寺庄駅

(草津線・てらしょう) 2008年12月

  鈍い低陋の朝日を遥拝する電車は、柘植から折り返してはじめて営業となるようなものだった。片方が畑で、一つだけある乗り場に かじかんで微動だにしかない大勢の人々が蝟集し黒くなっていた。窓はそれを少し見下ろす感じで、列車はそこに、厳かに入っていく。もし人が鞄一つでも腕一つでも出していたら、ゆっくり殺いで、均していくよう思われたが、誰もはみ出ていないのに、列車は彫木を穿ち、一人余さず採り集めていった。
  かつては本線を駆け巡った車両は重たげで、止まる直前、前のめりになった。ドアの開く空気音も大きく、引っ込んだ扉が奥の硬いゴムに遠慮なくぶち当たった。

  待ちわびた人の群れが崩れ、内陸で凍えているため、列車の側面の空気だけが掻き乱される。車掌は片足だけホームに下ろし、着いたばかりだというのに目を細めながら、もう笛を吹いた。
  鋼板の壁が勢いよく流れ風が起こり、車掌の険しい視線がホームを掃過する。降りたのは自分だけだった。

  列車が去ると 何もかもが軽くなった。ホームの床石も、小屋に詰めている駅員も荷が降りたように楽そうにみえた。ただびしびし冷える空気と、色ばっかりが暖かな朝の光を、筐庭な駅前の落葉樹が、繊細な魚の骨格でむなしく突き刺している。

 

草津方面

あまりそうは思わなかったが工事の真っ最中だったらしい。

 

 

のんびりした土地の使い方だったようだ。

冷え込んで、少し霧っぽくなっていた。

 

 

木製の据え付け長椅子もカチカチに冷たい。

夏は透けて見えないのだろう。たぶん桜の木。

ちょっと不思議な一角。

 

 

 

結露で濡れていた。

 

歩き疲れるくらい長い。

家が建つようです。

 

さらに遠くから。

出改札口。

  窮屈な詰所の屋根を伸ばし壁で支え、それに沿って椅子をつけたほどの施設なのに、こんな朝早くから有人だった。画面がぼうっとともり、電気ストーブを柿色に光らしてさすがに温くとめている。しばし休息を与えられた駅だが、すぐ次のが来るので人が歩き寄ってくる。窓口で高い切符が買われていき、なるほど配置されているわけだ。しかし切符を求める人が窓を開けると、ぬくとめたのが一気に無駄になりそうで、中の人が不憫に思われるほどだった。そんなような駅だから出たところは静まっているのに、四隅に切った広場に 売店や自転車の預かり所があるのがかわいらしくて、停車場らしさがあり、簡単な造りに人が詰めているのでも、それをそのまま引き伸ばして、駅舎として人々に見せているところだった。そしてそのために、あたりの町の様子が自然と頭に入ってきた。

 

シールが賑やか。

 

 

 

 

駅を出て。

 

寺庄駅駅舎。

横顔。なぜか大きいゴミ箱が2つも。トイレあり。

 

  乗り場の土手やその周囲には桜の木や植栽があったのを手持ちぶさたに観察していた。土があり、枯れ葉ある。駅舎がなくて物足りない思いが不思議にないところだった。狭い階段と入口と目立つことなく、筐庭に調和しつつも、確固たる実力を懐に持っていた。ホーム1本と、ただの小屋でどんな切符でも売っている、そんな最小限にしておきながら、どこにでも行けるところ。なにかと自分は大きなしるしを期待していたなあ。しかしそれが旅人をときに縛り、余計なことを考えさせていた。そういうものがいらないと思えたのも、いらないと思われいそうだったのも、基本の形が堅く呈示してされ続けているからにみえた。

 

お菓子やパンを売る店あり。

 

特に気を取られることなく待てる駅前だった。

レンタサイクリング。忍者の町ということで巡るところがあるようだ。

こっちは駐輪所。

駅舎その2.

昔土の広場だったところをそのまま舗装したという感じ。

 

いわゆる甲賀忍者の本拠地。 忍者の里に行くとすると伊賀にするかこっちにするか 迷うかもしれないが、伊賀は有名らしい感じがしてる。

 

 

 

  その土手の前に、車が一台そして二台とやって来る。排気煙が白く、軽のエンジン音が高い。電車の来る直前まで中で待たせてあげているんだ。私は一本やり過ごして乗るつもりだったその列車に乗るべく、ホームに上がった。まだ人が少ない。ここにおれば見渡さざるをえない畑や、日が昇って明るくなりはじめた、これからの家の建つ宅地をひたすら眺めつづける。ここに来たとき、黒い人群れを窓から見て、堅い人々に怖気づいた。でもこうして立って待っていると、暖かい色の光も浴びられ、こんな厳寒でも目的がある人であり、友達というより地元のよしみという感じで女子高生同士が「おはよう」と簡単に声掛けたり、厚いコートを着てごくまれに大人の知人同士で「おはようございます」と正式に挨拶する一面もあった。「こんな簡単な駅で気負わずに朝発てるというのもまたいいな。」 やがて、ホームの端から端まで人が行き渡った。目前の空地や畑地を眺めるともなく眺めている人はほかにもいた。一体この風景はどのくらい人目に晒され、詳細に観察され、眺めつづけられているのだろう。誰にいくら眺めつづけられても文句ひとつ言わないその心の広さは、誰にも敵いそうになかった。 誰もが旅に差し招かれていた。それで太陽の後ろ盾も得て、自分のこだわりは ほどけていった。

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