多気駅

(紀勢本線・たき)

緑の畑と冬の青い空。 思わず眺め入ってしまう風景が4番線から見渡せる。

低めの上屋の下に立つ三つの時刻表と、その上付近に上屋から吊られた駅名標。 3・4番線ホームにて。左が4番線。

ホームの中央より右寄りに作られたボックス式の待合室のあるホームの風景。上屋を支える古びたクリーム色の鉄骨が良く目立つ。 薄緑の待合室のある3・4番線ホーム。

屋根の付いた名所案内板。五か所案内されている。 名所案内板。佐奈駅で案内されていた名所2か所がここでも案内されている。

ホームに立つ駅名標

ホームを階段付近から縦に見て。吊られた駅名表、ホームに立つ時刻表、LED式発車案内板、待合室。 跨線橋への階段付近から3・4番線ホームを見て。

階段上り口。上り口の上からは「松阪・津・亀山・名古屋方面へおこしの方は陸橋をお渡りください」と書かれた案内板が吊られている。 跨線橋の階段。案内板では「陸橋」となっていた。

  階段を上らず、その脇を通り抜けるとホーム上に詰所があった。 詰所とホームの縁との間は狭く、線路内に向って傾いていることからして、 旅客の通るところではないようだ。 ここを過ぎるとホームは片面4番線だけ使用可能な状態になるが、 白線だけで点字ブロックはなく、先ほどのような詰所脇を通らないといけないので、 使われることはあまりないのだろう。

アスファルトの細いホームに白線が伸びる。右脇に低いフェンス。 片面だけが使用可能なホーム。

白塗りで頂にミドリ十字のある低い塔。 脇にあった安全の塔。

ホームの縁付近のようす。狭くて傾いている。 まだ白線の残る詰所の脇。

両脇にポースターが張られる跨線橋内。床が暗緑色、壁がクリーム色で全体的に薄暗い。 跨線橋内。暗い緑色の床は松阪駅や阿漕駅と同じだ。

下のへりに青色のラインを入れた跨線橋。「JR多気駅」とも表記されている。 2番線から松阪方面を見て。3番線に停車中の列車は新宮行き。

左手にホーム、正面奥に跨線橋、線路内を挟んで右手に詰所。 右脇が詰所。詰所より先は、かさ上げがされていない。

左手に線路内、右手には真中の部分が舗装されていないホーム。ホームの中央には電信柱が並ぶ。 振り返って、2番線から鳥羽方面を望む。

ぼろぼろのコンクリートのホーム。 跨線橋をくぐって、2番線から松阪方面を望む。

左に薄緑の壁と水色の屋根の平屋の駅舎。 上の写真左手のようす。1番線と駅舎。

  このように、1・2番線ホームの跨線橋より松阪側は未嵩上げで点字ブロックがない。 このあたりも使われないのだろう。

左手に線路内、右手にぼろぼろのコンクリートのホーム、そして上部に跨線橋。ホームと跨線橋の間には太いスペースが仲立ちとなっている。 1・2番線ホームから跨線橋を見て。階段もこちら側には伸びていない。 左手は40系、右手は11系。

濃い鼠色の敷石の敷き詰められた改札口への通路。右手は1番線と低い板の柵で仕切られているだけだ。 跨線橋を下りて駅舎内へ。右手からは直接1番線が見える。

斜めにカットされたいつものみどりの窓口。 出札・改札口のようす。1人の駅員が両方を切り盛りしていた。

三角屋根に沿った天井の室内。待合室部はやや広めの長方形ですっきりしている。 右手にあった待合室内のようす。

奥の壁に一連の窓、右奥に回り込めば改札口。 駅舎出入口付近から出札・改札口方向を見た風景。 窓からは3番線に停車中の新宮行きがよく見えていた。

パンフレットの棚が2か所に分けて置かれた待合室部。 駅舎への出入り口は簡単なサッシの引き戸だった。

  駅舎内は焦げ茶の木製の椅子が壁に沿って廻らされ、 床面積も割りと広かったが、 天井にはカビやほこりのようなものがいくらか付着していて、 コンクリートリの床面は埃っぽく、 全体的に空気が妙に埃っぽかった。 駅舎自体が昭和34年のものなので仕方ないのだろうか。
  駅舎内にいると、跨線橋から下りてきた一人の外国人が、 キャリーを引きながら改札口まで行き、 駅員にきっぷらしいものを傾けて見せながら、
  「公衆電話はどこですか。」
と少し訛った言葉で尋ねているを見かけた。
  「出てすぐの所にあります。」
と駅員が少々ぶっきらぼうに言うと、 その人は特に表情を崩すこともなく、キャリーを引きながらゆっくりと外へと出て行った。 服装は私服といえども、かなり落ち着いたもので、 日本語もよくわかるようだったし、 こんな時期にこんなところで外国人が旅行というのも考えられず、 そのときは、何かのビジネスでここに来たのかな、と考えた。 電話は、日本の案内役にでもして、迎えに来てもらうのだろう、と。 しかしこの予想は、大きくはずれてしまった。

  駅舎を出ると、出入口の上にしめ縄が飾られてあるのがすぐ目に付いた。 しめ縄は、私の町では門松とともにすっかり姿を消してしまった風物詩であったため、 これを見たときは、まだ受け継がれている地域があるのだなあと知らされた気がした。 以前は自動車もよくしめ縄をつけていて、 走行中にそこから落ちたらしいみかんが道路に転がっていたりしたことがあった。 なお伊勢地方では、しめ縄は年中飾っておくのが習わしだという。

藁を束ねたしめ縄。みかんとしだの葉が付いている。 今月1月に飾ったものだろうか。

上部に横長の駅名表示板。その下に案内図が立ち、右手に小さなバス停。 駅舎入口右脇のようす。 JR東海のおすすめウォーキングの案内図とバス停。

  公衆電話は誰かが使っていたため、 さきほどの外国人旅行者は電話から離れてタクシー乗り場付近まで行き、 引いていたキャリーからセーターを出してぬっくりと着はじめた。 私は体温調節にこだわらないため、それを見て、まめな人なんだな、と感じた。 きっと公衆電話からタクシーを呼ぶのだろう、そんなふうに考えていた。

小さめの駐車場。道を挟んで左奥に民家。 外へ出て。

「歓迎 多気町」の門。両脇に建物。 左手には、歓迎の門の立つ通りが伸びる。

  駅舎を出るとすぐに駐車場だったが、自動車のよく通る細道と接しているため、 なんとなく窮屈で歩きにくかった。そんなことと1月下旬の日の短さから、 まだ3時だというのに、もうお迎えの時刻のような雰囲気が漂っていたのだった。 駅のすぐ近くからは商店街らしい2車線の通りが伸びているが、 よく観察してみるとこれは商店街というより住宅街であった。 ここ多気町の中心部は多気駅の近くにあるのではなく、 多気駅から一つ先の相可駅から少し歩いた所にあるようだ。

二階建ての建物。一階部がお店。 ヤマザキショップ。酒も売っていて、このときは割と品揃えもあった。 接続待ちの買い物にいいかもしれない。

古びた外壁塗装のコンクリートの小さな直方体の建物。 旅館「まねき」。はたして…。

妻面全体の右側にさらに妻型にえぐった駅舎前面。一見するとプレハブ素材でできているように見える。 多気駅駅舎。奥の新しい建物はJR東海三重支店伊勢運輸区のもの。 新しさは駅舎と対照的だ。

T字路の奥に列車が停車しているのと「快速みえ」の大きな宣伝看板が見える。 歓迎の門から線路方向を見て。左に旅館「まねき」。

駅舎から離れて右斜めに見て。左脇に駅舎前の駐車場に接する道は広いが、駅舎に差し掛かるあたりから急に狭くなっている。その手前で右手に折れれば歓迎の門。 駅舎と駅前。

ホームと跨線橋。 外から見た多気駅構内。

両脇に白線の引かれた細道。手前両脇には民家の緑の垣根。少し遠くは、開放的だ。 駅舎脇の道を進み、伊勢運輸区の建物を過ぎて。

  駅舎に戻ってホームに下り、 3番線に停車している、点検を終えたばかりの新宮行きの列車に乗り込んだ。 すると、さきほどの外国人が乗車していて、驚いた。 てっきり駅からタクシーでどこかへ行ったのだと思っていたから…。 ということは、紀勢本線の乗り鉄をしに来た人なのだろうか?  確かに、この人は左側座っている…(海だ)。
  しかしなぜ私はこの人のことばかり考えるのだろう。 それはこのときが旅行者のかなり少ない時期だったからで、 私は同じように旅している人を、知らないうちに探し求めていたからだった。 私はその人の後ろの席に座った。その人はさっき着たセーターを丁寧に脱いでいる。 暖房がよく効いているのだ。 これからずっと先の車窓には、海がちらちらひらめく。 天気もいいからきっとゆっくり眺められるだろうな。 さっきの電話は宿屋へのものだったのかな。 私は紀伊長島や新宮までのきっぷは持っていないから、そんなところまでは行けない。 列車は動き出した。海の風景への私の想いは、そこまでにある深い山並みに消えていった。

次に訪れた駅: 相可駅

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