これまでぼんやりと感じしていたことにやはり確信を深め、
「山陰線をたどってきてるんでしょー?」
「なんでわかるんですか。もう、どこ行ってもいわれますね。」
と、ちょっと親しみを込め、うんざりしたように三原はいうと、
みことは笑いながら、
「そうなんだ。だってそんな感じなんだもん。」
正直いって、みことは同い年くらいの人間に渇望を感じはじめていた。それでつい饒舌になってしまうのだった。ただそれだけだ。
「海野さん?はここの人じゃないみたいですね」
三原は防火責任者の名前を見てそういった。店の人をあえて名前で呼ぶことで、責任の信頼関係を互いに築くという、ビジネスのポピュラーな手法をここで活用しただけだった。だから慣れていたし、そして店員さんは、たいてい名札をしているのだ。三原は、これはちょっとしたお試しみたいなものだったが、みことは口角を上げて、
「ちがうよー」
三原の土産を箱詰めしながらも、
「私ね、偶然応募したんだ。あのさ、お昼まだだったらさ、そこのすし屋さんに行くといいよ。ていうか私いつもこの時間閉めて、そこ行くんだ。」
「どこなんですか?」
「すぐそこ。ほら。」
それは三原が一ばんに切ったところだ。駅にできすぎるくらい近すぎて、なんだか敬遠してしまったのである。
みことはもう、しゃべってしまいたくて仕方なくなっていた。
「あそこ安いんだ。私が行ってるくらいだからねー。それと、この時間いつも大将暇なんだよね。行ってあげないとさぁ。こんなこといったら怒られちゃうけど。」
みことは箱詰めしながら、ちょっと動揺してきていた。
「へぇそうなんだ…いやさっきちょうど歩いて探していたところなのでびっくりしてます」
三原ももう少し聞きたい気がしていた。どうせ汽車なんか当分来やしなかった。
けれど、三原は、これはみことに負けたなとも思った。
土産の箱詰をして伝票を貼ると、みことは、おわりっ!、さぁさぁと電気を点けたまま鍵をかけ、外へと二人は繰り出した。
みことが、お客さん連れてきたぁというので、三原はなにかひっかかったみたいで複雑だったが、大将との間に入って、ほんとはこんなことしちゃだめなんだけどね、ふだんもしないし、と、ちょっと恥いっていうので、三原はほんとに何もかもが丸くなった気がした。
確かにランチは札一枚下らぬという破格で、にぎりと巻き、それから吸い物でちゃんとしたものだった。量は問題ではなかった。そしてこういう食事の良さを改めて三原は知った気がした。
「私ねぇ、仕事探してたんだ。私も鉄道で旅するのが好きでね。いろんな観光案内所見てきて、こういう仕事がしたいって思って、応募したんだ。でも、通ったのがここだけだったの」
「じゃあ、退屈じゃないんですね」
「ぜんぜん退屈じゃない。むしろしんどすぎるし、すごくやりがいがあるよ。観光地の写真とかポップあったでしょ。あれ私が全部デザインしたんだ。それにずっと同じじゃおかしいから、毎年変えるしね。あの建物もさ、ちょっとは私の要望も入ってるんだ。それからマスコットあるでしょ。あれもね。だよねぇ、大将」
「…いつも同じ話ばかりしとるんやん」
大将はいつもはもっとしゃべる人かもしれない。けれど客の会話にあれこれ口出ししないところは、さすがに徳のある人だと三原は思った。
「へぇ、じゃあ何回も会議を重ねて」
「そう。毎日が楽しいんだ。でもさ…お客さんみたいなちょっと歳の近い人見てさ、昔のこと思い出したんだ。私、福岡なんだよね。都会の方にいたから。だけど、全部捨ててきたんだ。だからはじめは複雑だったんだけど、それじゃだめだなって。今はほんとここでおばあちゃんの世話したりするのが楽しいんだ。」
「なんか安心しました。それを聞いて。しかしなんで自分が安心するんだろうな」
みことはうれしそうだった。またみこと自身も、周りの全ての人を信頼するような気持ちが漲るのを感じていた。そしてなによりもそれがみこと自身も知っている本人の取り柄だった。それでかみことは三原については聞かなかった。知ったところで、安定するものなどないと経験からわかっていた。自分の仕事だって、いつ替わりの人が来るともしれない。なによりも、みこと自身がそういう道を取ってきたのだから。土産を買っていくということは上げる人がいるわけでそれで多少信頼したというのもあるし、そしてそれに、三原が少し迷いを放散しているのは、明らかだったからだった。
会計はむろんめいめいが出した。三原はみことの財布を見ると、その人の生活を見ているようで、安心できた。そして互いにこの関係を清算したようでもあった。
駅に戻って、応接室の手前で立ったまま、
「ここはいつでも人手が足りてないよ。迷ったらさぁ、こういうとこ探してみるのもいいよ。仕事を自分で作るのは楽しいしさ。」
そのとき三原はなぜか急に呆然とし、リアルに蒸し暑さを感じた。夏だというのに、今までどうして暑さ一つ感じなかったんだろうと驚いた。
あの婆さんがよれよれと扉を押しして現れた。
「もう、こげな時間になっとった思もて、急いで戻って来たんじゃ」
婆さんは三原の方にも目を丸くして視線をくれる。
「ばあちゃん、もうすぐ列車が来るから、それから電話も来ると思う」
「電話はあったかの?」
「携帯にはまだ何も来てないよ。こっちにも鳴るようにしてるんだけど」
「駅の電話には何も来とらんのじゃな、あぁ」
婆さんはみことに駅にいてほしかったようだ。
三原はなんとなし気持ちが高ぶり、声も低く大きくなって
「見つかるといいですね」
婆さんは、ありがとうな、と心から首を垂れた。
見ず知らずの三人がこうして感情を共有しているのは、三原にとっては不思議な快感だった。けれどなぜか心臓がはちきれそうだった。
そのとき電話が鳴った。
「あ、ほらほら! 違うか」
一気に三人だけの空間は騒がしくなる。
みことは発券室に入って、受話器を取って話しはじめた。
三原は聞き耳を立てていたのに、婆さんは耳が遠いのか三原に向かって、
「あると思うんじゃけけどなぁ」
おかげでみことの話から三原は察することができず、凝視するだけになってしまった。
みことは受話器を置くとその場からにこりともせずに、
「あったって! 次の列車で来るって!」
婆さんは相好を崩して、
「ほうかぁ、ほんによかったぁ、やっぱりええ人ばかりじゃったんじゃな」
「ここはやっぱり治安がいいんだね」
「そうじゃな、やっぱりよそとはちがうんじゃ」
みことはもう、三原の方を見ていなかった。
三原はここにいる余地がなくなって、寂漠としているとあっという間に列車の近づく音がし、三原は慌てた。何の接近放送もないのだった。
三原は空元気で、じゃあ乗りますので、と告げると、二人は軽く会釈した。みことは悪い気もしていたが、どうしてこうなったか自分でもわからないし、それにただ素直にことの事態の方が重要というのもあった。
向こうのホームに不安げに渡って、三原は、駅舎を隠すようにして到着した列車に乗り込んだ。追いすがるように駅舎側の窓の席に座って、まっすぐ様子を窺うと、その列車から降りた添乗員が走ってその二人に近づいて、鞄を受け渡しした。するとその二人はもう泣いて抱き合わんばかりで、三原はもう見ていられなかった。
(この物語はフィクションであり、実在の人物、団体、自治体、企業とは一切関係ありません。)
そのときあったことをヒントに、実際に見かけた人にいての印象を、何らかの形として残しておきたいと思って書いたものです。