鵜飼駅
(福塩線・うかい) 2011年7月
電車ですね
天気は良かったはずなのだが、昇温により上昇気流が発生し、"お昼は曇り"となったが、なんとなしそんな感じの町でもあるので、気楽に電車に乗って隣りの鵜飼駅まで駅旅。府中駅での三次行気動車の間合い旅である。
降りたそこはホームだけの駅で、駅旅人からはあたりの景色がいいでもない限り後回しにされがちだけど、たまには市井のこんな駅もいい。むしろそういう駅こそ、旅に昇華しよう、と思っていた節もあるけど、この時はそんなふうには考えていなかった。
あたりはに古やかに賑々しい沿道の街で、弁当屋やコンビニのおかげで旅人が途中下車するには悪くなさそうだった。こんなところで降りて弁当を買っている鉄道旅行者がいたらよっぽどかの通だろう。
何かの居抜き?
建物も鉄筋だし、お金かかってそうでした
二車線の古い道はやはり福山文化圏らしく、昔の店が迫りやはり一度は車で走ってみたいような感じの懐かしい道である。しかしふと、あることに気付く。そう、ここは弁当屋が三軒も集まる激戦区だったのだ! かまどや、ほっかほっか亭、ほっともっと…いったいこの駅前で何があったのだろうかと思うが、とにかく僕としてはここは"弁当の街"、ということで決まった。というか、こんな状況は都市部でもそんなにお目にかかれなさそう。弁当屋がなくなってしまった町に住む自分としてはうらやましい限りである。 (追記:2024年9月現在、弁当店はほっともっとしか残っていないようです。しかしこうしたそのときそのときの旅がおもしろいのです)
その中ではやはり"かまどや"がいちばん年季の入った建物だった。どう見ても民家の一介の鉢植え屋さんにか見えなかったけど、一個から配達ということで、奮闘されていた。たしかに弁当屋の中では"かまどや"がいちばん気になる。
この信号は踏切と連動しているのだろうか
府中駅にて乗り換え
30分ほどで電車を捕まえて、再度府中へ。これで今日3度目である。さすがに府中駅も飽きてきた。乗務員に覚えられていたら悪いなぁと思うがもうこれで最後なので勘弁してほしい。が、しかし、乗った気動車には午前に見かけた人が何人も乗っていて驚いた。どうも午前中に府中で診察と買い物を済ませて、この午後の便で山間部に帰るようである。ドーナツやケンタッキーなど、ちょっとおいしいものを買っているようだ。府中はやっぱこの地方の都の一つなんだなぁ、としみじみ想う。福山となるとそれはもう何か大都市のようにすら思われる。
やがて気動車は走り出した。初めに乗ったときに感じたような真剣な
年寄りでも男性は男みたいで、婆さんを捕まえて二人で座って口説き落としていた。はじめは近所の知り合いかと思いきや、どうもそうではないらしく、婆さんの方もちょっとうっとおしいという表情だった。しかし爺の方は、そうであればなお燃えるといった感じで、ますますに真剣な表情で語りかける。
何がどうなってんだかと思いつつ、その人らは河佐で降りて行った。
河佐を出ると八田原ダムに沈んだ八田原駅をショートカットし、長大トンネルに入る。トンネルの中を気動車が走ると壮絶にやかましく、胸がドッドッドッドッという響きで叩かれ、苦しく感じたが、同車している別の婆さんをふと見やると、本当に苦しそうに眼を瞑っていた。
そう、鉄道のトンネル移動って、けっこうしんどくて、体力を使うのだ。例えば近畿圏である大津から京都に移動するのも、実に何気ない感じだし、むしろ最短距離で結んでくれて便利なもののはずなのに、毎日毎日ああしてトンネルをくぐっていると、心に降り積もってくるものがあり、また、慣れていても電波が繋がりにくくなったり、騒音だったり、暗闇だったり、そういったものに毎日耐えて立って通っていると、かなりのストレスなのだ。むろん、鉄道とトンネルほど、ありがたいものはないはずだ。つまりは ― 現代になってもトンネルや峠の心理的影響というものは鉄道でも車でも確かに残っていて、それはあたかも数え切れないほどの古人の抱いた鬱積した苦労を部分的にでも感得しているような気がするのだ。
移動に伴う苦労は、時代とともに技術革新によって減っているはずだが、その一方でボーダレスな情報通信とそのリアルさも発達しているので、肉体の移動とその差は、平行線かもしれない。事実、僕がこうして旅に出るのも、肉体的な移動の実感を得たいというのもある。というのは、クリックさえすれば、次から次へと駅を見ることはできるからだ。
トンネルを抜けるともうそこは府中市街とは縁遠い高地だった。こうしてまた自分の中国山地の旅が深まったと思った。この辺りの中心は上下町である。ほんと山中にあるのだから、まさに峠という漢字を分解したもので、こんな地名があるのを知ったときはかなり驚いた。
備後三川では穏やかな陽光の中、一人婆さんが降りていった。もう夏だというのに、何かこの中国山地の日差しは柔らかなものに思われた。
列車は谷筋を進んてでいく。もう乗客はほとんどいない。乗っている人で都市では目立たないような、黒っぽくシックな、地の人ではなさそうな格好の男性単行は、たいていは"同業者"である。別に利益は出てないのだから業者ではないが、何かこう鉄道に通じたところがあるのが業者のようなので、そんな風に互いに心の中で呼んでいるようだ。
僕は今回はイオンで買ったカーゴハーフパンツにTシャツいういでたちだったので、見るからにライトな鉄道旅行者だ。
シックな"同業者"はしかし、いつでも奥ゆかしい。回りにどう見られているか気にするあまり針の筵のようだが、どうしても撮りたいものがあるので、シャッターを切っている、そんな感じだ。むろん、彼も孤独な夜明を乗り越え、お金も時間もかけてここまで来ているわけだ、となると、撮らないわけにもいかない。
鉄道一人旅は、それなりに実はハードルは髙い。じろじろ見たり、じゃましたり、わさと移動しようとしない性格の悪い輩もいる。それは誤解から来る仕返しかも知れない。しかし、本来的には、旅に出るにはそれなりの決断というものが必要のを、お互いとくと知っているはずなのだから、そうしたことはすべきでないだろう。むやみに他人の恨みを買う必要はどこにあるのか。
さて、本数の関係で降りる駅は選ばないといけなかった。しかも次の列車まで2時間半とかのだいぶ後である。上下駅と甲奴駅で迷ったが、甲奴を選んだ。その二つでいうと、マイナーな方である。