植苗駅

(千歳線・うえなえ) 2010年9月

一旦出て外から見た駅舎。
キタカタッチもある駅たから大丈夫だと思うのだが…
写真ではなんともないように写るのが残念。
駅を出て。一体ここはどこなんだと思う。新千歳周辺というのは地勢が掴みづらい。
夜の植苗駅駅舎。
苫小牧方面にはすごい光芒があった。しかもときどき雷鳴のように蠢く。
こんなところで寝る羽目に。ちなみにトイレの入口ではない。
線路側からどう見えるのだろうかと。

夜の植苗駅

 植苗という駅で降りる。地元の人のふりをして…。地の人は一人降りた。私は彼女に住まいのあるのを嫉妬した。駅舎は片流れの量産型だ。だから外観で占うことができない。何気なくホームを歩いて行って、キタカのタッチ機体を過ぎ、蛍光灯の眩しく灯る待合室の扉を引いた瞬間、しまった! と思った。やってしまった、と。これは………一見寝られなくないが、実はまったく寝られない、いや、居ることすらできないという空間だったのだ。 「こんなばかな、なんでこんなに汚いんだ」。 ヤブ蚊の数がすごい。この湿って暑い空間に閉じ込められて、繁殖していたのだ。北海道は待合室の戸をしっかり締める習慣が根付いているが、その分 室内の空気は悪くなりやすい。私は室内で独り佇立し、なんとか寝られないものかイメージした。蚊が寄ってくる。私は旧式な携帯電話で一匹はたき落とした。するとどうだろう、以後猛然と何匹も襲ってくる。虫に意識があるように思え、畏怖した。虫にも何とやらとは昔の人はよく言ったものだ。室内には駅舎内寝泊り禁止、と貼ってあったが、こんなところでどうやって寝ろというのか、しばいたろか! もっときれいな駅に書いてあるならまだしも。トイレもあるが使う気にはなれないものだった。
 苫小牧に戻ろうかと思った。でもあんまりに悔しいので肚を決める。とにかく室内ではとても寝られないので、外を探すが、どこにもそんなスペースはない。跨線橋もチェックしたがいっそう虫だらけ、というか赤ちゃんのこぶし大のクモがぶら下がっていて、血の気が引いた。

 駅前に民家がぽつねんとあり、二階に明かりが灯っている。私は一瞬、本気で頼みこもうかと思った。しかしキリギリスのような自分ではないか。待合室に禁止と書いてあるということは周辺民とのいさかいも過去にあったやも知れぬ。それにしても北海道の家は皆丈夫できれいである。二重窓で床や壁の断熱もしっかりしているし、詰めて建ってもいないから、話によるとグランドピアノを裸で入れても問題にならないという。そんなふうに守ってくれるような家が欲しいものだ。この地では家に入れなければ死んでしまう季節もあるんだ。きっとみな家を大事になさっているに相違ない。そして車も…、と、ひとりしみじみ、うんうん、と、頷く。
 夜も更けていく中どうにか知恵を絞って「ここかなぁ」。駅舎の線路内側の滑り止めクッション張りの犬走りのところ。そこが人が踏み入れる機会が少なく、どうにかきれいなところだった。しかしアリや小さいムカデが歩いている。そいつらを石ころでどけて、シートを敷いた。一晩、いや、長くて五時間位だ。そう考えれば何とかなるように思えた。

 "テン場"を決めたら苫小牧で汲んだ水で手を洗い、シュラフを敷いてさっさと中に入る。シュラフの中に入ってしまえば意外に何とかなるのは知っていた。中はきれいだし、なにより自分の身体になじむ。自分の肌に触れた空間に入るのは気持ちよいものだ。実際ここでもそうだった。入った瞬間、急に安心してしまったのだ。イスカの内部の肌触りのよさのせいもある。私も寝袋は大事にしようと思う。

 シュラフに入っても蚊が襲って来た。あまりのしつこさにおぞましさを感じるが、寝袋は私の家だ。中には大事なものも入っている。顔の部分のドローコードを目いっぱい絞りきる。そして顔を内側に向けるが、ちょうど細くなった絞り口の先が耳元付近になり、蚊はしょっちゅう襲ってきた。そのたびに手で払いのけるが、安眠妨害以外の何物でもない。そう、なんか気温が高いのだ。北海道だからと蚊の対策をしてこなかった。駅にて旅寝される方は必ずこの蚊の対策を。蚊取り線香を駅舎内で焚くとか、殺虫剤で充満させるとかいう武勇伝を聞いたときは眉を顰めたが、なるほどそうしたくなるのがやっとわかったわという心境だ。そこまでしなくても最近は電動式のいいものや強力なものもある。
 貨物列車が警笛鳴らして入ってきた。寝姿が見えたのだろうか。しかしどうかされることはなかろう。
 それにしてもやかましいし、およそ寝るというところじゃない。禁止とあったが、いったい誰が寝たんだ?!
 でも明日はやっと道東入りできる。我慢の連続だが青い怒りを抱いて座禅している気持だった。

 やがて夜の底が深くなって、いっそう静かになった。もう蚊も襲ってこない。暑いので絞りを解放し外気にあたった。
 とにかく蚊のせいで寝れない。このたった一匹さえいなければ間違いなく一日の疲れから寝入ることができるのがわかっていた。それだけにその忌々しさといったらわかってもらえようか。五寸の魂というけど、もはやぞっとするばかりだ。
 眠れなくてももういいからとにかく早く朝になってくれないかと何度も絞り口から空を仰いだ。熟睡できるのならまだしも、できないならこんな犬走りみたいな不衛生なところで寝るのはいやだ。しかし仰いだ空は無情にも熟睡に適した濃紺の天空。ほんとに長い夜となった。

 どうにか一時間と少しくらいは浅い眠りをした。知らないうちにうまく血を吸ったのだろうか。蚊の姿が見えない。
 空はやっとのことで鈍い青になったというところだが、もう鳥が鳴いている! まだ早いが、明るくなってもこんなところで寝ているのはさすがに自他ともに気持ちが悪い。自分を平常心にするため、あーあ、と何でもなさげにあくびして起きると、寝袋の中に大きな蚊が折れ曲がって死んでいた。なんたる執念。その死に様を見るに、狂ったように振るった私の手に撃殺されたらしい。あと手を投げ出して寝ていたためか、指が変な虫に食われていた。ムカデでないことを祈った。でもとにかくこれで終わりだ。さっさと寝袋を片付け、手洗いした。