高岡駅
(北陸本線・たかおか) 2007年8月
猛暑の北陸―幻影の駅
お盆休みはじまったばかりの土曜日、高岡駅ではプラットホームに青銅風鈴がいくつもさげられ、線路が何本もある広大な赤茶の構内は烈日をうけて燃えるようだった。あまりにも中線が多いため、すでに細々と精気なさげに草が生えているところもある。そういう構内に、ホームが、ぽつんぽつんとある。ずいぶん離れたところにあるのは氷見線のホームで、そこから対角に最も離れていることになるのが城端線のホームなのだった。氷見は海へ、城端は山へ。それぞれは構内の中でもそれぞれに近い方に陣取っている。
猛烈な暑気だが、悲惨なのは影のいっさいないそういう線路内であって、ホームはといえば深甚たる屋根がすぽっりと覆い、翳っていて助かる。青銅風鈴が札をひたすらくるくるひらめかせながら、風が少しでも来るといやというほど鳴り響く。私はじっさい、ずっと、風鈴の札を見ていた。いったいどこまで回転するのだろう。糸が細いせいか、一般のふう流などというものを嘲笑うかのように、恐ろしく速く回転している。なんで糸がちぎれないんだ。と思うほどである。そしてふつうは、回り切ったら逆回りし、それを繰り返すはずなのだが、どうみても、同じ方向にずっとずっと、回っているのである。錯覚かと何度かつよく瞬きしたが、確かにそうらしくて、恐ろしい思いに囚われはじめた。
3・4番線ホーム
私のいるホームには自分のほか誰もいない。青翳りのホームに静かにますの寿司を売る駅弁屋が開いている。お盆の駅、というのは不思議なもので、特定のホームだけどっと混み、ほかは人っ子一人いやしない、そして特定の時間だけ、人の流れができるのである。おおむね、停滞と沈黙だが、ゆえに、一か所の湧いたような混雑や、さっきまであった川がどこを探してもないというような、人の流れの消失するのは、もはやこの世のものでないと思われるものだった。
私のいるホームには自分のほか誰もいないのだが、向こう向こうのホームの、入線を知らせる音は聞こえてくる。それは高岡風鈴を使ってとある不思議な音列を操作したもののようなのだが、ふつうの風鈴とは違い、高貴で柔らかく、よく伸びる響きで、耳を奪われた。高岡らしさが胸の中で急に高まって、見ないうちから個性的な街であることを信じた。そして最後の音だけは音列から外れるように高く響き、あたかも白昼夢、これを聞いて、この高岡風鈴のことは、以後忘れることはなかった。そして高岡のいろんな風景を忘れても、高岡がどれだけ変わっても、この音だけは忘れまい。
その遠いホームの人模様も覗けて、里帰りの人や部活遠征の中学生でいっぱいなのだが、このホームを端の方まで行くとそのような雑踏も見えなく、また聞こえなくなりそうになって、いろんな色の特急号車札がぎっしり、静かに掛かっている。雷鳥、しらさぎ、サンダーバード、日本海、きたぐになど。それぞれ編成が違うだけで色が違うように、実にいろいろな列車旅を鮮やかに分かけて想像せよといわれているようだ。ただ見つけやすいというだけでさして興味を持たなくても、立って並んで退屈なときは、その札から何かを考えしまう。
昔、乗らん、とするとき、このいろいろな特急の中でただ一つにしか乗れないことが、もどかしくなったものだった。ぜんぶ乗りたい。だが今は、それどころか、今年はこれ一つ。これを大事にせないかんのだなと、入ってくる列車に、何らかの特別さを汲み取ろうとした。そもそもそれぞれの種別は、それぞれの地元の利用の便に応えたもので、住まいという拠点がある以上、ほとんどは乗る必要の存しえないものだ。ここを踏み越えると、それまでとは違って、旅というより、列車、鉄道そのものに偏向していく。自分の下車旅もそうで、そんなものを案外、本物らしく綴ることになるだけらしいのだった。でも、我慢できぬ、駅名標を見上げると、両隣の駅は聞いたこともないような駅。「にしたかおか」なんて、いかにも小さそうだし、「えっちゅうだいもん」に至っては、なんだかどうしても降りたくなってしまう。特急旅行者にはおよそ用事のなさそうな駅なのに、どうどうと矢印で案内されている。ここ高岡しか知らないことがくやしくなる。
跨線橋その1
広い跨線橋では、脇に回転焼きでも出店できそうだ。窓一つ一つ、構内が違って見渡せる。中線がいくつも並んだかと思うと、あるところはおもしろい紡錘形になり、あるところは斜めで中線を集めていた。客車や貨物、機関車、連結や機回しなのであろうが、それは想像というより、そのような想像がないと、この風景は異様で、解(げ)せないものなのだった。その意味で、もはやこの風景だけで遺産めいたものとなっている。しかし今でも使われているものがあって、貨物や旅客編成が滞泊しているのを見かけた。
跨線橋内に金沢や富山、米原、大阪の案内はともかく、青森、東京、上野と出ていて、北陸のよさが滲み出ている。高速交通の東海道と違い、ここそのものが旅らしい感じの土地だから、さらに旅が重なるようで、旅の二重構造になっている。
跨線橋の端にはそのステーションビル二階に直結した有人改札がある。自動ドアになっていて、ちょっと覗いてみると、涼しい。こういう工夫を凝らした駅の造り、普段の駅利用で軽い気分転換ができそうだ。
1・2番線のりば(城端線ホーム)
高岡には臙脂色の気動車が似合う。火が熾って赤くなったバラストの上に、何編成も並んでいて、かげろうでゆらめていた。上の跨線橋も煤煙で黒く棚引いている。あの編成らは今焼かれているのだ。高岡機関区を併設し、待機や整備をしているのだが、二階建ての高岡鉄道部もあって、ちょくちょく運転士がこの暑いのにしゃんと構内通路を歩いて、出入りしている。これら気動車は氷見線と城端線で使われるのだが、こうして運転士の交代を見ていると、もう本線と遜色なく、その必要性が息づいているようだった。
このホームの端がもっとも、駅ビルがよく見える。もう見ただけでまもなく取り壊されることがはっきりと感ぜられるほど、黴臭そうで、老朽化のため建て替えだと聞かされれば、その全員が思わず素直に肯くような、そんなビルだった。はじめ、これはひどい、と厭そうに私は引きつったが、こんなに何もかも、当時のまま残っているのは珍しく、こうして放置してくれた高岡ってどんな街なのだろう。びといといった癖に、入りがる私。怖いもの見たさというより、本当は、自分が生きている限りでは覆いきれない時間と時代を、素直に感じたかったのだった。
跨線橋その2
5・6番線のりば(富山・直江津・上野・新潟・青森方面)
7・8番線のりば(氷見線ホーム)
氷見線ホームはステーションビル2階直結の有人改札に入るか入らないの目前にして、さっと右に下りる。木柱の通路を歩いて、離れ小島に着く。どっどっとエンジンを鳴らして気動車が両端に待機。この7番線からが、いちばんよく高岡駅構内が見渡せる。東側なのだが、構内の中でも最もおもしろいところとなっている。小さい子が母に、そこに立って呼びかけられ、母、屈んで小さいカメラでその子と気動車を写す。氷見線を乗り終えたばかりのようだった。氷見線はアニメキャラクターの列車も走り、海際高く眺望がよいところがあるから、人気である。何だかんだ言って、ささやかな思い出作り、それは本当は、私も変わらないのだ。しかしそれができていないのではないかといつも気にしている。
氷見線ホームから平面移動して、改札口前へ。ラッチの並びの前は広場になっていて多くの人を捌けそう。この場所は線路に接しているのだが、乗り場ではない。昔は使ったことがあったそうだ。子供を抱いた中年男性が、子に列車を見せていた。いろんな駅で見られる光景、しかし高岡なんて見られる列車に関しては贅沢なもので、たぶんこの子はほかの駅ではまったく物足りなくなるだろう。
改札内改札前コンコース
駅南―南口駅舎駅前
裏口が小さそうなので、先にそこから出た。途中跨線橋は細くなって、後から造り足したものだった。階段を下りると床のタイルが新しかった。祖父母と一緒に来た子供が、柵にぶら下がってひたすらだらだらしている。家族を迎えに来たのだろうが、その子はまるで自分の家にいるかのようだ。もうこの高岡駅も、気張らずに来れる存在になっているようで、少しばかり羨ましかった。
中は簡易なものだが、それでも、出札から売店まで揃っていて、これだけで単独の駅になりえるものとなっていた。
外へ出て、思わず呼吸が止まる。思わず片目を瞑って「暑い…」と言うことで安心して捉えなおそうとしたが、そのから喉が干からびて、目玉が渇いた。こんな暑くて大丈夫なのか。黄色な駅舎前には屋根のように鉄骨をねじった彫刻が覆いかぶさって、そこに、高岡、と表示されている。
「やっぱり変わった街だなあ。なんでこんなもの置いたんだ」。
その白い鉄骨も火葬後の人骨のようで、およそ触れそうなものではなかった。
日当たりに出ると、空はガス火、下はさも助燃性気体のゆらめきで、高岡の街は燃え盛っていた。誇張にとられそうだが、大火でもあればこんなふうになると思われた。しまいにはこの暑さが怖くなって、反って鳥肌が立ち、じっさい背中が悪寒しはじめた。あとで総括されたが、この年は非常な猛暑だった。街を歩いている人がいれば思わず、どうもないのか、と観察していた。
しかし一転、地下道に入ると、生き返るように涼しい。たぶん顔をほころばせなかった人は一人もいなかった。地下道といっても都市的な本格仕様で、高岡の大きさがうかがえた。
高岡駅駅舎 民衆駅駅ビル
数々のラッチの中の一つをくぐり、中に入った。ちょっと暗めだが、白を基調に改装していて、外観の時代とは違っていた。マクドナルドが改札口の真横に入っていて、便利さに瞠目。高岡はやることが土地の割りに新しいのだろうか。CHAOという北陸ではなじみの深い売店も入っているがここは観光客向けで、おみやげ品がいっぱいだった。駅前横町がおもしろい。ほかの駅と違い通路が広く、待合所のほか、駅弁屋やそば屋が軒を連ねている。変わったものにコーヒーコーナーがあった。
駅前その1
外に出たら出たで、むうっと息苦しい。初めだけかと思ったらそうではなく、ずっと息苦しく、こんな中歩くのが現実だった。暑いけど駅前はすばらしかった。駅ビルの建物そのものはまだなんとか持つとして、斜向かいのアドニスビルは、もうかなり老朽しているのだが、駅前花壇が色鮮やかで、ガラスの新しいビルも建っている。こんなに新旧の混淆の上手なところはないように見えた。なぜか風景が飛び出すように立体的だ。ビルはそうしてだめなものもあるが、転回場はきちんと整備されているし、駅舎の軒下からそのまま入れる地下街への大階段など、すでに都会の気風を有している。そして路面電車の小さな万葉線乗り場。離れいてるのに駅を出てすぐ、すぐ目に付く。ちょっと歩いて覗きに行くと、がたがたのコンクリートに二条のレールが埋まっている。そして路面を這うようにポートラムがカーブして走り去るのでした。新しきものと古きもの。絶妙、とはこのことかしら。
これらのセンスは金沢にも富山にも見られない。そして金沢でもなく富山でもない、よくわからぬ高岡という街が、こんなに魅力的なところだとは考えなかった、と額に手を当てながら、信じられないような暑さの中で見ているため、この街も本当に存在するのかと、幻のようだった。しかし後で涼やかさの中、さらに先進性のあることを知る。
駅には「高岡駅」と壮観な掲示、それがよく見えるところにいると、駅から出たばかりの、短いズボンをはいた40くらいの男性が、また、ほかの若い旅行者が、そして私が、ほぼ同時に撮影し、その短いズボンの男性は、万葉線のりばへと去って行った。これから海を見に行くんだな。単行旅行者の交錯する高岡駅前。
万葉線のりば
駅前その2
アドニスビル
アドニスビルに近寄ってみた。歩道はバス乗り場で、地下街への階段がいくつもあるのだが、歩道の床面も階段のへりも、すっかり埃と汚れにまみれている。察するに、建設以来、そのままじゃないのか。このビルはビデオ休憩所やほか消費者金融がいくつも入っていて、さようなビルとなっていた。中は吹き抜けで、周りに戸口が配されているが、腐った油のにおいが立ちこめ、暑さと吐気。異国であれば、いつ事件に巻き込まれてもおかしくないかもしれない。地階はもっとすごく、潰れた飲み屋がしじまに薄黒く寝ている。その地階から、駅前地下街へも行けるのだった。
地下街
駅前の広いアーケード通りは建物が新しく入れ替わっていて静かなのだが、ここは地下街がすごい。近代化以後ほぼそのままなものの、ここにしては規模が大きく驚かされた。お盆だからかシャッターが多かったものの、別の日に来ると人通りも多く、店にはむろんお客が入っている。装い新しいテナントもしばしば見られて、地下は今も当然のように活躍していた。
駅前広場の移動にあたってこの地下はたいへん便利な造りになっているため、自然と人が流れてもいる。北陸一の地下街。これはここ北陸において大いに先取りだったのだろう。こういうのも高岡らしいのだろうか。
そういえば高岡駅前の特徴の一つに、飲食店が多いことを挙げられそうだ。地下街、駅ビル内ともにどれも新しいものはなく、入るのに好奇心が必要なものもあるが、駅前で食事に困る都市駅は多いゆえ、当たり前のことではなかったのだった。ところで新しいものもあって駅を出て左に立っているガラス張りの ビルに、いくつも食事処が入っている。
駅ビルの二階三階は、廃店舗が多く、かなり取り残されていた。それでもフロア中央でショーケースなど並べて土産を売っていて、ほか開いている店もあり、人が入っていた。屋上ではかつては遊園地やビヤホールが開かれていたようで、そんな看板が屋上前の踊り場に掛かっている。うっ、もう下りよう。空気が濛々としている。下に下りてくると人心地して階段の壁には薄いショーケースを嵌めて地酒を飾ったりするなどで、ほんとステーション・デパート。しかしこのデザインを見たとき、今と感覚が違うにもかかわらず、変革の気持ちがたいして起らなかったのは、人をよそからも地元周辺からも迎え入れて、たくさん集めたいという願望だけは、確かにここに存したものだからであった。こんなデザインのまま、そういう考えが伝わることだけによって、人が集まったら、と夢想するが、現実来るのは私みたいな何もしない人のようで、すると実はそういう、人を集めたいという願望だけがここにとり残されており、ショーウィンドーがなんら野心なくそれを放っていて、無償の歓迎というか、金銭を慾しない歓迎というものが感じられ、他意のない帰郷や、帰省によっていつも巻き戻る時間というものを、ずっとやさしく抱卵していたかに思われた。こんなものが残っていてありがたい、というのは、そういう過去への、故郷への、蒸留された慾無き無償の歓迎からくるもののようだった。
駅前その3
帰りはデパートから跨線橋に直接つながる改札を通ることにしよう。ちょうどもうすぐ下りが着く。近づいていくと改札係に、どの列車に乗るの、と訊かれた。富山方面だと伝えると、やにわ真剣に目を点にして「え、もう行っちゃったんじゃない?」そして切符を私に手渡して、「あ。やっちゃったな。」と、にやりとするのである。私は期待に応えるように走って自動ドアをくぐり、跨線橋に入った。冷房が切れてむっと空気がよどんでいる、その中、下方でごうんと富山行きの滑り出たのが、見えた。次の下りは何十分も後だった。しまった。そもそも本線なのにお昼の普通列車が思いのほか少ないのはなんでだ。
でも、よかったじゃない。あの人の、にやりとした表情。どこから来た人でも、列車を逃したくない気持ちは変わらない。それを平等にあの人は真剣に考え、そしていじわるく笑って共有した。
無風な跨線橋からは真夏の高岡駅のヤードが見わたせる。西は金沢へ、東は富山そして魚津、そして日本海。跨線橋でこの待ち時間、どうしようかと迷う自分を見つめて、旅行中であることに、あっと気付き、今は都合つかないがどこへでも行ける自分というものを捕捉できて、一瞬ではあったものの、主体的な自分の姿というのが、何本も並ぶ線路の上にきらめき、羽ばたいた。しかしそれは、ここを行き来する高岡に馴染んでいる人たちにも、現れえるものなのだろう。